切ない天命
「存在自体を無かったこととされていた殿下の双子の兄弟が実は生きていて、しかも闇の天法術の使い手だった」
メイファの声は落ち着いているが、一言一言がやけに重く響いた。
「双子……それは奴の嘘かも知れませんよ」
リューシスは眉をしかめて、右手を額に当てた。
「いや、それはないでしょう。あの天法士の片目は潰れていたとはいえ、顔立ちから髪の質まで殿下と瓜二つ。しかも、天精の感じもよく似ています。殿下とあの男は双子で間違いないかと思います」
それを聞いて、リューシスは思い出した。
アンラードのマクシムの宰相宮で初めてジェムノーザが目の前に現れたあの夜。リューシスはジェムノーザと対決に及んだが、ジェムノーザの圧倒的な闇の天法術の前に倒れた。そして朦朧として意識を失って行く中で、リューシスは何故かジェムノーザを昔から知っているような感覚を覚えたのだ。
――あれは、俺たちが双子だったからか?
リューシスは、額に当てていた右手を口元に下ろした。
メイファは、ごほごほと少し咳をしてから、
「失礼しました……。それと、これは殿下の前では申し上げにくいですが、古来より双子は不気味な存在として忌み嫌われて来ました。王家や皇族などでは、後継争いの元となる為に特に嫌われ、民衆に知られた場合の影響も考慮し、出生した直後に密かにどちらかを殺したと言う例がハンウェイの史書にもいくつか残っています。特にリューシス殿下は、先帝陛下にとっては最初のお子。それ故に双子であったことは、先帝陛下が徹底して隠すようにしたのでしょう」
「……だとしても、一つ疑問があります。俺たちが双子として産まれて来たのを見た時、何故俺が選ばれたのかはわからないが、父上の性格からして恐らくすぐにジェムノーザを殺したはずだ。それなのに何故ジェムノーザは生きているんだ?」
「それはやはり先帝陛下も人でありますから、双子とは言え自分の子を殺すなどできなかったのでしょう」
「いや、父上の苛烈な上に果断な性格は俺がよく知っています。自分の子とは言え、後継争いの火種となるであろうこと、民衆や他国に知られた場合のローヤン皇家への影響などを考慮すると、父上の苛烈で果断な性格からして躊躇うことなくジェムノーザを殺したはずです。それが何故……」
と自問自答しながら言った時、リューシスはふと、幼少時の朧な記憶の中にある、母が時折見せていた憂鬱そうな表情を思い出した。
母リュディナは、ふとした時に物憂げな横顔を見せることがあった。
子供ながらも勘の鋭いリューシスは、それが母が何か憂いていることに気付く度に「何かあったの?」と訊いていたが、リュディナはいつも「何でもないわよ、明日のお天気が心配なの」などと作ったような笑顔を見せていたのだった。
今思い出してみれば、あの母の横顔の影は、もう一人の実子のジェムノーザを思っていたが故だったのかも知れない。
――もしかすると、母上が何か関係しているのか? 自分で養育はせずとも、何らかの方法で密かに生かしていたとか……。
リューシスの心臓が、急激に鼓動を速めて行った。
メイファは、考え込んでいるリューシスの顔を見つめながら、再び一つ咳をして、
「そう言われてみれば確かにその通り。謎でありますね」
「ええ……」
「……ですがそれはともかくとしてです。あの天法士は闇の術を使います。闇の天法術は最強にして危険極まりないもの。他の火、水、風、土などではまず対抗できません。ですが、闇と対称の存在であり、闇ほどではないですが使える者が非常に少ない光の天法術だけが、闇の天法術を破ることができると言う言い伝えがあります。」
メイファは真剣な表情で言い、
「危険な存在である闇の天法士が、奇しくも光の天法術を使える殿下の双子の兄弟だった。そして、殿下は私の教え子。この辺りに、私の天命があるような気がするのです」
と、言って微笑みを見せた。
「天命……か」
リューシスは、以前、クージン城外でチャオリーに言われた言葉を思い出した。
――殿下は生きなければなりませぬ。
――多くの欠点を持つ貴方様でありますが、それ以上に殿下には素晴らしい力があるのです。暗闇の世に光を与える力です。それをお忘れなきよう。
――ローヤン帝国の、龍が棲む紅い玉座には、貴方様が座らなければならないのです。
「…………」
「さて、殿下。もう少し眠った方がいいですね。それとも、何かお食べになりますか?」
メイファが椅子から立ち上がった。
その時、偶然リューシスの腹が鳴った。
「ふふ、何か作りましょうか。エレーナ様、バーレン殿も一緒に食べましょう」
「すみません」
リューシスは頬を赤くして頷いた。
その翌日も、リューシスらはメイファの家に宿泊し、休息を取った。
しかし、ここはラングイフォン州の端で、リューシスの勢力圏内からは微妙に外れており、安全な場所ではない。なるべく早く自勢力圏内へ戻る必要がある。
その翌日、体調が未だ戻りきらないリューシスはまだ床の上に横たわっていたが、バーレンとエレーナを呼んでクイーン州への撤退方法について話し合っていた。クイーン州へはすでに使者を走らせている。この日にでも出発するつもりであった。
ちょうどその時であった。
外から兵士二人が慌ただしく報告に駆けこんで来た。
