晩餐会
「遠路はるばるのお越し、お疲れ様です」
カイザースベルン王の居城、エタルニア宮殿の玄関には、国王ディートリッヒと王妃アンナマリーが直々に迎えに出て、一国の元首を迎える正式な方法で、リサフォンティーヌの来訪を祝ってくれた。
そのあまりにも盛大な歓迎ぶりに、「本当に、見合いではなくただの晩餐会ですからね…」と、リサは心の中で思った。
【先のGMモンスター殲滅作戦へのカイザースベルン軍、ならびにアレキサンドロス王子のご尽力とご協力に対するお礼のため】
訪問理由は、ちゃんとご理解いただけているだろうか。
晩餐会のテーブルについてからも、隣で楽しそうに談笑する父親同士を見て、少し心配になる。幼い頃から王宮同志の交流があった両国だ。歳も近いことがあり、二人は親密な友人関係だ。久々の再会に話が弾んでいる。そのネタが自分のことだというのが、リサには大いに不安だった。
ディートリッヒ王の向こう隣に座っているのは、アレキサンドロスの兄であるマキシミリアン王太子だ。ロイヤルブルーの正装に身を包んだ王太子は、天上の音楽が形になったかのように麗しい。焦げ茶色の艶やかな髪は、ベルベットの黒いリボンで、緩やかに後ろでひとつにまとめられている。王権の継承者の正式な髪型である。育ちの良さが、顔立ちから仕草にまで現れている。弟と同じアーモンド色の瞳だが、その瞳が作り出す優しい笑顔は、万人を癒す効果があるようだ。
その王太子には、挨拶をして早々、
「弟を頼みます」
なんて言われてしまって…頼むって言われても、ねぇ。まだ結婚するなんて決まったわけではないのに。アレキサンドロスは理想的な人だけど、でも、結婚するにはまだ早い。リサはそう思っていた。
アレキサンドロスだってそれは思っているはずだ。王太子の隣りに座っていた彼も、堅苦しい正装に、食事中も疲れたような表情をしていた。暴走する父親同士に、お互い何度ため息をついたことやら。
晩餐会の食堂を出て、リサ達は王宮の中央ホールに招き入れられた。
2階まで吹き抜けた高い天井には創世神話の神々達が所狭しと描かれていて、手作りガラスの巨大なシャンデリアが、キャンドルの灯りを、キラキラとホール全体に反射している。大国カイザースベルンの権威を象徴する、実に豪華な大広間だった。
中2階に陣取る宮廷楽団の生演奏の中で、晩餐会の夜を彩る舞踏会が始まっていた。
カイザースベルン王、王一族はもとより、上級貴族も招待され、にぎやかな社交がはじめられていた。リサフォンティーヌは、父王メンフィスと共に、雛壇の上に設えられた貴賓席から、ホールの賑わいを眺めている。少し窮屈そうに。手袋の上からはめたキールの紋章・ドラゴンの刻印の入った指輪を優しく触る。手持ち無沙汰な様子で、サイドテーブルのワイングラスを口に運んだ。
「よろしければ、1曲踊っていただけませんか。リサフォンティーヌ陛下」
曲調がワルツに変わると、カイザースベルンの王子が誘いに来てくれた。
足下に跪いて、伏せた視線をさりげなく上げる。薄茶色の髪が、さらさらと額を零れた。アーモンド色の眼差しは、見るものを引きつけてやまない。この瞳に見つめられたら、誰もが恋に落ちるだろう。
真っ白な軍服は、贅沢に繊細な刺繍が織り込まれた騎士の正装だ。胸元から肩章に続く金糸の房も、百合を銜えた獅子の紋章の入った金ボタンも、もちろん本物の黄金で、彼の美しい顔立ちをより一層引き立てている。晩餐会の間中、テーブルを挟んで斜め向かいに座っていた彼に、実はこっそり見とれていた。
「えぇ。喜んで。アレキサンドロス殿下」
白い手袋の左手を差し出し、彼の手に委ねる。
アレキサンドロスの顔に、優しい笑顔が浮かんだ。どんなに素敵な衣装も宝石も、彼には必要ない。優しさと強さを秘めた笑顔は、それだけで充分彼を輝かせてくれる。
「やはりお美しい。どのような形容詞でも、陛下の美しさは表現しきれませんね」
腰に手を回して彼女をエスコートしながら、アレキサンドロスは久しぶりに再会したリサに、遠慮がちに声をかけた。お互い、正装して出会うのは初めてだ。
