友を救え
「何、殿下が斬首刑? 裁判もせずにか?」
ワンティンとシャオミンの話を聞き、バーレンが常に冷静な表情を一変させた。
ここは外城の繁華街の外れにあるジェズ楼と言う酒楼である。ユエフー楼は大人数での宴会の時に使うが、普段仲間内の少人数で集まって飲む時は、いつもここであった。
ネイマンがワンティンとシャオミンを連れてこの店に来た時、バーレンとイェダーはすでに店内の隅の壁際の卓で待っていた。
彼ら三人は、リューシスが皇帝暗殺の容疑で捕まったと聞き、急遽この店に集まる約束をしていたのであった。
「おかしいだろう。明日、裁判をするんじゃなかったのか? 盗賊でもあるまいし、いくら皇帝暗殺容疑だとは言っても、皇子が裁判もせずに斬首刑になるなど聞いたこともない」
真面目なイェダーが怒って声を荒げた。
「でも、皇帝陛下が急に考えを変えてそう決めちゃったんだって。先日の手紙も、やはり本当だったんだろうってとても怒っているって、見回りの兵士達が言ってたんだ」
シャオミンが卓上の皿に盛られていた塩茹で落花生を齧りながら言うと、
「そもそも捕えられたのだって無実なんです。きっと殿下を嫌っている丞相の謀なんです。皆さん、どうか殿下を助けてください」
ワンティンが懇願するように三人に言った。
だが、三人は悔しそうな顔をしているものの、無言のまま何も答えられなかった。
無理も無い。皇子であり主君であるとは言え、皇帝の命令により斬首と決まった罪人を脱走させるのは、同じく斬首に等しい大罪であるからだ。
そもそもワンティンは簡単に言うが、皇宮内の地下牢に行ってリューシスを救出するなどとは、いくら三人が強く有能であるとしても至難の業である。
そして、仮に救出できたとしても、その後三人は国賊として追われる身になってしまうのだ。
いつも冷静なバーレンや真面目なイェダーはもちろんのこと、激情家のネイマンでさえ沈黙していた。
「みんな……どうしたの? いつもならすぐ動くじゃん」
シャオミンが肉球から落花生を落として卓から浮かび上がり、不安そうな顔で三人の顔を見た。
「…………」
三人とも、明らかに迷っている。
本心ではリューシスを助けたいのであろう。だが、それを行った時に被るであろう代償の途轍もない大きさに、身体が動かなかった。
バーレンは腕を組んだまま、ネイマンは唇を噛んだまま、イェダーは顎に手をやったまま、言葉を発せなかった。
ワンティンは泣きそうな顔で三人の顔を見回していたが、突然財布の革袋を卓の上で真っ逆さまにした。
金貨十数枚と、沢山のローヤン銅貨が音を立てて散らばった。
驚く三人。
ワンティンが叫んだ。
「バーレンさん、ネイマンさん、イェダーさん、お願い、殿下を助けて! お金ならここにあります。三年間、毎月ちょっとずつ溜めたものです。さっき城門を出るのに結構使っちゃいましたけど、まだまだあります。これを全部差し上げますから、どうか殿下を……!」
ワンティンは、ついに堪えきれずに泣き出した。
何事が起きたのかと、飲んでいた他の客がざわめきながらこちらを見る。
三人の顔色は変わっていた。
バーレンが表情を緩めて、呆れたように笑い出した。
「俺としたことが何を迷っているんだか。答えは一つしかないと言うのに」
「そもそも俺達は親も兄弟も土地もねえ。あいつが死んだらチンピラに逆戻りなんだ」と、ネイマン。
「殿下の危機だと言うのに」と、イェダーも頷いた。
三人の顔に、すでに迷いや躊躇いは無かった。
バーレンがワンティンに言った。
「ワンティン、金をしまえ。それはもっと大事な時の為にとっておけ。殿下は皇子であり主君であるが、その前に友達だ。友人を助けるのに金をもらおうとする奴がいるか」
「じゃあ……」
ワンティンの泣き顔が明るくなった。
「殿下を助ける」
バーレンは力強く椅子から立ち上がった。クールな顔に滾るような闘志が漲っている。
「よし、やるぞ」
イェダーも立ち上がったのだが、ネイマンは困ったような顔になり、バーレンも難しい顔になった。
「お前はやめておけ」
「何でだよ。何言っているんだ、こんな時に」
イェダーは怒って文句を言った。
「俺達は家族もいないしローヤンの正規兵でもない。だけどお前はれっきとしたローヤン軍の武官であり、妻も子供もいるんだ。いいか? これは失敗すれば俺達も命を失うんだぞ」
「俺達が失敗などするものか」
「いや。成功したとしてもだ。その先、俺達は殿下と共にアンラードを脱出することになる。その後は国賊として追われて逃亡する身となるだろう。二度とアンラードには戻れなくなる。お前、ユーエンさんと赤ん坊に会えなくなるぞ」
