第90話 魔王子様の水
ホセと名乗る研究者を取り逃がしてから一週間。
ルーとクーも、何とか以前と同じ日常に戻る事が出来た。
今回の一件に同行した人は皆、ルーとクーに優しくなっていた。
特にイグナスが、休みの日にルーとクーだけで無くティナとニィナの二人も連れて出掛けたりしているようだ。
イグナス自身が孤児だったから、という理由もあるのだろうけど、優しい人物のようだ。
強面の大男でそんな風に見えない。
見た目で損してるタイプだ。
ホセの指名手配と各国への通達は即日完了している。
どこに逃げたのか見当も付かない以上、世界各国に報せて各国で対応して貰うしかない。
ああいう倫理のたがが外れた奴は危険だ。
早急に始末を着けたい。
だけど、しばらくはまた姿を上手く隠すのだろう。
次の隠れ家の用意も含めての引っ越しの準備だったのだろうから。
それから更に一週間。
ホセに関する情報は一切入らず。
日常に戻りつつも維持していた戦意や緊張感を保つのが難しくなってきた頃にアイがある提案をする。
「ピクニックに行こう!」
「はい?」
また唐突だなぁ。一体どうした?
「何でピクニック?」
「この間の一件に関わった人は皆ピリピリしすぎ。表には出してないにしても、ね。ずっとこのままじゃダメ。それにあいつは多分すぐには捕まらない。ここらで一度、息抜きと気分転換が必要なの」
そうかもしれないな。
上手く気分転換してリフレッシュが必要かな。
というわけで翌日。
アイの提案で湖にピクニックに出掛ける事になった。
前回の十六名に加えて、父アスラッドと母エリザ。
両親の世話役にセバスンとマリア。
ルーとクーの同期、ティナとニィナ。
それから親衛隊から追加でリディアさん。
それにフェンリル一家を加えて、ピクニックにしてはかなりの大人数になっていた。
目的地の湖は日本で言えば琵琶湖にあたる。
大きさと形は琵琶湖と殆ど同じだと思う。
だか深さはこちらの湖の方が深いようだ。
確か琵琶湖の水深は最も深いとこで100mほど。
こちらの湖は水深500mほど。
約五倍というわけだ。
目的地までは馬車で移動。
今日は一日、仕事の話と暗い話は禁止だとアイからのお達しが出たので目的地の湖がどんな所か聞いてみた。
「綺麗なところよ。危険な魔獣も少ないし」
「色んな魚がいるから釣りが楽しいぞ」
「お父さんは釣りをするんですか?」
「まあな。お前もやるか?」
「そうですね。やります」
転生してから初めてだな、釣りは。
前世では偶にやっていたんだが。
「ウチは泳ごうかな」
「泳ぐにはちょっと早いんじゃないか?」
今は五月の中旬。
初夏とはいえ少々早いような。
「大丈夫。水着も持って来たし。今日は暑いしね」
まあ、アイなら大丈夫だろう。
元体育教師だし。
「泳ぐのは止めておけ。深い所には魔獣がいるからな」
「え~」
魔獣がいるのか。
浜辺は大丈夫なんだろうか。
「浅いとこには滅多にこないがな。水中に引きずり込まれたら厄介だ。遊ぶなら浜辺にしとけ」
「だってさ、アイ」
「は~い。せっかく可愛い水着を作ったのに」
「作ったのか?わざわざ?」
「そ。シルヴィさんに頼んで。これよ」
アイが魔法の袋から取り出したのは所謂スク水だ。紺の。
胸には平仮名で「あい」と書いてある。
「お前、これ…」
わざわざ作ってまで用意したのか、これを。
理解出来るのはボクとユウくらいだろうに。
「ちなみにユウは白スク水よ」
ユウ、お前もか。
ユウを見ると「ゆう」と書かれた白スク水を見せてくる。
お約束に忠実なのね、君達。
「ふ~ん。これ水に入る時に着る服?スク水って言うの?」
「水を弾く素材で出来てるんだな。男女共用か?」
「「「はい?」」」
「いや、これサイズが合えばわしが着ても問題なさそうじゃないか。便利そうだし」
女子用スク水を着たパパ上。
ダメだ、気持ち悪さと恐怖しか感じない!
「これは女子用ですから!絶対に止めて下さいね!」
「そうなのか?問題なさそうだがなぁ」
「男性用!今度男性用の水着を作って差し上げますから!」
「お、そうか?じゃあ頼むな」
「はい!お任せください!」
危なかった。
最悪の文化ハザードは避けられた。
しかし、考えてみればブラジャーだって、ユウとアイが作らなければ普及しなかったのだ。
水着もまともなのはないし、パパ上の反応は案外普通なのかもしれない。
そんなこんなで目的地までトラブルも無く。
無事に目的地に到着する。
「着いたー」
「へ~綺麗な水。飲んでも大丈夫そう」
ユウが言うように湖の水はとても澄んでいる。
琵琶湖と比べるまでもないほどに。
この世界の自然は汚染されていないのだろう。
環境保護の概念とか無いし。
「あ~喉が渇いたな。お~いジュン!」
「何ですか、お祖父ちゃん」
「水出してくれ!お前の魔法で!」
「あ、私も!お祖母ちゃんにもお願い!」
「あ、はい。いいですよ」
「あ、ウチも!」
「はいはい」
結局、お祖父ちゃんに便乗して全員がボクの魔法で出した水を飲みたいと希望したので全員分用意する。
ちょっと暑いし、冷えたやつを。
「ジュン様が出した水…何だか体液を連想しちゃいます」
「黙って飲みなさい、姉さん」
うん、余計な感想は言わなくていいぞ~。
「魔王子が出した水…なんか商品に出来そうじゃない?」
「商品名は『まおはす』とかどう?」
もしくは魔王子天然水とか。
まあ、どっちも不可だがな!
