天使の涙
「見えてきましたよ」
先頭を行くカバリエが馬を留めて、背後のアレックス達を振り返った。
300メートルほど離れた水辺に、石造りのクレーン基地が見えてきた。木々の間から、その様子を伺う。
「見張りがいますね」
木の陰から慎重に双眼鏡で偵察していたカバリエが、声を押し殺して告げた。
「どちらかというと、川の警戒のようだがな」
「川からの偵察ももう始まっていると思いますから、巡視艇がこの辺りを重点的に廻り始めたのかも知れませんね」
ポート・アーベンの駐留軍は、大規模な水軍を持っている。アレックスは今朝彼らに、巡視艇を総動員して、特にこの辺りの河岸を何度も往復するように命令を出してきたのだ。
「どうします?」
双眼鏡を受け取りながら、リースがアレックスに意見を求めた。
「船で川に逃げるようなら巡視艇に任せるとして、こちらは陸路を封鎖しなくてはいけないだろう。とはいえ、通れそうなのはこの道一本。ここを押さえておけば大丈夫だろう。しかしもし子供達が残っていたら、斬り込んだら巻き込んでしまうかも知れない」
「巡視だと、偽らずに入ったらどうでしょうか? 疑っている素振りを見せずに連中の話に乗ってやれば、時間が稼げます」
「で、その隙に中を捜索しろってか?」
「はい、そうです」
フレデリックの言葉に、提案者のカバリエが頷いた。
「少し足場は悪いですが、この沼を回り込んであちら側の水車小屋の方から入り込めば、見張りには気がつかれないはずです」
カバリエが、目の前の沼の縁をぐるっと目で追いながら、その先に見える水車小屋の廃屋を指差した。
「確かに、正面から軍人が堂々と踏み込んできたら、見張りの目もごまかせるが……」
「問題は、この人数でやれるか、だ。な?」
冷静に沼と森、そして水車小屋を見つめていたアレックスが、「うむ」と低く唸り声を上げた。
「でも、やるしかないだろうな」
リースは、もう一度双眼鏡で基地をのぞきながら、目を離さずにそう口にした。彼女の口調は落ち着いていた。
結論が出た。一同がその言葉に頷いた。皆覚悟は出来ていたのだ。
「では、私が正面から参ります」
「待て、俺も行く。一人より二人の方が怪しまれない。それに、もし斬り合いになったときも、その方が心強い」
「分かった。ではカバリエとフレッドが、巡視の役で正面から乗り込んでくれ。水車小屋には俺と…」
「私が行く。バルディスはここに残って、退路を押さえてくれ」
「いいんですか?」
相棒を振り返って小声で会話をしていたリースに、アレックスが尋ねた。
「彼では目立ちすぎる。私で、心細くなければ」
「俺は大歓迎だが…」
アレックスが軽く顔を動かしてバルディスに視線を合わせると、彼は無言で頷き返した。
「では作戦開始だ」
アレックスの言葉に、皆もう一度、大きく頷いた。
*****
「ここ、気をつけてください」
前を行くアレックスが、小声で背後に声をかける。
沼を回り込む道は、誰も踏み込んだことのない森の中を行く道で、かなり足場が悪い。倒木が倒れて、苔がふかふかと生えている上を、二人は軽やかに足を進めていた。さすがに馬で入ってこられる場所ではなく、馬を繋いで、歩いてここまで入ってきた。それほど距離はないのだが、歩きにくいことこの上ない。
「そろそろ時間だな」
ポケットから懐中時計をとりだして、アレックスは声を潜めた。
水車小屋の塀がだいぶ近くに見える。
作戦開始から15分。この時間を合図に、カバリエとフレデリックが、正面から馬で乗り付ける寸法になっていた。木々の影から沼の反対側の森をのぞき込む。
「来た」
少しひらけた道を、二人の馬が平然と歩いてくる。アレックスはそれを確認すると、そのまま双眼鏡をスライドさせて、見張りの上っていた塔の上へと動かした。見張り達が、慌ただしく動き回り、指差したりして動揺しているのが見えた。
「では、こちらも行きますか」
「えぇ」