「それは……そうだが……」
イェダーは口ごもった。
「どっちにしてもだ。お前はユーエンさんを独り身にし、赤子を父親の記憶もないままに父無し子にしたいのか?」
そうバーレンに言われて、イェダーはもう何も言えなくなってしまった。
――とりあえず、宮城から出ないと。
リューシスは、薄暗い宮城内の中庭を走っていた。
目指すのは東門。
これは、ワンティンと同じ理由である。
だが、一つの高塔の脇を曲がった時、四人ばかりの衛兵に出くわした。
四人は驚いて声を上げた。
「あ、リューシス殿下だ」
「脱走してるぞ!」
「大変だ、お前、知らせて来い」
「おう」
一人が慌てて夜闇の向こうへ駆け出した。
残りの三人が剣を抜いて構える。
リューシスは舌打ちし、剣を防御的な構えである下段に構えた。
だが、夜闇の向こうへ駆け去って行った一人が東門の方向へ向かっているのを見ると、いきなり踏み込んで不意打ちの一閃を左の衛兵に浴びせた。斬りかかられた衛兵は咄嗟に剣を振り上げて受け止めた。
続けてリューシスは水平に剣を振った。三人は共に後方へ飛んでそれを避ける。
その隙であった。リューシスは背を向けて後方へ駆け出した。
「逃げたぞ、追え!」
走りながらリューシスは左の掌を開いた。雷気を纏った光の粒が集まって塊となる。
駆けながら振り返ると、左手を振った。
黄白色の光砲はうねりながら飛び、真ん中の一人に命中した。驚いて避けた両脇の二人が体勢を崩してよろめいた。
リューシスはその隙に速度を上げ、建物の角を曲がり、また更にその角を曲がる。
その時、急を知らせる鐘の音が東門の方より甲高く鳴り響いた。
――もう鳴らしやがったか。まずいな。
リューシスの心に焦りが生じる。
と、前方に衛兵二、三人の影が揺れた。
「いたぞ、殿下だ!」
リューシスは舌打ちし、引き返して倉庫の角を曲がった。
芝生を踏みしめ、懸命に走る。左手の建物と建物の間の向こうにも、衛兵の姿がちらりと見えた。
「リューシス殿下だ!」
叫ぶ声を遠くに聞き流し、リューシスは更に走る。
宮城内の北の方の広い中庭に出た。そこにはまだ衛兵の影はない。
前方に石造りの建物がある。リューシスはその裏手に回り込んだ。
見れば、壁の少し上の方に大き目の窓がある。
リューシスはよじ登り、その窓から中に入った。
暗い廊下には、壁面に灯火があるのみで、人の気配が感じられない。
――急ぐ時だが少し休まないと、これ以上はもたない。
リューシスは立ったまま休んだ。
激しく乱れた呼吸を整えながら、ここは何の建物かと見回す。
だが、
――あ、ここはマクシムの宰相宮じゃないのか?
と、気が付いて顔を青くした。
これはとんでもないところに入ってしまったと、慌ててまた窓から出ようとしたが、ふと一組の男女の嬌声らしきものが聞こえて、その脚を止めた。
耳を澄ませると、
「何だか騒がしいですわね、どうしたのかしら」
「衛兵どもが喧嘩でもしているのだろう。まあ、今夜の警備は頑固者のビーウェンに任せてあるから心配はいらん。さあ、俺はもうだいぶ酔っ払ってこれ以上は飲めん。もう寝るぞ」
かすかにだが、確かに男女の声だ。
しかも、男の方はマクシムの声のようである。
(今夜はここに詰めていたのか。しかしあの野郎、俺の斬首が決まったので女を連れ込んで祝杯を挙げてるわけか)
リューシスの心中に、カッと燃え上がるものがあった。
――油断して酔っ払ってるなら絶好の機会だ。ここで始末して行ってやる。
リューシスは全身に闘志を奮い立たせると、鮮血がこびりついた剣を右手に提げたまま、廊下の奥へと小走りに走った。
最奥が、マクシムの寝室を兼ねた居室となっている。
木の扉の前には、警備の兵が二人いた。
兵士二人はリューシスを見て仰天した。
「リューシス殿下……何故ここに? ま、まさか脱走して……?」
「そのまさかだ。どけっ」
リューシスはいきなり剣を閃かせた。
左右に銀色の刃光が往復し、呻き声と共に血が飛び散った。
そして返り血のついた扉を開け、中に入った。
広々とした部屋にはすでに灯りは無く、真っ暗であり、肌にひんやりとした冷気が漂っている。
その中で、男の大いびきが響いていた。
そのいびきの聞こえる方に、天蓋のついた床がある。その中に、人影があった。
――マクシムだ。まだ気付いてねえ。
リューシスは息を押し殺し、ゆっくりと歩み寄って行った。




