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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編

狼は泣き、雀は笑う

作者: 霧島躑躅

 昔々あるところに、今は既に滅びて亡い古王国がありました。

 その国の王族は世界で最も古い血統を保つ稀少な王族として世界規模で保護されており、日々を穏やかに気ままに生きていました。


 そしてある時、その古王国に双子の姫君たちが生まれました。


 双子姫はよく似た容姿ながら、中身は対照的でした。

 姉の方は陰気で無口、いつもつまらなそうにため息をついては周りの者たちを不快にさせていました。

 妹の方は朗らかで誰に対しても親切で、内面からの輝くような生気に溢れて誰からも慕われていました。


 そんな双子の姉妹も年頃になり、縁談が舞い込むようになります。

 しかし、勿論縁談相手が求めるのは妹姫ばかり。

 それも、他国の王族から嫁に欲しいとの書簡が多くを占めました。

 可愛い娘を他国にやりたくはない王と王妃、それに妹姫を愛する者たちは、皆で一計を案じました。

 容姿だけはよく似た双子の姉姫を嫁に出し、妹姫に婿を取らせ国を継いでもらおう、と。

 本来ならば第一子の姉姫が王配を得て女王となるべきでした。

 ですが姉妹は双子です。

 ならばどちらが姉でも構わないではないか、と結論し、姉姫を妹姫へのしつこい求婚者の一人に妹姫であると偽り嫁に出してしまったのです。



 驚いたのは、美しく愛らしいという妹姫の噂を聞き妻にと望んだ若き王でした。

 銀狼王とも呼ばれるその王は、僅かな嫁入り道具を持ってたった独りで嫁いできた姉姫を見て驚きました。

 つまらなそうに、何もかもを諦めたようにため息をついて、自分を嫌々護衛してきた兵たちが帰国するの背中を見届けた彼女は、銀狼王を見て軽く笑ったのです。

 それは嘲笑でした。

 若い王故に、何度となく嘲笑されてきた銀狼王はその笑みを見て苛立ちました。

 まるで王を嘲笑しているように見えたのです。


 噂とは全く違う妹姫――いいえ、噂に聞く姉姫そのものの嫁に、王は自分が謀られたと知ります。

 けれど、王の矜持に掛けて別人を娶ったなどとは口が裂けても言えません。

 銀狼王は姉姫を王妃の間に押し込んで存在を無視し、側室を多く娶ることで矜持を保ちました。



 そして姉姫が嫁いできた明くる年、銀狼王は姉姫の故国を訪ねる用が出来、せめて彼の国の王から自国に都合のよい交渉を引き出して見せようと意気揚々と乗り込みました。


 そこで銀狼王は信じられない姿を見ることになります。



 案内された客間で眠っていると、何やら甘い香りに頭が覚醒しました。

 少年の頃の銀狼王は若く凛々しく美しく、自国では多くの女の憧れの的でした。それ故に、頻繁に寝込みを襲われることがありました。

 王という確固とした権力を得てからも――いいえ、得たからこそより激しく、女たちから狙われ、寝室に忍んでくる女は絶えませんでした。

 銀狼王はそういった慎みのない女が心底嫌いでした。女に寵を与えるかどうかは自分が選ぶものであり、女が勝手に望んで得られる寵ではないというのが銀狼王の考え方です。

 そのため、異国の地で――それも自分を謀った国の女が忍んできたことに、銀狼王は怒りに震えました。

 剣を抜き、自分に覆い被さる女を組み敷き、誰何します。

 その顔を見て目を剥きました。

 嫁いできた日に一度だけ顔を合わせただけの妻とよく似た、それでいて一目で性格が真逆だとわかる彼女こそ、無自覚ながらも銀狼王の求婚を退け姉姫を身代わりにした妹姫だったのです。