彼らが無事に建物入り口まで辿り着いたのを確認してから、二人は腰を落として水車小屋へと足を進めた。
壁に耳を押し付けるようにして中の気配を探る。
扉も破れ壁も崩壊しているこの水車小屋は、まったく使われていないようだ。
二人は剣を抜いて右手に握った。
目配せして、左右に分かれて水車小屋の中へと入る。かろうじて外壁が残っているだけのその小屋を経由して、石造りの基地内部へ潜り込む。
(アレックス)
リースが、少し離れた壁の影にいるアレックスに、目で呼びかけた。リースが動かした視線の先に、鉄格子がはまった小さな空気穴が空いていて、そこからすすり泣くような子供の声が聞こえていた。
アレックスが少し身を乗り出すようにしてそこを覗くと、中で微かに何かが動く気配がした。窓が小さすぎてしっかりと確認は出来ないが、黒っぽい服を着た子供達が、身を寄せ合うようにして座っているように見えた。
「どうする?」
二人は周囲を警戒しながら、次の壁まで移動した。背中合わせになって左右を警戒しながら、囁くように言葉を交わす。
少し先の柱の向こうが階段になっていて、地下に下りるその場所で、二人の男が、座り込んでチェスをやっていた。
「俺が囮になって飛び出すから、地下の子供達……」
それをどうかわそうかと作戦を練っていた二人の元に、甲高い鳴子笛の音が響いてきた。
中央乗り込み組からの合図だ。
カバリエとフレデリックは、もし自分たちが怪しまれて斬り合いになった時には、まず最初に鳴子笛をならして合図をすると決めていた。
「おい! なんだ? 何か起きたのか?」
チェスをしていた男達は慌てて立ち上がり、階段の上の方をのぞき込もうとこちらに背を向けた。
そこに、アレックスが駆け込んでいた。
「なんだ? てめぇ!」
男の一人が気づいて腰の剣を抜こうと腕を動かした瞬間に、男の右肩から血が噴き出していた。
「てめぇ! 何者だ!」
アレックスは、すぐさま切っ先を返してもう一人の剣とかみ合わせる。リースは先に斬られた男の首筋にもう一撃食らわせて昏倒させると、その腰から鍵を奪い取り、地下への階段を駆け下りていた。
「待て!」
「お前の相手は俺だ」
一瞬目を離した男に容赦なく斬りつけて、その場に蹲らせる。
この場所は、基地では半地下の部分にあたるため、フレデリック達が入った一階部分は階段を上がった上のフロアにあたる。そこでも激しく斬り合いが行われているようで、男達の足音と罵声が、彼の元にまで聞こえてくる。アレックスは、足下の二人を手際よく後ろ手に縛り上げると、地下へと階段を下りた。
「リース?」
半分ほど下ったところで声をかけてみるが返事がない。
「リース?」
地下の薄暗い空間に、アレックスはもう一度声をかけた。階段をさらに下りようとしたとき、上からドタバタと大きな足音を立てて、男達が階段を下りてくる音が聞こえてきた。地下の子供達を始末しに来たのか、はたまた、水車小屋経由で逃げようと試みているのかは分からなかったが、どちらにしても放ってはおけなかった。
アレックスは剣をギュッと握り直し、下りかけた階段を逆に上へと駆け上がった。
「な、なんだ? てめぇ! いつの間にこんな所に…!」
アレックスの姿を見て、男達は動揺した。すでに斬られて片腕を押さえている男もいる。皆殺気立って目が血走っていた。男達とアレックスは、狭い階段で対峙する形となっていた。しかも、上段に立つ男達の方が、戦い方としては有利だった。
立ち位置の有利を圧倒的な有利と考えたのか、男達の殺気は発火点を超えた油のように一気に燃え上がった。
「ぐぅわぁ!!!!」
獣のような雄叫びを上げて、先頭の男が斬りかかってきた。その剣を斜めに跳ね上げて、アレックスの剣は可憐に宙を舞い、男の右手を切り落としていた。
間髪入れずに後ろの男が斬りかかる。仲間もろともに斬りつけてきたその剣はむなしく宙を舞い、アレックスの顔に血の飛沫が飛んだ。
「仲間もろとも斬るなど……貴様らに、剣を握る資格などない! 貴様ら! 絶対に逃がしはせぬ!」
