絶望の購入
この世にとって、絶望とはなんだろうか。
同じ家族の中に生まれて育ったはずであるのに、兄と弟で差が表れているのは才能の差か。努力の差か。周囲にいる友達の差か、成功の違いか、否か。
そんな環境を30年以上も続ければ
兄は世帯を持ち、家を持つ。
弟は家におり、部屋に篭る。
成功していく兄と、失敗し続けた弟の差は大きく。現実が決めつけるような格差が生まれていた。
「おんやぁ~。こりゃあ、どうも随分。酷いねぇ~」
ある日、引き籠る弟おじさんの部屋に現れた。1人の道化師は尋ねた。不法侵入と思われてもしょうがない。が、夢と思われるような時間帯に現れたそいつは。
「”人生を逆転したいか?”、例えば、今幸せな生活を送っている兄と、魂を入れ替えるみたいな事」
なんだそのあり得ない条件。だが、失うモノなど見えず。何をしても関係ないと思う事。
失ったものなど何もない。そして、これからも……。
「”1日、20万”で契約しようか。なぁーに、魂を入れ替えた兄の金で支払ってくれればいい」
道化師は伝える。
「私の名はエノハ・ヨミトク。夢や希望を”購入”できる能力を持つ者だよ」
◇ ◇
朝、起きると。これまでにない清々しい気持ちと、
「アナタ、おはよう」
今まで味わった事のない優しい声を届けてくれる者がいる事。魂はこの人物を憶えていないが、脳みそは憶えており、そいつが代わりに答えてくれた。いつもの返しだ
「おーう。飯はあるか」
「できてるよー」
自分の魂が、兄の体に入っている。そんな驚きを感じさせないほど、この脳は正常過ぎる働きをする。会話の仕方がなんとなく分かる。これからやらなきゃいけない仕事が分かる。予定も分かる。
なんだこの身体は!?自分の身体とまるで違うじゃないか!
そんな嫉妬が湧くが、もう一つの事。あの道化師が言っている事が本当ならば、自分の身体には兄の魂が入っている事になっている。
そう思っただけで、自分の中にあった劣等感を跳ね除け、天上に立った気持ちにすぐさま酔い知れてしまう。いつもいつも、自分よりできて、デキモノのように自分を見ていたクソ兄が。自分の身体に入って苦しんでいる様を、想像しただけで笑ってしまう。お前が今日から負け犬だ。
◇ ◇
ガララララ
「か、母さん!大変だ!」
「ど、どうしたのよ!?というか、あんた!自ら部屋から出るなんて……」
「弟と魂が入れ替わってるんだよ!!信じてくれ!」
引き籠りの弟が部屋から元気に出てくるだけでも、大事件である。そして、こんなバカげた事を言う。
「どこの妄想の世界に入っているんだい!?ここは異世界じゃないよ!」
「ほ、本当なんだ!なんかおかしい!弟の記憶と、俺の記憶が混同してるんだけど、間違いない!」
弟と魂を入れ替えても、脳への記憶の差がでているのは。人生の充実度合いの差だろう。弟の脳みそは残念なことにスカスカであり、兄の魂が色濃く記憶に反映されていた。とはいえ、肉体は弟の身体だ。
「うっ……なんだこの身体。だるさがヤバイな……虫歯もあるじゃないか……なんで、ほっとけるんだ」
「お菓子食いながらネットとかいう場所で、リアルの不満を叫んでいたじゃない」
「あー、そうだった。どうしよう……。そうだ、妻が心配だ」
「どーしようじゃないでしょ!なんだかんだ知らないけど!これで引き籠りを止められるのなら、働きなさい!」
「ええーーーっ!?いや、当然か……でも、妻の事が……」
「分かった!分かった!私の方からメールしてあげるから!妻が大切なら、働きなさい!というか、お母さん。信じてないからね!」
そんなこんなで弟の身体に入った兄は、すぐに働く必要になってしまった。突如、弟と肉体が入れ替わってしまったこの事件。履歴書を買い、証明写真を撮り、職歴を記入……。
「いや、職歴ねぇーじゃん!こいつ!!(つーか、今の俺)」
証明写真を撮ったはいいが、無精ひげ。ニキビ。ちゃんと洗顔をしているのか、歯磨きをして寝ているのか?口臭も酷い。そんなところからのスタート。
自信を削がれる絶望的なところであったが、こんなことで挫けては妻に会えない。いや、あの弟が何をするか分かったもんじゃない。
「や、やってやるぅぅっ!」
失った人間は失ったまま。そう思った人は、何も得た事がない人。
失敗を知っているという事だけでも、貴重な情報なのである。兄は身なりを整え、部屋の掃除を始める。わけの分からない弟の私物をアッサリと捨てる。
いつもの肉体ならば、疲れなんてこないのに。まぶたがもう重い。朝に起きれないだけでこんなに辛いなんて、分かっていたのに、辛すぎる。
「夜型人間だからか……」
だったら、夜の仕事を選んでみよう。
ともかく、金がいる。情報がいる。どうやって、妻に説明すりゃあいいか。それは家族や周りに信頼されてからだ!こんな姿じゃ俺は弟にしか見えない!兄だって事は、行動で示してやるんだ!
