行幸
街道の先に、王都をぐるりと取り囲む街壁が見えてきて、軒を連ねた建物の屋根の向こうに、ルミナリオ教の教会の塔が見えた。
教会の塔の隣りには、金色のヴィーナスが輝いている。
「正直な事を申し上げますと、わたくし、まだ信じられません」
馬車の中で向かいに座っている白髪交じりの初老の男が、目の前の貴人に声をかける。
「ディアトゥーヴまで来てまだそんなことを言うのですか」
濃紫色のベルベットのドレスを纏ったその馬車の主は、羽織っているケープのリボンをいじりながら執事の顔を見た。
「まだ疑っているのですか? 直前で逃げ出すとでも?」
興奮して紅潮している執事パークデイルに向けて、キール王リサフォンティーヌはからかうような眼差しを向ける。
リサフォンティーヌ・ファン・ル・キール・ドレイファス。ドレイファス王国の王女であり、ドレイファスと従属関係を維持していながら完全独立を保っているキール王国の若き王である。
ドレイファスの宝石と称えられる美貌は、宝石がふんだんに散りばめられたティアラすら、凡庸なアクセサリーにしてしまう。澄んだサファイアのような瞳に長い睫、整った鼻筋にすっきりとした顎のライン。神の創り賜いた塑像が、そのまま地に舞い降りたかのような気品がある。柔らかな糸のような金色の髪は、緩やかな巻き髪にされている。ほのかに纏った香水が、彼女が動くたびに、甘い香りを狭い室内に漂わせる。
「いえいえ滅相もございません」
慌てて両手をバタバタさせる執事を見て、クスクスと笑い出す。執事が慌てふためくのを、楽しそうな顔で見る。
「ただ本当に、陛下が宮廷晩餐会のお誘いをご承諾なさるとは。わたくし、夢のようで…」
感無量といった表情で両手を組んで天を仰ぎ、
「ありがとうございます。リサフォンティーヌ陛下」
まるで神に祈るかのように呟いている。
「そなたが礼を言うことではないでしょうに」
そんな執事に呆れたようにリサは笑った。リサはどうやら、こんな執事の様子を明らかに楽しんでいるようだ。彼はどっぷりと自分の世界に浸ったまま、すでに独り言と化している姫への感謝の言葉を、呟き続けている。
なにしろ、今まで問答無用で突っぱねていたキール王が、父王メンフィスからの「宮廷晩餐会のお誘い」を承諾したばかりではなく、自ら「カイザースベルンの王宮にご挨拶に向かう」なんて言い出すものだから。今まで、メンフィスとリサの間で板挟みになっていた執事は、目の玉が飛び出るほどに驚き、飛び上がって喜んだものだ。
それはドレイファス王も、カイザースベルン王も同様だったようで、国境の町までわざわざ馬車を迎えに行かせる熱の入れようだった。
父メンフィスも、わざわざカイザースベルンにまで外遊している。こちらより一日早く出たのだから、もう既に王都に着いているはずだった。
リサ達は、晩餐会の時間に合わせて王都ディアトゥーヴに入れるように、近郊の街リンデンハイムに昨夜の宿を取った。昼過ぎに街を出てちょうど3時間。 冬の短い陽は、もうすっかり地平線に沈んでいた。
コンコンコン
外から窓を叩く音が聞こえた。
護衛のために付き従っているキール王宮騎士、黒騎士のバルディス・レイ・ソートだ。短く刈り込まれた濃紺の髪に猛禽類のような鋭い銀色の瞳。逞しい体に纏っている黒騎士の正装は、闇に溶け込むような深い黒だ。風にたなびくマントを煩そうに払って、
「もうすぐディアトゥーヴの街に入ります」
深みのある低い声を、開いた窓から忍び込ませた。
「あなたも、私が逃げ出すとでも?」
馬上で少し身をかがめて自分をのぞき込んでいる忠臣を、リサはキリッとした瞳で見つめ返す。
「まさか」
小さく笑って、
