10.孤児院からの旅立ち
猛勉強を始めてからひと月が経ち、ついに招待状が届けられ出発日が決定した。
この頃は冬の寒い風が吹き、近所の子供達も外で遊んでは時々孤児院の中へ一緒に避難していた。
そんな中、密かに準備を進めていたオレのシスター服がようやく完成した。
今、この院長室にはオレの他にヘレン院長とメレイさんしか居ない。
メレイさんから着付けを教わりオレは着替えている。
ヘレン院長が普段は仕舞っている鏡を取り出して壁に掛けた。表面が銀で出来た三十センチメートル角くらいの金属鏡だ。
…オレは初めて鏡ではっきりと自分の容姿を確認した。
アレラの記憶と比較してみたが、アリレハ村には教会と村長の家しか鏡が無かったこともあり、印象が変わって見えていた。
今後も鏡の前に立つ機会は少ないだろうから、折角なのでオレは自分の容姿をじっくりと観察してみた。
髪は言うまでも無く灰色であり、とても銀色などの格好いい色を名乗れない。室内の明るさでも黒には見えない、完璧な灰色だ。
その癖の無い真っ直ぐな髪を、前髪は眉と目の間ですっぱりと切りそろえ、横髪と後ろ髪は肩より少し下で切りそろえている。
目元はぱっちりとしている。垂れ目でも吊り目でもない。
そして瞳の色は想像以上に聖王様の淡い金色そのものであり、平民なのが不思議なほどで貴族と言っても通用するほどである。
顔にそばかすはなく、頬は何とか痩けてはいないくらいで病弱に感じる。
肌色も病的に白い。もう少し生気が回復すれば愛嬌があるように見えてくるだろうか。
とはいえ美少女というほどではなく、顔面偏差値にすると小学校に居たならば中の上くらいの話しかけやすいくらいになるだろう。
もっと美人だとアレラから訴えられている気がするが、それくらいだろう。決してオレも過大評価じゃないぞ、ないからな。
そして背丈は十一歳の頃から成長していなかった。半年の衰弱期間によって成長が止まってしまったようだ。
とはいえお世辞にも十歳くらいとしか言えず元から小さかったようだ。
あと、手足は折れそうな程細い。
結論、病弱少女全開。
こんな子が町中を歩いていたら何時倒れるか心配される。
ヘレアがお世話したがるのも何となく分かる気がした。分かりたくないが。
こんな可憐な少女が今、シスター服を着ているわけだ。決してオレはナルシストでは無いが、微笑ましく可愛らしい雰囲気だ。
このシスター服は脛の中程な丈の、冬用に少し厚い麻布で出来た末広がりの黒色のワンピースで、腰を紐で結んで絞っている。
白色で前後が四角な広い襟はワンピースに縫い付けられては無く、肩掛けのように服を着た後で被る。
スカートの中は白のハイソックスをガーターベルトで留めているので、外から足の素肌は見えない。
ただし脛の中程な丈の革のブーツを履いている為、立ち止まっているとソックスすら見えなかった。
黒色の頭巾ももちろん着けている。帽子やフードの代わりに日差しや寒さの対策にもなるので、常に着けるようにとのことだ。
試しに一回転すると、頭巾に半分隠れていた髪がくるりと舞いスカートがふわりと広がり白いソックスがちらりと見えた。
視界の端でメレイさんが悶えているので、ヘレアの前で回ると間違いなく危ない、危険が危ない。
孤児院のみんなにお披露目する時は一回転しないようにしよう。回らない、絶対回らないぞ。
落ち着きを取り戻したメレイさんがみんなを呼びに行き、オレとヘレン院長も院長室を出て、食堂に向かった。
…オレは食堂に集まったみんなの前に立つ。
今ここに、シスター・アレラをお披露目する時が来たのだ。
オレはゆっくりと丁寧にカーテシーをした。
そしてたおやかに立ちにっこりと微笑む。ばっちりきまった。
ヘレアが息を呑んで動かなくなっているのは予想通りだが、何故かオルカが赤面してオレから目を逸らしている。
どうした少年、とオレが考えている間もなく立ち直ったヘレアの懇願が始まった。
「アレラちゃん、一回転して。お願い!回って!」
駄目でした。ヘレアサンに逆らえませんでした。
オレは一回転を披露するしかありませんでした。
意外なことにヘレアが襲ってこない。彼女は座り込んで顔を両手で覆って全身をぷるぷると震わしている。オーバーフローしたか。
「アレラちゃん!結婚しよ!!」
二秒で復活した彼女が飛び起きたと思ったらオレの目の前に居た。そして両手を握られ彼女自身の胸元に引き寄せられていた。
オレは両手だけでなく足が浮く勢いで身体ごとヘレアに引き寄せられ、そのまま足がもつれて彼女と共に倒れ込んだ。
「いたたたたた…アレラちゃんって、大胆」
オレの下敷きになったヘレアサンが何か言っている。
オレは聞こえなかった振りをして立ち上がり、そっと離れた。
「アレラちゃん起こして」とのたまうヘレアだが、そもそもオレに彼女を引き起こす力は無い。