「それは、あなたの方ですわ。殿下」
リサの声も、少し緊張している。
「俺のことは、アレックスと」
何組ものカップルが踊っている広間に歩き出しながら、肩越しに微笑みかける。
「私のことは、リサと」
向かい合いながら、「くれぐれも」とリサは付け加えた。
濃い紫のロングドレスは、リサの肌の白さをより一層引き立てている。ビスチェタイプのドレスの下に薔薇模様の黒いレースの下着を着て肩の露出部分を覆っているのは、まだ治りきっていない肩の傷を隠すための配慮だ。
「肩、まだ痛みますか?」
「いいえ。もうほとんど。剣にも支障なく。跡が消えるまでには、もう少しかかりそうですけど。だからドレス選びには苦労しました。執事には散々文句を言われるし。晩餐会が終わるまでは外出厳禁ですと、執政官にまでどやされる始末です」
「それはお気の毒に」
と、アレックスは小さく笑って、
「でも、本当にあなたがキール王だったのですね。いや、キール王がリース卿だったと言うべきでしょうか」
体を密着させたまま、リサの耳元に囁くように言う。
「それはおっしゃらない約束です」
照れて真っ赤になった顔を、俯くことで慌てて隠そうとする。
「まぁ、何とお美しい」
「実にお似合いのお二人だ」
人々の間からどよめきがおこる。
楽しげに言葉を交わしながら可憐にワルツを踊る二人は、ホールの視線の全てを釘付けにしていた。
*****
「でもやっぱり、堅苦しい社交は疲れますね」
ひとしきり踊った後、シャンパングラスを片手に、二人はホールを出た。
「だと思ってお誘いしたのです。俺も、いいかげん疲れてきてましてね」
そういえば、アレックスも、食事の時から疲れた顔をしていた。
「リサはこういう場にはお慣れだと思いましたが」
「何度経験しても、落ち着きません。仕事だと思えばこそ、何とか乗り切れるというもの」
肩をすくめて苦笑いを浮かべた。
「そういうものですか」
「楽しそうなのは父親同士…」
「まったくだ」
彼も大きく頷いた。
「兄とはお話しされました?」
「えぇ。マキシミリアン王太子殿下には、『弟を頼む』と」
二人は視線を合わせたまま立ち止まり、同時に吹き出すように笑い出した。
「兄らしいな」
弟は薄茶色の前髪を手荒に掻き上げてため息をついた。
「どこも兄というのは、心配性で弟思い、妹思いなのでしょう」
「リサの所も?」
「えぇ。兄ウインダミーリアスは、顔を合わせれば私の心配ばかり。お目付に、親友を執政官に付けるくらいですからね。何でも筒抜けなのですよ」
「でも、よく剣は許してくれましたね?かなりご心配では?」
同情の笑みを浮かべながら、小声で言った。
「確かに。心配はしているようです。でもそもそも、護身のために学びなさい、と、言い出したのは兄なのです」
「ほう、それは意外でした」
驚いた表情をした王子に「でしょう」とリサは小さく笑った。
「ちょうどその年、兄は王太子として外遊中に、暴漢に斬りつけられるという事件がありましてね。その時、自分の剣でそれを防いだんだそうです。もちろん、暴漢は周りにいた近衛兵が取り押さえましたが。それで、私が、やがてはキールの後継になるとわかっていたので、剣の扱い方くらいは覚えた方がいいと。私は、父や兄と離れて湖水地方のレイピア宮殿におりましたから、特に兄は、自分の手が届かないところにいる私のことを心配してくれていたようです。渋る父を説得してくれたのも兄なのです。まぁ、その兄も、まさか私が、ドレイファスの鷲、バルディス卿に弟子入りするとは思わなかったようですが」
「それはそうでしょう」
二人は並んで歩きながら、大理石の中庭に出た。中庭の中央にはライオンの噴水があり、室内の光が当たったきらめく水を、泉の中に吐き出していた。
「でも、なぜバルディス卿が姫の元に? ドレイファスの王宮騎士でしたよね?」