そんなこんなの兄の奮闘を他所に。
兄の肉体に入った弟は、何食わぬ顔で兄の妻と戯れていた。いつもと何か違った夫に少し興奮はしていた。
そして、それからの日々……。
「ありがとうございましたー!」
弟の身体に入った兄は、惨めに思えるかもしれないが、初めての職を手に入れた。深夜のコンビニバイトで銭を稼ぐ日々。
「お前等、働け!」
兄の身体に入った弟は、部下を何十人と持った大企業の課長さん。兄が持っていた能力で部下達を使って、周りから見れば楽に働いていた。
そんな日常、そんな時間。入れ替わってから数年と経てば、事実あれど、もう取り返しのつかないほど入れ替わった現実が広がる。
「なぁ、課長ってラクしすぎじゃね?大した能力あるわけじゃねぇーのに、責任も持とうとしねぇ」
「そうなんだよな。なんか3年前ぐらいはアグレッシブで、自分で会社を引っ張ろうってか」
「プロジェクト持ってたのに、最近じゃ俺達部下任せだよな。美味しいところだけで頂く、ゴマすり系上司になってる」
「課長には言えないけど、俺。課長の奥さんと浮気してる。この間、飲みにも行ったし」
「えーっ!?マジー?やばくない」
「なんか上手く言ってないんだって。金遣いも荒くてさ。離婚危機だって」
1日20万。
365日で、7300万。それを3年間としたら、2億1900万円!!
弟が積もりに積めた。入れ替わり費用!
そんな金額を平然と払えるとしたら、生まれ落ちた場所が決めているというものだろう。億万長者の家に生まれたような事だ。
「もう、別れましょ」
「なにーーー!?」
「結婚した時のあなたと、今のあなたは違う。信じたくない事だけど、信じられるものがあなたにはある」
「ふ、ふざけんな!お前がいなくなったら、どーするんだ!いや、俺がいなくてどーする気だ!」
「知らないわよ。家事くらい自分でやりなさい。私はあなたといるより、育児と仕事を1人でやる方がいいの。髭くらい、私に言われる前に剃りなさいよ」
最初にあんなメールをもらった時は、バカじゃないの?って思った。だけど、それが今では信じられるほど、この人は自分が求めた人じゃなかった。
本当にいた人は、コンビニで働いている。
「ありがとうございましたー、いらっしゃいま……あ」
「……弟くんがここで元気に働いているのを、お母さんから知ったわ」
「………分かるのか?俺の事が、お前!」
「信じてないわ。だって、あなた。3年も私に会いに来なかった。いえ、私も会えなかった」
「…………ごめん。……俺、……」
「……ううん。大丈夫、私。あなたを振ったの。離婚したわ。子供もできたの。今のあなたのように強く生きて、子供にもそうやって生きる事を学ばせたい」
風の噂ではあるが。
「彼女が、できたんでしょ。オメデトウ」
「……カタコトじゃん。いや、ありがとな」
人生は色々。魂が入れ替わっても、肉体は弟のもの。この残りカスみたいな弟の身体も、今は綺麗さっぱりしていて、別人である。どことなく、結婚した頃の兄に似ていると。奥様は思った。モテるな。
「弟がよ」
「ん?」
「いやな。昔、漫画を作ろうと思っていたらしい。よく分からないんだが、漫画を描きたいって欲求が身体に出て来たんだ。あ、俺の魂はまったく思ってねぇんだよ」
「ふんふん」
「ともかく、今の俺には時間もあるから、漫画を描き始めたんだ。そんで面白い感じになったから、半年前、出版社に持ってたら好評でさ。いや、弟って意外と面白い漫画を考えていたのかって。関心しちまったんだ。近々さ、雑誌に載るからさ。買ってくんねぇか?コンビニでも置かれる雑誌なんだ」