結局彼女はメレイさんが引き起こした。
「さ、教会に行くぞ。司祭が待っておるでの」
そう、この後は敷地内の教会で司祭から教会の所属であることを示す太陽紋章を授与されるのだ。
…何を隠そう、此処の教会の聖堂に入るのは初めてだったりする。
オレの生活は孤児院だけで事足りたし、聖堂に入って参拝者の前で行き倒れるわけにはいかなかったからだ。
なので聖堂に入ったら結構な人数の参拝者に迎えられてオレは狼狽えているわけだ。今倒れたらマズい。
ゆっくりとヘレン院長に手を引かれ、オレは結婚式よろしく参拝者の間を通り司祭の前に出た。もちろん新郎などはいない。
オレは祭壇の前で跪き両手を胸元で組んで目を伏せ、無心で無言の祈りを捧げた。
シスターになることを誓願する小難しい言葉とか、そういうことを覚える必要が無いのは幸いである。
尚、聖王教会は偶像崇拝の否定こそしていないが聖王様の像を御神体にはしていない。祭壇にある御神体は太陽紋章を形取っていた。
無心になり跪いた体勢が辛くなってきた頃、司祭がオレの前に立ちようやく太陽紋章を授与された。
授与されたのは首飾りで、大きさは直径五センチメートル程で銀色の鎖が付いている。
この紋章は名前の通り太陽を表している。
外輪から伸びる緩く螺旋を描く八本の太いリブは中心の広く丸い平面に切れ目無く繋がる。
中心には聖王様を示す時にしか使わない文字で”せ”の発音の一字が刻んである。
全体の色は聖王様の色たる淡い金色だ。
ややこしい説明を抜きにして、オレにはこう見える。
ホイールキャップだ。
どうみても自動車のホイールキャップだ。
あと、目の前にある祭壇の御神体は大きさといい完全にホイールキャップだ。
やばいもうホイールキャップにしか見えない。
聖王教に入信させられたと思っていたがホイールキャップ教に入信させられていたようだ、どうしよう。
だがもう手遅れだ。
頭がホイールキャップ一色に染まり動かないオレを司祭は引き起こしてくれ、参拝者の方に回れ右させてくれた。
オレは参拝者にカーテシーをして、姿勢を正した後についうっかり孤児院でのお披露目と同じくにっこりと微笑んでしまった。
しまった、頭が真っ白だったからやらかした。
微笑んではいけない。祈りの挨拶をするのだった。挨拶文はもう頭から吹き飛んでいた。
焦ったオレはついでにきょろきょろと聖堂内を見回してしまうというやらかしを追加してしまった。
はっとしてせめて真面目な顔を取り繕ってみるがもう遅い。
参拝者の大半は微笑ましい子を見るかのような暖かい眼差しをしていた。
思わず司祭を振り仰ぎ顔色を窺うと、暖かい眼差しで微笑み返してくれた。
叱られずに済んだとほっとしたところで、寒気を感じた。
そっと寒気の方向を辿るとヘレアが熱い眼差しを送ってきていた。あれは危険だ早く逃げないとこのまま挙式が執り行われる。
オレはヘレアを思考から除外した。心得たようにヘレン院長が来てくれ、誰かの視線を遮るように退場と相成った。
沢山の暖かい眼差しと、一人の熱い求愛の視線を受けながら、太陽紋章の授与は滞りなく終了した。
そのまま聖堂の扉を抜けるとみんなぞろぞろと付いてきた。
そして教会の参道を抜け、門から外に出ると幌馬車が待っていた。
オレの荷物はすでに積まれていて、このまま領都に向けて出発するのだ。
実に慌ただしいのだが領都に向かう人達の都合に合わせた結果、急遽出発日が今日に決定したらしい。
そして夜までに次の町へ着くには朝のうちに出発しなければならない。決して誰かから逃れるために急ぐわけではない。
当然オレ専用に用意された馬車でも無い。
教会が懇意にしている商人が領都に向かうということで、乗せてもらう形を取っている。
この商人が領都の教会までのオレの付き添いを兼ねているらしいが、他にも同行する人達が居るらしい。
らしいのだが全員忙しいということで、顔合わせはしていなかった。
ひと月も準備期間があったにも関わらず、肝心なところの段取りが杜撰である。
顔見知りをするオレは領都へたどり着く前に気疲れで倒れるのは間違いないだろう。
…商人は夫婦だった。
女性がいるのはありがたいが、いかにも世話好きなおばさんと言った感じの奥さんにオレはちょっと尻込みする。
でもそんなオレの心配を旦那さんが吹き飛ばしてくれた。いや、言葉通り吹き飛ばされた。何だこの筋肉ダルマ。本当に商人かよ。
よろしく、と言いながら気さくにオレの背中を何度か叩いてくれたわけだが、叩く力が強すぎるおかげでオレの体力はもうゼロだ。
倒れそうになったオレを誰かが支えてくれた。顔を上げると顔見知りの中年男性だった。
「よう!御姫ちゃん。領都までだが、よろしくな」
そう言ってくれる彼は、よく孤児院へ剣術の指導に来る冒険者その人だった。
見知った顔が同行してくれるので、オレはようやく安心した。
