初夢(ショートショート)
佐藤義男は白い部屋にいた。とてつもなく広いような、それでいて狭いような、不思議な部屋だ。目の前には重々しい扉が一つだけある。
その時、白衣を着た男が現れた。
佐藤義男は訊ねる。
「あなたは?」
「そうですね、『担当者』とでも言いましょうか」
担当者は佐藤義男の質問に曖昧に答えると、手元の端末を見て続けた。
「佐藤義男さんですね。あなたは今日、好きな初夢を見ることが出来ます」
「好きな初夢?」佐藤義男は首を傾ける。
「そうです。正確に言えば、過去の映像です。あなたが戻りたい過去のシーンを、いくつか選んで見られるのです」
担当者は端末を佐藤義男の前に差し出すと、画面を縦にスクロールした。
「一番オーソドックスなのは、生まれてからの人生をダイジェストで見返すものです。バランスよく思い出に浸りたい方には、こちらをお勧めしています」
「他には?」
「他には、特定の記憶、場面に絞った映像も用意しております。例えば、学生時代お付き合いされていた女性と過ごした日々。甘酸っぱい思い出に浸れること請け合いです」
ううん、と佐藤義男はうなった。「あれは、あまり思い出したくもないからなあ」
「それなら、会社で一世一代のプロジェクトを成功させたときの記憶などは? あの時味わった興奮。サラリーマン冥利につきる瞬間だったのではないでしょうか」
「まあ悪くはないかな。ただ、わざわざ仕事の夢は見たくないなあ。どうせなら、もっと牧歌的で、幸せな思い出の方が……」
それではこれなどは、といって担当者が端末を操作した。
「奥様と結婚されてから、お子さんが大きくなるまでの成長記録はいかがでしょう。これこそまさに、幸せの象徴と言うべき記憶です」
佐藤義男は「悪くないな」と呟いてから、ようやく首を縦に振った。「よし、それで手を打とう」
「ありがとうございます」
担当者は安堵したように頭を下げた。
佐藤義男は、「それでわたしは何をすれば?」と早速訊ねている。既に意識は、これから見る初夢へと飛んでいるのだろう。
「簡単なことです」担当者は目の前にある扉を指差した。「そこを通って、ひたすらまっすぐ進めば良いのです。そうすれば、じきに夢は始まります」
「歩いているうち、夢の世界に入るということなのかね?」
「そんなところです」
「ちなみに、正夢になるようなシステムなどは? せっかくだから、この際宝くじでも当ててみたい」
「申し訳ございません。我々が提供するのは初夢で、正夢ではございません。現実世界へ干渉することは出来ないのです」
残念だな、と佐藤義男はため息をついた。
担当者は素早くそれをフォローする。
「初夢の方も、きっとご希望に沿えるものと思います。体験した方々からは『この上なく幸せな気分』との評価を頂いております」
「そうか、それでは安心して行くとしよう」
佐藤義男はそう言って、扉をくぐり抜けた。扉の向こうには溢れんばかりの光が満ちていて、その姿はすぐに見えなくなる。
その様子を見届けてから、担当者は静かに扉を閉めた。
すると、後ろから声を掛けられる。
「おつかれさん。交替の時間だよ」
いつの間に姿を現したのだろう。声を掛けた男は、担当者と同じく白衣を身にまとっている。同じ職場の同僚だ。
担当者は、同僚に向けて軽く笑う。
「どうにも最近、数が多くてね」
「仕方あるまい。新年早々、地上で大きな戦争があったらしいから」
「次から次にかなわない」
「まあそう言うな。俺たちの腕の見せどころじゃないか」
そりゃそうだけど、と担当者はため息を吐いてから言った。
「最後の最後に人生を振り返らせ、温かくあの世へ送り出してやる我々の心遣い。死んでから初めて見る夢、またの名を『走馬燈』とも……」