 彼女はこともあろうに、姉姫の夫であるにもかかわらず、銀狼王の精悍な武人の色香に恋をしたのでした。


 妹姫の周りには貴族特有の貧弱な顔だけの男か逆の身体だけの男しかいなかったから、美しくも強靱な肉体を持つ銀狼王に一目惚れしてしまったのです。


 妹姫は銀狼王に訴えます。


 私は貴方を恋い慕っていたのに、姉姫が勝手に自分を押しのけて嫁いでしまったのです。


 銀狼王は、美しい妹姫に潤んだ眼差しでお慕いしておりますと縋られ、ついに恨みも忘れて受け入れてしまいました。


 妹姫は、本当は両親や周りの者たちが姉姫を無理矢理嫁がせたことを知っていましたが、今までどんな我が儘も叶えられてきたために罪悪感など持ちませんでした。

 世界は自分のためにあると、本気で信じていたのです。


 滞在期間を延ばして何度も逢瀬を交わし、妹姫は子を孕みました。

 王と王妃は妹姫が銀狼王の元へ通っていることを知っていたので驚きはなく、妹姫が銀狼王に告げたように姉姫の我が儘故に娶せられなかったのだと偽りを吹き込みました。

 既に妹姫の愛らしさに心奪われていた銀狼王は王と王妃を許し、姉姫の処刑許可を得ます。

 自分と妹姫の仲を引き裂いた姉姫が許せなかったのです。


 妹姫を手放したくない気持ちは変わらない王と王妃は、妹姫が懐妊中なのを理由に国に留め、銀狼王は単独で帰国しました。

 帰ったならばすぐにでも姉姫を殺してやる、と。


 しかし、妹姫との蜜月のために予定以上に長々と滞在してしまったことで半年ぶりに帰国した銀狼王は、またも信じられないものを目にすることになりました。



 国境内に立ち入って暫くすると、自分を迎えにきたのだと思っていた衛兵たちに囲まれて両手足を拘束されてしまいます。

 勿論、銀狼王は怒り、まさしく狼のようにうなり声をあげて威嚇しました。

 銀狼王は自らの足で歩くことも許されないまま、慣れ親しんだ玉座の間に運び込まれます。


 そこにいたのは――銀狼王の従兄でした。そしてその隣には銀狼王の妻になったはずの姉姫が王妃として腰掛けていたのです。


 銀狼王に対して金雀と呼ばれていた小柄な従兄は、銀狼王を見下ろしたまま一方的に告げました。


 玉座は既に我が物である、と。


 銀狼王が姉姫の故国に旅立った後、国内では銀狼王が手をつけた側妃たちによる殺し合いが勃発したのです。

 銀狼王が発って直後に発覚した、側妃の内権力を持つ貴族出身の二人の懐妊が原因でした。

 二派閥に分かれて罵り合い、掴み合いをし、毒を送り合い、そして最後には妃たちの実家を巻き込んだ内乱になりかけていたのです。


 そこで、災いの種である妃たちには腹の子共々死んでもらい、元々見過ごせないほどの権力を持ち始めていた妃たちの実家はお取り潰しにし、由緒正しい古王国の姫であり誰もが彼女と王の間には一度の交わりもないと――清い身と知っている姉姫を王家の血の濃い金雀に娶らせ王を変えることで一連の騒動に完全な終止符を打ったのです。


 何故自分に知らせなかったのか、と銀狼王が怒鳴り声をあげれば、宰相が悲しげに首を振りました。


 幾度となく密書を送りましたが、返事はありませんでした。

 銀狼王の帰りと返事を待っていては、国が荒れていたことでしょう。

 故に銀狼王が自ら譲位したことにし、すでに金雀王の戴冠が執り行われたのです。

 これは我が国のためであるのです。

 前王としての誇りがまだ僅かなりと残っているならばどうかご理解頂きたい。


 宰相が切々と訴えました。

 ですが、密書など知らない銀狼王は喚きます。

 そこで初めて姉姫が口を開きました。

 相も変わらず、疲れたようにため息をつきながら。


 貴方が妹姫と懇ろになったと間者から報告がありました。

 密書が貴方に本当に届いていないならば、それが理由でしょう。


 どういう意味かと問えば、姉姫は再びため息をつきます。


 あの国はとうに狂っています。

 妹姫のためならばと、誰もが正当性を振りかざし、法を侵し、人を騙し、欺き、殺し、数多の罪を重ねてもそれに気づかず、気づいたとしても重きを置かず、ただただ妹姫のためにと世界を回します。

