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ゲールの子供

 男達を捕らえて連行していったマーティンが、病院の待合室にいるアレックス達の元へと戻ってきた。

「連中はどうした?」

 アレックスが立ち上がりマーティンを迎える。

「今、傷の縫合を終えて留置室にぶち込んできました」

「何か吐いたか?」

「いえ、何も」

「そうか……」

 アレックスは苦虫をかみつぶしたような表情で、隣のベンチに座っているリサフォンティーヌを見た。リサも同じ気持ちらしく、ギュッと拳を握りしめている。

 乗馬ブーツを履いて騎士の姿をしているが、髪は巻き髪のままだ。彼は、脇に置いてある自分のマントをリサの肩に掛けてやる。

「あの……あいつらは閣下が?」

「うん?」

 アレックスとリサとを交互に見ていたマーティンが、ようやくその疑問を口に出した。チラチラと、ベンチに腰掛けているリサを気にしている。腰に剣を帯びてはいるが、彼女はどう見ても騎士には見えない格好をしていた。タートルネックのシャツに襟の高いジャケット、不釣り合いな巻き髪。あの橋の上から、真っ先に駆けだした人物とはどうしても考えられない。なのに、捕り物の現場のど真ん中に、彼女はいたのだ。

「あぁ、そうだが」

 アレックスは、内心「しまった」と思いながらリサに視線を送って、なるべく感情を気取られないようにさらっとした口調で返事をした。それから、マーティンの方にグイッと体を寄せ、その耳元に囁くように、

「いいか。落ち着いて聞け。お忍びだが、こちらは、キール王リサフォンティーヌ陛下だ」

と打ち明けた。

「えぇ!? キール王!?」

 驚いて声を上げた彼に、「シーッ」と指を口の前に当てた。

「いいか。お前だけの秘密にしろ」

 力を込めた口調で言い含めた。

「は、はい!」

 彼は、弾かれたようにリサに敬礼をした。リサも、そんな彼に、満面の笑みを浮かべた。

「どうしても街が見たくて。殿下にお願いしたのです。くれぐれも内密に」

 こういう時、リサの笑顔は恐ろしく力を発揮する。笑顔を向けられたマーティンは、もう、天にも昇るような心持ちで、恍惚とした表情をしていた。

 振り返ったアレックスに、リサの瞳が無言の礼を言った。

 ちょうどその時、病室の扉が開いて、処置を終えたばかりの医師が廊下に出てきた。

「容態は?」

 アレックスがすぐに彼に問いかけた。リサも立ち上がっている。

「えぇ。無事です。傷も大して深くはありませんし」

「背中のあれは?」

「肩甲骨が変形した物のようです。スケルティニアを撮ってありますから、ご覧になりますか?」

「あぁ、頼む」

 アレックスが向けた視線に、リサも無言で頷いた。

「話せます?」

「えぇ。大丈夫なはずですが……」

「ですが?」

 何か言いにくそうな医師に、怪訝そうな顔を向けた。

「どうも、言葉がわからないようなのです。なにやら、聞いたことがない言葉を呟いています。それから……」

「?」

 歩き始めていた二人は、同時に医師を振り返った。

「固い物が入った袋を大事に抱えていて……。離すように言っても離さないのです。よほど大事な物が入っているようで……」

 リサは、アレックスと顔を見合わせた。確かに少年は、斬られたときから、大事そうに麻袋を抱えていた。それにいったい何が入っているというのだろう。

 医師に導かれるようにして、二人は室内に入った。看護師が、処置に用いた道具の片づけを終えて、入れ替わるようにして部屋から出ていった。

 少年は、部屋の片隅のベッドの上に横向きに寝かされていた。

「おい。大丈夫か? 話せるか?」

 アレックスが先に話しかけた。

 少年の目は、何かに怯えるように、しばらくじっと、アレックスの瞳を見つめていた。恐る恐る少年の返した言葉は、カイザースベルンの言葉ではなかった。

 間髪入れずにリサが何事か問いかけた。

 アレックスは、傍らの彼女を振り仰いだ。

 聞いたこともない言葉だったからだ。キールの言葉でも、ドレイファスの言葉でもなかった。

 リサの言葉に、少年が反応した。驚いたような顔をして、すぐに次の言葉を発した。リサがそれに答える。それから、アレックスに視線を向けた。

「ゲール語ですよ。この子、やっぱりゲール人ですね」

「ゲール語? 話せるのです?」

 リサは小さく「ううん」と首を振る。

「私が話しているのは古代キール語。微妙に通じないところもあるけど、ゲール語と語源が一緒だから何とか会話ができているようです」

 少年がまた何か話して、リサがそれに答えた。そう言うやり取りが何度か繰り返される。時々リサは首を傾げたり身振りを入れたりしながら、少年と何とか会話を試みていた。

 ひとしきり話した後、リサは、先ほど老婆が届けに来た落し物のロザリオをポケットから取りだし、少年に示した。少年の目が再び驚きの色に変わり、急に泣きだしそうな顔になった。