「そうなの。分かったわ。購読してみる」
その後、弟の身体に入った兄は、一時期ながら漫画家になった。なんとか単行本を数巻出すまでには至ったものの、それっきりで打ち切りになってしまった。現実はやっぱり厳しい。
しかし、それは肉体が感じていた無念、悔やみが消えた事だった。急に漫画を描く意欲が無くなって来たのも、漫画家を辞めた理由だ。辞めた後はデキた彼女と結婚し、2児の子供を育てるパパさんとなって頑張っている。
◇ ◇
「くそーー、くそーー!」
そして、兄の身体に入った弟。今の彼は3年前と重ねるように、家に引き篭っていた。
妻と別れ、会社を辞め、それでも払い続けるものがあるため、借金をし、土地と家を売る。なんとかなっても、結局は上手くいかないため。また膨らんでいく。
転がったものが止められない。
ドンドン
「っ、………」
毎日、借金取りに追われる日々。神経をすり減らす日常やショックな出来事が立て続けに起こり、魂が初めて痛感した。彼はあの時のように絶望し、妬み、劣等感を味わった。この窮地を乗り越えるという気持ちがまるでない。
そして、今。鏡で自分の顔を見ると
「なんだこの顔……」
まるで、3年前の俺じゃあないか。なんだよ、この顔。兄の肉体だろうがよ。なんでこんな顔になってんだよぉっ。ふざけんなよ。勝手にキャッシュカードから金は降ろされまくるし。俺の身体に入った兄は、コンビニ店員ごときで喜んでやがって……、彼女ができてんじゃねぇーよ!
「チクショーーー!」
そんな叫びに乗じてやってきたのは、あの道化師だった。
「ふふふ、思った通りだ」
「!!お、お前は!あの時の……!そ、そうだ!元に戻せ!契約を破棄だ!!クソみたいな契約を結びやがって!どーやったら戻るんだ!?」
「戻る?お前さんは戻る事などありはしない。お前の魂はそんなものだからだ」
エノハ・ヨミトクは答える。なぜ、こんなことをしたか。
「私は悪魔じゃあない。目的があって、お前と契約しただけだ」
「目的だと!?なんだそれは!」
「それはな……」
今、エノハ・ヨミトクを絶頂にさせるとき
「”絶望してる奴を、さらなる絶望の淵に落としてやることなんだよ”」
「な、……なんだと……」
そうその顔だ。不平不満を吐き出しても、その立派に進歩したゴミカスな表情で、泣き出す様がたまんねぇんだよ。絶望を知ったと勘違いした人間共を、より深い絶望に落として殺してやることこそ。俺でも買えない絶望である、俺を喜ばせる娯楽。
「クソの魂で吠えてんじゃねぇぞ!テメェは何をやってもダメな野郎だったんだよぉっ。分かったか?この3年間のテメェのクソさでよー」
金も、命も、希望も、奪い取り。
「絶望に死ね。こーやってな」
死んでいく。
心臓と脳が止まった、綺麗な死体がそこに転がった。
希望も絶望も”購入”するものではない。過程が購入を通したとしても、自分で選び、掴んで、使う。それが出てくるものが希望であり、絶望である。
どこかにエノハ・ヨミトクが現れても、希望を”購入”しない事を勧める。
いずれ、絶望を掴まされるから。
この短編で登場したエノハ・ヨミトクは、自分の作った過去作の敵キャラでした。
結構強くて不気味で、印象に残っているキャラの一体です。
ただ、その作品内で戦った相手が悪かったから、もう故人です。
こーいう短編でしか登場しないかな。
故人にすると、こーいう時に後悔しますね。
こんな事を書ける辺り、自分の心にこのキャラの不完全燃焼があるのかなーって思いました。