「俺が、逃がしはしませんよ」
冗談にしては圧のこもった言葉を、馬車の中の主に返す。剣の師匠であるこの黒騎士に、リサは未だに敵わない。リサフォンティーヌは、ドレイファスのカラキムジア王宮にいた少女の頃からバルディスに剣の指導を受けていて、リース・セフィールドという偽名を使って男装し、騎士としてのキャリアを積んできた。その腕前は既に、キール騎士団の四天王の一人、白騎士の称号を得るほどになっており、キール国民から『白薔薇の騎士』と呼ばれている。
「カイザースベルン側の警護は厳重ですから心配ないとは思いますが、念のため。街中は、ソレイリューヌのマーケットのために人手が多いと聞きます。不法に入国している輩も、いないとは限りません」
先ほどよりも更に低く抑えた声で、自身の懸念を進言する。
「わかっています。そのために、黒騎士と赤騎士が、従ってくれているのでしょう?」
バルディスは、馬車の反対側で馬を歩かせている赤騎士クルステット・ハフマンの方をちらっと見た。
「それはもちろん。俺もクルステットも、命を懸けて、陛下のことはお守りいたします」
パークデイルに指示させて開けさせた反対の窓から、赤い軍服を纏ったクルステットが「もちろんです」と顔をのぞかせた。
「でも大抵いつも、あなたはそのことをお忘れです。俺が心配しているのはそのことです。俺達臣下は、あなたをお守りするためにいるのですから、何事かなさりたい時には、ご自身でなさる前に臣下に命じてください」
「そうしているではありませんか?時々は…違うこともあるけど…」
「いいえ。『時々そういうことがある』、の間違いですよ」
リサの言葉を、黒騎士は首を横に振って否定した。
「あなたは、白騎士である以前にキールの王なのですから」
「そうですよ」
反対の窓から赤騎士が覗き込み、
「今回は、王のお仕事に専念してくださいよ。陛下」
肩にかかる灰色がかった紫色の髪を軽く掻き上げて、こちらもそう軽口を言って釘を差す。バルディスよりも10歳も年下の彼は、厳格なバルディスとは真逆の明るく奔放な男だが、彼とは何かと気が合うらしく、こういう時、恐ろしいくらい意見の一致を見る。二人のタックに阻まれると、リサには抵抗するゆとりすらない。
「私には、二人の気が合うのがミステリーよ」
ボソッと呟いたリサを、「なんです?」二人同時にのぞき込む。
「とにかく、何か事が起きても、俺達に任せて大人しくなさっていて下さい。陛下」
「襲われても大人しく斬られろと?」
「斬られないだけの受け身は教えてあるはずだが」
ブスッと皮肉を言った王をまたさらりと受け流し、
「少しは俺達を、信頼して下さいよ」
臣下の声で説き伏せる。
「わかっています」
背もたれに深く背中を押し付けて、左右の二人の騎士を交互に見て微笑んだ。
「信頼していますよ。あなたがたのことは」
街の中はソレイリューヌの祭りのための飾り付け一色で、中央広場のど真ん中には巨大なモミの木で作られたアルシエルのツリーが立てられていた。カーテンを引いた隙間から外をのぞき見ると、中央広場も広場に至る道筋も、アルシエル用のオーナメントを売るストールが軒を連ね人々でにぎわっていた。キール国内もソレイリューヌの装いでにぎわっているが、隣国のそれは少し趣が違う。カイザースベルンのソレイリューヌマルシェは大陸一の規模を誇り、国内はもとより近隣の国からも、珍しい手工芸品を売る職人達が集ってきて、1ヶ月に渡ってにぎやかなマーケットを開く。
馬車を降りて街を歩きたい衝動を抑えて、リサは再び背もたれに寄りかかった。馬車はカランカランと小気味よい音を立てて、真っ直ぐに王宮に向けて進んでいた。