 彼女は、自身の服の首元から、ペンダントを引っ張り出した。

それは、彼女の母親の形見。十字架にドラゴンが絡みついたキールの紋章だった。

「これは、キールの紋章、キールクロス。キールクロスは、ゲールの紋章であるゲールクロスに、ドラゴンが巻き付いた物なんです」

 そう言って、両者を比較できるように両方の手の平に乗せて並べて見せた。

「クロス部分は剣を表す。これは、初代キール王、ジークフリートが用いていた紋章で、騎士の剣を表している。ジークフリートは、月の民ルナリアを助けて、ドラゴンからキールの地を貰ったと神話には書かれている。それで、キールの紋章は、このゲールクロスにドラゴンが巻き付いた物になったと言われているの」

「それで、古代キール語……か」

 リサが少年と会話するのに使っている古代キール語は、そう言う点でゲール語と繋がりがあったのだ。「えぇ」小さく返事をして、リサは少年を見下ろした。彼の表情からは、意思が伝わる彼女に対する親しみが感じられた。

 彼女が何事かを話しかけると、少年は大きく首を左右に振って、そして力強く胸に抱く袋を抱え込んだ。彼女は少年のベッドの傍らに寄って膝を折った。

「少し、二人にしてもらっても良いですか?」

 リサはそういってアレックスを振り返った。



   *****



 アレックス達が待っている廊下の待合室に、程なくリサが戻ってきた。深夜なので、他には誰もいない。しんと静まりかえっている。

「何か、わかりましたか?」

 アレックスが立ち上がった。

「えぇ……あの子、ゲール民族の末裔だけど……滅んだはずの民族が、まだ生き残っていたなんてね」

「滅んだ?」

「ゲールは、現在のドレイファスやカイザースベルンの一部も含めた広大な領地を持つ国で、もともとジークフリートの生まれた国なのです。でも、戦い好きの野蛮な民族であったと言われているわ。そういうこともあって、ジークフリートとは対立していたようで、彼がキールの王となってから、大陸を追われてブリタニアの島に移住したと言われている。そこで小さな独立国家を作っていたそうよ。でも、戦争好きは相変わらずだったみたいで、反対のラグランシア大陸に攻め込んで逆に返り討ちにあい、300年前にドラクマ帝国に滅ぼされた。ゲール民族は、完全に殲滅されたと言われていたけど……」

「まだ生きていた、と」

 少年がゲール民族の末裔だとすると、少なくとも一家系は、生き残っていたことになる。

「彼の話では、ゲール民族は現在もブリタニアに生存しているみたいね。ただ、ドラクマの奴隷として、だけどね」

 リサは、『奴隷』という言葉を一際はっきりと発音した。

「あのゲールクロスは、『おばあちゃんの形見だ』って、そう言ってたわ。両親とは早くに引き離されて、おばあちゃんと一緒にいたみたい」

 そこまで話して、リサは沈鬱な表情をした。

「他に、何か?」

 俯いた彼女の顔を少しのぞき込むように膝を落として、アレックスが問うた「見てもらいたい物があります。アレックス」

 リサはそう言って、アレックスを病室の中へと導いた。

「あの麻袋の中身よ」

 少年は、まだ大事に袋を握っていた。

 その少年に、リサは優しい口調で何事か言葉をかけた。少年は、すがるような視線でリサの瞳を見つめていた。しかしその瞳には、先ほどのような怯えの色は映っていなかった。

 リサが小さく頷くと、少年は、抱えていた袋をリサに差し出した。彼女はそれを受け取って、アレックスに手渡した。彼女の顔は、深い闇の底に沈み込んだような悲痛な表情をしていた。輝きを放つ光の欠片も、抜け出すことすら出来ない深い暗闇。

 アレックスは、黙ってその袋を受け取った。

「こ……これは……」

 袋の中には、布にくるまれたガラスの標本瓶が入っていた。それを目にした瞬間、驚きのあまり言葉を失った。

「天使の……子供」

 絞り出すように口に出した。

「例の見せ物小屋で見せていたという物のようです」

 ちらっと少年を見下ろしながら、リサはさらに衝撃的な言葉を続けた。

「この少女、ミーナが……自分の、弟だと言っているわ」

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