 貴方を欺いて私を妹姫と偽り娶せたようにね。

 つまり――密書を握りつぶしたのは、古王国の王でしょう。

 密書を運んだ兵は、殺されてしまったのでしょう。

 妹姫と貴方が何の障りもなく結ばれるために。

 けれど、銀狼王よ。

 あの国は妹姫を手放しはしないでしょう。

 そして、妹姫が貴方を望む限り、貴方は妹姫から逃れられないでしょう。

 それはいずれこの国に災いを呼び寄せます。

 貴方はこの国の王でしたから。

 貴方が妹姫をこの国の王妃として娶るのではなく、貴方が妹姫の婿としてあの国に行かねば、貴方が生きている限りこの国ごと貴方を手に入れようとするでしょうね。

 武力を用いてでも。


 淡々と紡がれた言葉からは何の悪意も感じられず、ただただ真実を述べているのだと誰もが理解しました。


 金雀王は語り終えて疲れたようにぐったりと椅子に背を預けて黙った姉姫の手を握り、安心させるように微笑みました。

 それから銀狼王に視線を戻して言います。


 聞くところによると、銀狼王よ。

 貴方は妹姫との間に子をなしたという。

 だが、それは本当に貴方の子か?

 妹姫は十二歳の頃、密かに第一子を産み落としたと、此度貴方についてあちらに行った我が国の間者が調べを持ってきた。

 すでに六人の子がおり、それぞれ父のもとに引き取られ育てられているという。

 貴方が抱いた妹姫に破瓜の血は確認されただろうか?


 銀狼王は首を傾げました。

 破瓜とはなんぞや、と。

 銀狼王がこれまでに相手にしてきたのは、未亡人や貴族の既婚夫人、王の寵を得るために実地で性技を学んだ貴族令嬢など、純潔とは無縁の女たちばかりでした。

 また、銀狼王の国では処女性にこだわりはなく、王に嫁ぐ女に関しても直系王家の血筋には世界でも珍しい銀色の瞳という特徴が必ず赤子に出る決まりがあるため、重視していなかったのです。

 銀狼王も金雀王も、髪の色こそそれぞれ赤銀と金茶ですが、瞳は混じりけの無い銀色。

 故に、妹姫が産む子供も、銀狼王の子ならば銀色の瞳でなければおかしいのです。


 破瓜の意味すら知らなかった無知な王を金雀王は笑いはしませんでした。

 重ねて言いますが、処女性に価値は置いていない国風なのです。その分、既婚者の浮気に関しては厳しい罰があるのですが。

 王が望んで、夫が許した場合に限り、二度と子を孕めなくなる虞のある程強力な避妊薬を飲んで王に侍ることが許される既婚夫人を除いて、多くの場合男女問わず収監されることになります。


 反面、古王国は最古の王族の血統を守るために世界的に庇護されているため、王族のみならず貴族、平民に至るまで女の処女性を重視しなくてはなりませんでした。それは古王国の意志で変えられる決まりではなく、庇護を受ける上での義務であったのです。

 誰が説明しなくとも、それは当たり前の事実でした。

 銀狼王が知らなかったのは、銀狼王の国のルールこそが至上であり他国もそう変わらないものと信じていたからです。特に少年期を王位争いで奔走していた銀狼王は王として必要な知識を得ることが優先で、他国の暗黙の了解などに気を向ける余裕はありませんでした。



 さて、と金雀王は妹姫への不信感を募らせる銀狼王に選択肢を与えました。


 ひとつ、この場で処刑される。

 ふたつ、二度とこの国に足を踏み入れぬと貴族たちの前で誓った上で妹姫の婿になる。これは二度とこの国の王として玉座に舞い戻れないようにと言う処置である。

 みっつ、生涯を地下監獄で過ごす。この場合、万が一のために去勢する。


 どれを望む?