「斥候より報告です。南西ジュレイン付近に、ラングイフォン勢と見られる一軍があり、こちらへ向かって来ている様子。その数およそ五千人!」
「五千人?」
エレーナは顔を青くし、常に冷静なバーレンも流石に目の色を変えた。
リューシスもまた、
「もうここが見つかったか。それに五千人……流石に勝負にならない。すぐにここを発とう」
と、床を降りたが、胸に不快感を感じて咳き込んだ。
「殿下、毒は抜けていないのです、無理はなさらぬよう」
入って来たメイファが、薬湯を入れた茶碗を差し出した。
リューシスは茶碗を受け取って一気に飲み干すと、メイファの顔を真っ直ぐに見た。
「ありがとうございます。何から何まで……」
「当然のことです」
「先生、今お聞きの通りです。俺たちはすぐにここを発たねばならなくなりました」
「折角久しぶりにお会いできたのに残念ですね」
メイファは寂しそうに微笑んだ。
リューシスは真剣な顔で床から降りると、メイファの前に立った。
「先生、もう一度言います。ルード・シェン山に来ませんか? 一緒に」
メイファは困ったような顔で少し黙り込むと、窓の外に見える林を見ながら、
「ありがたいのですが、今はちょっと体調がきついのです。急ぎの軍について行くのは難しいと思うので、やめておきます」
「そうですね……」
「でも、近いうちに折を見て一度伺おうと思います。必ず」
メイファは強調するように言った。
「わかりました。是非、そうしてください。約束ですよ」
リューシスは微笑んで言うと、部屋を出て着替え、準備をしてからメイファの家を出た。
その時には、すでにバーレンとエレーナが兵士たちを集めて出発の準備をさせていた。
馬に跨ったリューシスは、まだ疲労の抜けきっていない顔の兵士らを見回して、
「すでに聞いている通り、ラングイフォン勢がこちらに向かっている。それ故にすぐにここを出発する。目指すのはここから最も近いクイーン州のプロン城だ」
と、言い渡してから、後ろに見送りに出て来ていたメイファを振り返り、
「では、先生。ありがとうございました。また会いましょう」
「ええ。さっきも言った通り、私からルード・シェン山に伺いますよ。殿下もお気をつけて」
「はい」
「バッシュ・スディ・バーバイニィ」
と、メイファは花のような微笑で言った。ローヤン語で”ご武運あらんことを”の意味である。
リューシスもにこりとし、「スパシーヴァ」とローヤン語で礼を返すと、前方を向き直して「進軍」と告げて馬腹を蹴った。
今や五百人にも満たない小勢の敗軍を率いて、リューシスは進む。
後方にメイファの家が小さく遠ざかって行く。
リューシスは一度も振り返らなかったが、おもむろに、手で唇を触った。
一方、遠ざかって行くリューシスらの後影を見送りながら、メイファは両手を胸の前で重ねた。
二人ともまだ思い出せていた。
昔、切なさの中で確かめ合った互いの体温を。
それから約二時間後、放っていた斥候の一人が戻って来てリューシスに報告した。
「ラングイフォン勢はアルテム・マハーリン将軍が直々に率いているようです」
「アルテム本人かよ」
リューシスはため息をついた。
「しかも、我々の動きを知って、軽騎兵約一千人を切り離してこちらへ急行させたようです」
「何?」
リューシスは顔色を一変させた。
「ここが必殺の機だと見たか。確実にここで俺を捕らえるつもりだ……プロン城へはあともう少しだ。急ぐぞ!」
リューシスは、全軍の速度を上げた。
しかし、傷ついているこちらに比べ、ラングイフォン勢は無傷で元気な軽騎兵である。その差はどんどん縮まって行っているようであった。
そしてすぐに、斥候が「敵勢、後方およそ八コーリーの地点に!」と報告するほどまでに迫られた。
「仕方ない。覚悟を決めてここで一戦するか」
リューシスは腹をくくり、全兵士らを見回してから素早く頭の中に作戦を巡らせた。
だがその時であった。
リューシスらが進む原野の遥か前方、小山の陰から砂塵と共に騎兵隊らしき集団が突出して来た。
「向こうからもか!」
リューシスの心に絶望が這い寄った。
「皆、すまない、ここまでだ! 全ては俺の失策だ。逃げたい者は逃げていい。降りたい者は降っていい。戦える者は俺と共に戦ってくれ!」
リューシスは悲壮に叫ぶと、長剣を抜いた。
しかし、そこでエレーナが叫んだ。
「待って、リューシス!」
「何だ!」
「あれは味方じゃないの?」
エレーナは目が良い。蒼い瞳を大きくして前方を凝視した。
「何?」
リューシスも目を凝らした。
すると、遠くてはっきりとはわからないが、先頭を駆けて来る騎兵らの軍装と、青天に翻る軍旗に確かに見覚えがある。
それは、迫って来るに連れて徐々にはっきりと色と形を成した。濃紺と銀色の甲冑、赤地に銀色で染めた龍の軍旗。ルード・シェン山のリューシス軍騎兵の軍装であった。
「味方……か?」
リューシスの顔はみるみる明るくなり、そして先頭を駆けて来る二人の将帥の姿をはっきり視認すると、驚喜した。
一人は筋骨隆々たる巨漢武将で、もう一人は華奢な女性将軍であった。
「ネイマンとシュエリーだ。何でここに?」
リューシスは確信すると、馬を走らせた。
「ネイマンにしてはやるじゃねえか」
バーレンは笑って続き、エレーナ、兵士らも歓喜して走る。