カチャリ
アレックスは音を立てて剣を握り直し、獅子の咆吼を上げた。
彼の剣は、当て身をくれるなどという優しさは欠片も見せず、容赦なく、斬りかかってくる男達を叩き斬っていく。
狭い階段と廊下を、みるみる呻く男達と血だまりで埋めていく。
「アレックス!?」
程なくして、階段の上からフレデリックが姿を見せた時には、全ての戦いに決着が付いていた。
「上で7人捕らえた。船で逃げようとしていた連中は、巡視艇に捕縛……って、ここはひどい有様だな。無事か? アレックス」
階段の途中に倒れている連中の姿を一人一人覗きながら、呻いている男達に憐れみの言葉を向けた。
「あぁ。フレッド、こいつらを頼む」
頬に飛んだ返り血を拭うこともせずに、アレックスは親友を見上げた。
冴えた瞳には、赤い炎が燃えていた。
「久々に本気ってわけですか。さすがはカイザースベルンの獅子。で、リース閣下は?」
「子供達の所だ。見てくる」
最後まで言わないうちに、アレックスはもう階段を下りていた。
*****
「リース? 大丈夫か?」
階段を下りながら、アレックスは階下に呼びかけた。先ほどはまったく返答がなかったのだ。
「リース?」
薄暗がりの中に、もう一度呼びかけた。
「ここにいる」
狭い石壁に響かせながら、小さな返事が返ってきた。
「大丈夫ですか?」
「私は平気です」
地下に作られた狭い牢獄は、リースによって鍵が開けられていた。
しかし彼女はその中に入ろうとせずに、その入り口に立ちつくしていた。
「リース?」
アレックスが彼女の傍らに立った。
先ほど外から中の様子を伺った小さな空気孔がちょうど正面の天井近くの壁に空いていて、ほんのわずかな光がその部屋に射し込んでいた。その光が、ぼんやりと、彼女の表情を浮かび上がらせていた。
彼女の瞳が、涙で潤んでいる。
彼女は入り口に立ちつくしたまま、声も上げずに、ただ静かに涙を流していた。
「リサ……」
アレックスは、かける言葉が見つからないまま、黙って彼女の顔を見つめた。
牢獄の暗がりからは、低くすすり泣くような音が、断続的に聞こえてきていた。それは、獣の鳴き声にも似ていた。時折、何事か言っているのだろうか。鳴き声とは違った音の羅列が聞こえてくる。
徐々に暗闇に目が慣れてきて、彼の目に、目の前の惨状がはっきりと見えてきた。
身を寄せ合うようにして抱き合っている子供が三人。どの子もしわくちゃの顔をして生気がなく、やせ細った体に薄汚いボロのような服を纏っている。その背中の部分の布地だけが妙に盛り上がって生き生きとして見えた。その口元が微かに動いて、何事かを必死に口にしている。
「リサ……」
アレックスはもう一度、傍らの騎士に呼びかけた。
「死にたい、って……そう言っている……殺してくれって……そう言っている」
噛みしめるように、リサは短く区切りながら言葉にした。
子供達は、そう、ゲール語で訴えているのだ。
すでに立ち上がる気力もないと思われる子供達だ。真ん中の子は、がくんと首を垂れたまま先ほどからずっと動きがない。もう死んでいるのかも知れなかった。
「痛いから、殺して、って……」
リサは右手に握った剣を、力一杯握りしめていた。握りしめた拳が、小刻みに震えていた。
アレックスは、左腕を回して優しく彼女の肩を抱いた。ギュッと彼女の体を抱きしめる。
「祈ってやってくれ。この、哀れな子供達のために」
彼は身をかがめて檻の中に入ると、一度天を仰いでから、躊躇うまもなく剣を3度突き刺した。
最後の剣を抜く瞬間、小さな口が動いてまた何か音を並べた。
しかしその顔も、すぐに光の届かない暗闇へと沈み込み、彼の手の届かないところへ旅立ってしまった。
「龍の……ご加護を……」
左手を胸元に押し当てて、天を仰いだリサフォンティーヌが、絞り出すようにそう呟いた。彼女の頬を、キラキラと星の欠片のように光るものが伝った。