 銀狼王は勿論妹姫の婿になることを選び、国を後にしました。

 怒りとも悲哀ともわからぬ何かを背負い、金雀王と姉姫への呪詛を喚いて妹姫の元へ立ち返ったのでした。



 銀狼王が去り、はあ、と疲れたため息をついた姉姫を、金雀王はそっと抱き上げました。


 お疲れでしょう。もう、休んでください。


 姉姫はほんのり笑んで、頷きました。



 新たな夫である金雀王によって部屋に運ばれた姉姫は、寝台に横たわりながら妹姫を思いました。

 誰からも愛された美しく朗らかな妹姫。けれど、それでも陽の当たるところには影が生まれるのです。


 妹姫に男を奪われた女たち。

 妹姫の我が儘で家族を失った遺族たち。

 大切な物を、家宝を、思い出を。

 欲しがった分だけ、周りが持ち主から容赦なく奪い取り与えてきました。

 その怨恨は深く暗いもの。


 たとえば毒。

 たとえば剣。

 たとえば恨み言。


 そんな恨みつらみから、王や王妃は姉姫を生け贄にして妹姫を守ってきました。


 姉姫の体は、毒に蝕まれ、怪我で傷だらけでした。心も、ひたすら痛めつけられました。

 よく似た容姿の双子の妹姫の身代わりになって――させられて。


 ため息をつくのは疲れやすいからです。

 暗い表情は人生に光が見いだせないからです。

 陰気に見えるのは体力を温存しているためです。


 他国へ嫁に出された時はようやく彼らから離れられると胸をなで下ろしました。

 この国まで護衛してきた兵士や侍女がひとり残らず帰って行った時には、自分の扱いの軽さに自嘲の笑みがこぼれました。

 銀狼王に捨て置かれた時には、醜い体を見られずに済むと――愛を期待しなくて済むと、安堵したのです。


 けれどとうとう、金雀王との初夜の時に傷だらけの身体を知られてしまいました。

 銀狼王に見向きもされなかったことで助かったのに、と恨めしく思ったのも束の間。金雀王は慈しみの眼差しで姉姫の傷ひとつひとつに優しく口づけを落としていきました。

 姉姫の言葉を聞きたがり、気持ちを知りたがりました。

 生まれて初めて向けられた関心と優しさに、姉姫は金雀王への忠誠を誓ったのでした。



 一通りの片づけを終えた金雀王はそっと妻の様子を見に行きました。

 幼い頃から一身に妹姫への憎悪を身代わってきた、何もかもに期待することを止めてしまった悲しいヒト。


 金雀王は元々、感情に乏しい男でした。

 なのに何故でしょう。

 彼は心の奥底からわき上がる、どうしようもないほどの姉姫を慈しみたい気持ちに戸惑っていました。

 体中の傷を見て、毒にやせ細った身体を見て、諦めに満ちたぼんやりした双眸を覗き込んで。

 この人を愛し守りたいと――。

 生まれて初めて誰かに関心を抱いたのでした。


 それは同情だったのかもしれません。

 それとも、恋だったのでしょうか。


 理由など何でもいい、と。

 金雀王は眠る姉姫を優しく撫でます。


 まずは身体を蝕む毒を解毒する方法を探さねば、と姉姫が幸いを得られるための準備を頭の中で考えます。

 あの国はもういらない、とも。


 銀狼王の気性を思い、金雀王はふふ、と小さく笑いました。

 その声に反応して姉姫が睫毛を震わせ、ゆっくりと開いた瞳が金雀王を映し――姉姫が幸せそうに微笑みました。


 ああ、このヒトの幸いは自分である。


 そう理解して、金雀王はより深く笑います。




 さて。

 一方の銀狼王と妹姫ですが――婿入りして暫く後に生まれた子供の瞳の色は、確かに銀色をしていました。


 銀狼王は安堵しましたが、けれど正式に婿になってから知らされた妹姫の奔放さに唖然としたものです。

 よくよく考えてみれば、それは王族の男が女を侍らせるのと大差ない行為でしたが、男が複数の妃を持つことは当たり前でも女が複数の情夫を持つことは受け入れがたい淫行でしかなかったのです。


 そして金雀王が言った、妹姫の産んだ子供。

 それは報告の通り六人でしたが、銀狼王との結婚後も増え続け、今では十人にまで達していました。

 古王国の王と王妃は、自分たちの国が安寧の中にある理由は我が血筋故と理解していました。だから、妹姫の周りには相応の血筋の男を配置し、他国から血を薄めるつもりかと口を挟まれないように手を尽くしていました。

 故に、最愛の妹姫が産んだ孫たちはどれも正しい血統の愛すべき孫と認めて溺愛していたのです。


 妹姫は王侯貴族の女性によく見られる体型の維持云々など気にせず、愛の証であると笑って身を重ねた男の子供を次々に産んでいきます。

 それでも彼女は美しいままです。

 妹姫を愛する侍女たちが、使命感に燃えて妹姫の美しさを保っていたからです。


 結局、銀狼王の子はたったひとりだけでした。

 何故ならば、妹姫の腹は常に誰かの赤子で埋まっていたからです。


 婿と言っても名ばかりの、妹姫の情夫の一人でしかなく。

 妹姫が夫婦の寝台で他の男と仲良くしているのを暗い目で睨むしかできません。

 だってもう国には帰れないのですから。


 そしてそんな陰気な銀狼王に、妹姫は愛が冷めていくのを悟りました。


 元々妹姫は、銀狼王の王として自信に満ちあふれ、武人の強靱さを抱いた男としての魅力に惹かれたのです。

 それが今やさっぱり感じられないのです。


 妹姫は次第に銀狼王を疎みだし、妹姫を愛する者たちはそれを察知し銀狼王を排除しようと動き出しました。


 銀狼王は妹姫が自分を排除したがっていることに薄々と感づいていました。

 そして、凶手が自分を襲ったその時、銀狼王の我慢も限界に達したのです。


 元々、銀狼王は一国の直系王族として下にも置かない扱いを生まれながらに受けていました。

 それが、妹姫に関わってからは侮辱されてばかり。幾度も求婚を断られたと思ったら、姉姫を妹姫と偽り輿入れされ、従兄に妻と玉座を奪われ、浮気を繰り返す妹姫の婿となって周りに軽視され――殺され掛けたのです。