「えぇ。本来レイ・ソート家は王宮剣術指南の家系ですから、長男であるバルディスもその職を継ぐ予定でした。兄は、バルディスの父ビリアヌスから剣の手ほどきを受けたのですが、訓練にはよくバルディスも同行していまして、私もカラキムジアにいた頃は時々顔を合わせることがありました。まだ2歳かそこいらでしたから、私にはまったく覚えがないのですが、ほとんど遊びで、短い木剣を振り回したりもしていたようです。私が正式に剣を学ぼうと思い立ったとき、バルディスは、あの『ナシエラの火の惨劇』の直後で、軍を辞めていました」
リサはおもむろに右手の手袋を外して、軽く噴水の縁に腰掛けた。ロングの手袋を外した右腕には、グリセラトプスに咬まれた痕が、まだ赤く残っていた。
彼女は細くて長い指先で、泉の中を流れていく白い泡をツンツンとつついた。
「父は、振り方を教わるくらいなら誰でも良いと考えていたようです。でも私は、彼に教わりたいと思っていました。そう言い張ったんです。もともと、女にしておくのはもったいないと、母に言われていたくらいのお転婆でしたからね。やるとなったら本格的にやりたかったのです。兄がだいぶ粘ってくれて、それで父もようやく諦めて、軍も辞めて自由騎士として放浪するくらいなら王女のお遊びに付き合え、と。そう彼に命じてくれたのです。それで、バルディスはレイピア宮殿に来たのです」
「護身術程度のはずが、白薔薇の騎士と呼ばれるまでになってしまうとはね」
アレックスはそう言いながらリサの右手を優しく握り、その剣胼胝に指を這わせた。
「本当に」
悪戯っぽく笑いかける。
「でも、バルディス卿が言うには、ウインダミーリアス殿下よりもリサの方が幼い頃から才能があったと」
「そんなこと言ってました?」
「えぇ。グランヒースで」
病院に入院していたバルディスを見舞った際に、そんな話をしていたらしい。
「あなたがまだ、兄上のお邪魔をして木剣を振り回していた頃ですね。きっと。センスがいい、と。思ったそうですよ。女にしておくのはもったいないと」
「おやおや」
リサは困ったように、肩をすくめておどけてみせた。
「私にはそんなこと、一言も言ってくれない鬼師匠ですけどね」
二人は顔を見合わせて、そして笑った。
空になったシャンパングラスをその場に置いて、アレックスはリサをテラスへと導いた。同じく白い大理石で作られた彫刻の美しいテラスから、王都ディアトゥーヴの街が見下ろせた。小高い丘の上にある王宮からは、街の全体が、ほぼ全体見渡せる。
「なんて美しいの。色が満ち溢れている」
眼下の街には、色とりどりの光が満ちていた。
「やはりキールのソレイリューヌイルミネーションとは全然違いますね」
心からの感動の気持ちを言葉にする。
「あぁ。ランプに色ガラスを使うことによっていろいろな色を作り出しているんですよ。この国のソレイリューヌの伝統です」
カラフルなイルミネーションが施された街は、おとぎの国の光景のようだ。マロニアの街は、全てオレンジの光ばかりだから、とても目新しく見える。
「来る途中、ソレイリューヌマルシェをちらっと見ました。街の飾りもきれいだし、にぎやかで活気があって…」
「そうだ、リサ。もしお疲れでなければ」
「?」
怪訝そうに傍らの王子の顔を見上げると、とっておきの悪戯を思いついた少年のような顔をしていた。何かをしようとたくらんでいる。満面の笑みだ。
*****
「ちょっと疲れたから部屋で休みます」
そう言ってリサは迎賓棟にあてがわれた自分の部屋に戻って、侍女として付き従っていたオフィーリアを呼んだ。
程なく、フード付きの軍用マントを纏った二人の騎士が街へ向かって馬を駆っていった。
パークデイルが明日の予定の確認に王の居室に入室すると、テーブルの上にティアラとメモ用紙。リサのドレスを着せられて、困ったような表情をしてソファーに座っていたのは青いコンタクトレンズをはめたオフィーリア。
メモ用紙を見たパークデイルが大騒ぎしたのは言うまでもなく…。
【少し出かけます。朝には戻りますから心配は無用です。騒ぎ立てることなく穏やかに】
メモを握って駆け込んだ向かいの騎士控え室からは大きなため息。