「それじゃ、いただきまーす」
「「「「いただきまーす」」」」
「はいはい、どーぞ」
ボクは自分の分は用意していない。
以前飲んだ事があるからだ。
その時は美味しいとは思ったが、大騒ぎするほどではなかった。
だから、みんながっかりするんじゃないかな、とか思っていたのだが。
「「「「う!」」」」
「う?」
「「「「美味い!」」」」
「え?そう?」
そんなに美味しい?
ボクはそこまで思わなかったけど。
「なんていうかよぉ~。砂漠を三日三晩彷徨った果てに飲んだオアシスの水つうかよぉ~」
アイよ、なんでそんな口調で?
「そして体中に染み渡るっていうかよぉ~。体中の水分が浄化されてるみたいな感じがしてよぉ~」
ユウ、お前もか。
「正に神の水、もしくは命の水って感じでよぉ~」
ルチーナまでもが。
てゆうか皆、顔がなんか濃くなってない?
「「「「んまぁ~い!」」」」
「何、その変なポーズ」
そんな、声まで変わって。
てゆうか君達、打ち合わせしたの?
全員息ピッタリじゃないか。
「ジュン様!」
「クリステア?」
顔は普通に戻ったけど、いつになく真剣な顔。
一体どうした。
「私はもう!ジュン様無しでは生きていけません!」
「え?何で」
「まさか水を飲ませただけで調教されてしまうとは!思いもよりませんでした!」
「え~…」
何言っちゃってんの、この子。
いや、まあいつも通りか。
「ほらほら、ルチーナ。出番だよ」
「申し訳ありません、ジュン様。今回ばかりは姉さんに完全同意です」
「はい?」
「私も!もはやジュン様無しでは生きていけません!」
「え~…」
何だろう、ボクの水って、なんかヤバイ成分でも混じってんのかな。
「とりあえず、もう一杯注いであげるから、大人しくしてなさい」
「「はい!ありがとうございます!」」
ああ、ルチーナよ。
やはり君はクリステアの妹なんだね。
今、すっごい痛感してるよ。
「ジュンよ」
「何です?」
今度はハティのお母さんか。
いや、後ろで一家全員が綺麗に並んでいる。
何事?
「お前を主に選んだハティの目は正しかった。流石は我が娘だ」
「はあ。ありがとうございます」
「そこでだ、我等フェンリル一家。お前を主と認め、生涯守る事を誓い、契約を交わそう」
「はい?」
「だからもっとお前の水をくれ」
何という事でしょう。
まさか神獣を従えるほどとは。
フェンリル達の顔は真剣その物。
しかし、尻尾は激しく振られている。
ちょっとした風が起きている程だ。
「あげますから、落ち着いて下さい」
「おお!感謝する!」
尻尾が振られる速度が上がった。
狼って肉食だよね?
いや、肉食動物も水は飲むけども。
「お兄ちゃん!」
「何だ、妹よ」
そんな真剣な顔して。
「本気で売り出そう!『まおはす』を!絶対売れる!」
「あ、『まおはす』で決定なのね」
魔王子天然水じゃ、ダメですか。
「でもさ、ユウ。売り出したら確実に売れると思うけど、ウチらが飲む分が無くなっちゃわない?」
「はうあ!それはダメ!」
「それにジュンの一生が水を出すだけで終わっちゃいそうだし。ジュンの水は身内で楽しむに留めましょ」
嫌だな、そんな一生。
まさに水商売。
「ふふふ、そうよ。こんな美味しい水を他人に売るなんて勿体ない…」
あれ、何だかアイが黒い?
「やはり酒を作るのがいいんじゃないか?」
「野菜を育てるのに使いましょ。きっとすごく美味しい野菜になるわ」
「家畜の飲料水にしてみよう。きっと肉が旨くなる」
大人組はボクの水の使い道を勝手に決めようとしていた。
勘弁して。
それから全員に三杯目の水を配ってからようやく遊ぶ。
男性陣は釣り。
女性陣は浜辺で水遊びをしたり、花を摘んだり。
フェンリル達は狩をしたり、昼寝をしたり。
皆、思い思いに過ごす。
こんな穏やかな時間が人生には必要だよね。
特に悲しい事があった後には。
人生辛い事ばかりじゃないと思えるようになるために。