 原因は何か。

 元凶は何か。


 答えはすぐに見つかりました。




 その日も妹姫は、真っ昼間からお気に入りの男と愛を確かめ合っていました。

 銀狼王を始末しておく、と誰かが言ってくれたので、今度は誰を夫にしようかしらと考えてさえいました。


 分厚い扉の向こう側――部屋の外の騒がしさなどまったく聞こえず、白い身体を艶めかしくくねらせます。


 ですが、突然その扉が勢いよく開かれたのです。


 さすがの妹姫も驚いて身を起こしましたら、視界に飛び込んできた闖入者に目を剥きました。


 正式な夫であり、……本来ならば今頃はもう死んでいるはずの銀狼王が血塗れで立っていたのです。


 それが返り血とは知らず、妹姫は死ぬ間際に自分に会いたくてきたのだと信じました。

 そんな銀狼王が愛おしく思えて、微笑みを浮かべて彼を迎える為に寝台から飛び降ります。

 子を十人も産んだとは思えない身体を惜しげもなく晒して銀狼王の最期を看取らんと駆け寄り――。


 その手が触れるより何歩も前で、妹姫の身体は縦に真っ二つに斬られてしまいました。


 え、とか細い声を漏らし、首を傾げた途端妹姫の身体はべろんと真ん中の切れ目から左右に剥がれ、血しぶきを上げて地に倒れ落ちたのでした。


 悲鳴を上げたのは今日の妹姫の愛の相手です。

 しかし銀狼王は表情一つ変えず、その男の首を一振りで切り落とし、ふらりふらりとその部屋を出ていきました。



 そうして――。


 城からなんの物音も聞こえなくなるまで、数時間。

 その数時間の間に銀狼王は城を歩き回り、見かけた人々を順繰りに殺していったのです。


 ただの一人も逃さずに。


 その日は王妃の望みで妹姫の産んだ子供たちが全員城に上がっていました。

 銀狼王は我が子を含む子供たちも殺し尽くし、城から生きた人間がいなくなった頃、とうとう体力の限界がきました。


 ――銀狼王。

 その名は、彼がまだ青い少年だった頃に故国で王位争いが起きた際、群れから追い出された狼のごとくたった独りで敵を殺して回ったことからつけられた王族としての二つ名でした。