「わざわざすみません、ムルヘさん」
オレが恐縮して彼に返答すると、にかっと笑ってくれた。
「なに、仕事だ。気にすんな。それと久々に領都へ行くのも悪くはないしな」
そして彼は三人のパーティメンバーを紹介してくれた。矢継ぎ早な紹介で頭に入らなかったので、あとでまた聞くしかない。
商人夫婦、四人パーティの冒険者、そしてオレ。総勢七名でこれから領都まで向かうのだ。
出発前の挨拶をすべくオレは後ろを振り向き、未だにいる参拝者の人数に再び狼狽えた。
深呼吸をして落ち着く。
孤児院のみんなとの最後の別れの時間である。
昨晩に一応別れの挨拶は済ませていたが、出発直前となるとまた違った感慨を覚えた。
「アレラおねーちゃん、お手紙まってるから…」
マレルちゃんがオレにそっと抱きついてきた。
この子はいつもオレに対して優しく接してくれる。どちらが年上かなんて言ってはいけない。
オレはか弱いのだ。この子は決してオレを脱臼させたりなどしないのだ。
「あえらおねーしゃん、いてらさい」
エルケくんはしゃべるようになった。こちらもオレにそっと抱きついてくる。
幼児に優しくされるオレ、か弱すぎ。
彼はオレにしがみついたまましばらく動かなかった。
そして涙を堪えながらそっと離れる。なんて賢い子何だろうか。
「アレラ、何時でも帰ってきていいからね」
メレイさんが優しくオレの手を握ってくれる。
その表情からとても心配してくれているのが分かる。
オレの魔法の先生。実は二つしか魔法を使えないとか知らなかったけれど、貴女こそSM女王だ。
何か変なことを考えて気づいた。
変な称号を与えるアイツだ。こんな時に先走る少年が近づいてこない。
「…アレラ、元気でな」
オルカが初めてオレの名を呼んだ。目を見張るオレを見て少年が赤面した。
オレはふと思い至り、うんって言って少年に微笑んだ。
少年は耳まで赤くなった。
自惚れで無ければ少年はオレに恋をしたようだ。残念だな少年、すまないがその恋は実らないよ…。
恋愛という単語で思考から除外していた人を思い出した。
一番に飛び込んでくるはずの人が居ない。そう、ヘレアは何処だ。
首を振るとすぐに見つかった。
ヘレアは少し後ろでハレアさんに羽交い締めにされていた。
ハレアさんがこちらに笑いかけてくれた。
ハレアさんは一度口を開けば話が止まらない人だった。
しかし普段は自重しているのか彼女はあまり話しかけてこないのだ。
オレも自分から話しかける質ではない。結局ハレアさんとはあまり会話をした記憶が無かった。
この別れの時間でも、オレは手を振るだけになってしまった。
「アレラちゃん…私のアレラちゃんが…」
一方、ヘレアは先程からぼそぼそと呟いている。
いざ別れという事態に精神が耐えられなかったのかもしれない。
それでもハレアさんの拘束から逃れようとしている。だが解放されない。
最後の抱擁すら許されないのは可哀相だが仕方ない。
一度オレに喰い付いたら二度と離れないと分かっているのだろう。
ここに居る誰もヘレアを解放しようとは思っていないらしかった。
オレはせめて一言声を掛けたかったが、ここに来てヘレアに掛ける言葉が思いつかなかった。
微笑むことで精一杯だった。
「アレラや、元気での…どうか聖王様の御加護がありますように…」
最後にヘレン院長がそっとオレを抱きしめてきた。
お茶目なところや厳しいところもあったが、やはり彼女は孤児院の院長に相応しい人だった。これからも元気で。
「みんな、色々とありがとう。行ってきます」
月並みな言葉をなんとかオレは絞り出す。その瞬間、見守っていた人達から、いってらっしゃい、と掛け声があがった。
思わず涙で視界が歪んだオレを、地面に埋めるかのような衝撃が襲いかかった。
筋肉ダルマに肩を叩かれたのだ。
あまりの痛さに違う意味で涙が出て、オレは彼を見上げた。
「行くぞ」
彼の掛け声と共にオレは荷物よろしく幌馬車に積み込まれることになった。
オレを持ち上げたムルヘさんが「御姫ちゃん軽すぎるぞ」と呟いたがこれでもまだ体重が回復したほうだ。
これからどんどん重くなりますから、なんて女の子にあるまじき発言をするわけにもいかず、オレは苦笑で返事をするしかなかった。
「あああああ…アレラちゃんが出荷されていく…」
ヘレアサンが手を差し伸べて何か言っていますが、出荷じゃありません!
こんばんは。
主人公は遂に孤児院から出て広い世界に旅立ちます、たぶん。
そして聖王教会の真実が明かされました。ホイールキャップ教。多分そうじゃない。
2019年10月22日、追記
改行位置を変更致しました。誤字訂正以外に本文の変更はございません。
2021年11月1日、追記
一人称誤記訂正のみ致しました。文法等その他の修正には手を付けておりません。