 その名に相応しく、銀狼王はたった独りで自分にとっての悪しき者を滅ぼして回りました。


 壁に背を預けてずるずると座り込みます。


 ゆっくりと目を閉じた銀狼王はふう、と長いため息をついて、それきり動きませんでした。

 実は凶手に襲われた時、深い傷を負っていたのです。

 すぐに手当をすれば命に関わるものではありませんでした。ですが、銀狼王は傷の手当てなど考えもせず、城内の人々を殺して、殺して、殺して回りました。


 そうする以外に、何度となく侮辱され滅多刺しにされた矜持を、心を、救う術がなかったからです。



 目を閉ざしてから息を引き取るまでのほんの数十秒で、銀狼王が何を考えたかはわかりません。

 後悔か、恨みつらみか。

 それとも姉姫の言葉の意味を、今になってようやく理解したのでしょうか。

 動かなくなった銀狼王の目尻から一粒、涙がこぼれ落ちました。

 しかし、それもすぐに返り血の中に埋もれて跡形もなく消えてしまいました。





 ――姉姫の故国の王城の人間が全員死に絶えた。


 銀狼王の監視を命じた者からその報告を受けた金雀はそうか、とだけ応え、古王国を得ようと虎視眈々と狙っていた国々が競って攻めいるのを黙って見送りました。

 最古の血統が古王国からなくなった以上、他国は古王国を庇護する義務も義理もなくなりました。

 金雀王は宰相に姉姫の夫という立場を利用すれば古王国が簡単に手に入るでしょうといわれましたが、首を横に振り傍観を決め込みます。

 プライドの高い銀狼王が我慢の限界に達したとき何をしでかすかわかっていて止めなかったのは、別に古王国が欲しかったわけではなかったからです。

 古王国が――姉姫を苦しめた彼らがいなくなりさえすれば、それだけでよかったのです。

 姉姫はその知らせを聞いて喜ぶでしょうか、悲しむでしょうか。

 それとも何も感じないのでしょうか。

 金雀はわからないながら、状況と姉姫の体調が落ち着いてから伝えようと心に決めました。

 姉姫の、様々な毒にまみれた身体は、そう長くは保たないかもしれません。

 それを考えると、古王国の王侯貴族の死に何の罪悪感も感じません。


 実は、銀狼王の監視を任せた者とは別に、金雀王は銀狼王が事を起こした時に王城から一人も逃がさないようにと始末する役目の者も送り込んでいました。

 銀狼王と彼の血を継いだ子の死を確かめさせ、銀狼王が殺したと他国の者にわからないよう城に火をつけることも命じてありました。

 これで、我が国に責任を押しつけられることはないでしょう。むしろ、あちらから強く望まれて前王を婿にやったのに殺された被害者であると言い切れます。

 問題は、古王国の唯一の直系王族となった姉姫が面倒ごとに巻き込まれないかどうかです。

 いっそ死んだことにでもしてしまおうか、とすら考えてしまいます。


 いやいや、それはよくない。


 これまで存在を侮辱され、意志を殺されてきた彼女を死んだことにするなんて――そんな酷いことはできない、と金雀王は姉姫の気持ちを慮ります。

 そんな自分が意外で、しかし気分は満ち足りていました。

 人間らしくなった、と姉姫を愛したが故に、他人の感情を自然に推し量れるようになった自分が、むず痒く心地よかったのです。


 いっそ、古王国を手に入れてしまおうか。


 手っ取り早い策を考え、うまく行けば姉姫と自分の子供に継がせることも出来ます。

 あるいは、最終的に古王国を手に入れた国と取り引きし、正当性を与えるために姉姫の血を引く我が子を嫁入り、婿入りさせるか。


 それにはまず、姉姫が健康を手に入れる必要があります。

 というか、何よりも優先すべきことが姉姫の健康と安寧なのです。


 そういえば、姉姫の故国に手を伸ばした国々の中に医療に特化した国があったな、と思い出します。

 あまり軍事的に強くはなく、けれど医療が発達しているが為に民の寿命が延びたことで国民数が増えてしまったあの国。

 膨れ上がった人口を持て余し、新たな土地を求めて統治者のいなくなった姉姫の故国を欲している医療国。

 未だ金雀王と姉姫の間に子はおりませんし、姉姫が子を産めるかもわかりませんが、姉姫が古王国の新たな統治者としてその医療国を認めると宣言するだけでも、彼らにとっては何よりも価値があるでしょう。正統で正当な継承者が後見人になるも同然なのですから。

 そうして対価に姉姫を治療してもらえれば、金雀王にとっては最良です。



 金雀王は我が意を得たりと微笑んで、密書を送るためにペンを手にしたのでした。




 ――金雀王。

 それは警戒心を常に忘れず、王位争いを生き延びた小柄で逃げ足の速い彼を揶揄してつけられた二つ名でした。

 しかしその実、隙がなく、視野が広いことを評価された二つ名でもあったのだということは……あまり知られていません。


 そして彼の正妃は滅びた古王国の王族の最後の一人であると有名ですが、体が弱くあまり表舞台には現れなかったため記録も僅かしか残されませんでした。


 ただ、金雀王は唯一の妃を生涯愛し抜き、たった一人の我が子を慈しんだと伝わります。


 古王国は徐々に民の血に他国の血が混じり合ったことで最古の王族、最古の民の名も立ち消えて行きました。

 姉姫の子孫が古王国の統治をすることもなく、その国があったことすら歴史の片隅に埋もれていきます。



 かつてあったという最古の王族が統治していた古王国。

 その最後の王族は双子の姫であったと――それだけが伝えられています。

 凶兆の双子が古王国の滅びの原因であった、未来を憂いた双子姫が国の内と外から閉ざされていた国を開いた、など、語る者によってまったく違う見解を交えて細く長く語り継がれる双子の姫君たちのこと。

 けれどもう、誰も本当のことは知りません。


 また、双子の内、姉姫が幸せな生涯を送ったことだけは事実として、金雀王の伴侶の記録にしっかりと残っています。


 その証として、金雀王と微笑んで寄り添い合う美しい正妃の姿が歴代の王と王妃のの肖像画の中に、今も確かに保管されているといいます――。


お読み下さりありがとうございました。


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― 新着の感想 ―
[一言] 面白かったです。一気に読めてしまいました。
[一言] はじめまして。 読みごたえのある素敵なお話でした。 童話を読みあさっておりますのでまたコメントするかもしれません。 朗読劇の脚本を書いてくださる方を探しております。 ご興味ありましたらご…
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