クムの村
カイザースベルンとスードラとの国境線は、8000メートル級の山々が連なるパラディー山脈とそこに源を発する大河プラタ川よりなっている。プラタ川は、澄み切った青い水が流れる美しい川だが、河口のポート・アーベン周辺は、川幅が1キロメートル以上もある。流域の広い地域が砂州となっていて、砂州に広がる湿地帯は、鳥の楽園とも言われている。大型のユレキニアが群を為して営巣地を作っているのはこの流域だけで、自然保護区に指定されている。
「この辺りは、地盤が弱いために、家を建てられる場所が限られています。森の中のそういう安全な箇所に、いくつか村が点在しているのです」
先頭を歩く馬上から、道案内役のカバリエが説明をしてくれる。
ポート・アーベンの基地で、役所から提出を受けた住民登録の書類を受け取って、一行は真っ直ぐにこのプラタ川沿いの森まで走ってきた。時折上空を、真っ白いユレキニアが優雅に飛んでいく姿が目に飛び込んでくる。開発が禁じられている地域だけに豊かな自然が残っているが、逆に、入り込んでくる人間も跡を絶たない。
「不法居住者も多い場所だろう? こんなものあてになるかね?」
書類をペラペラとめくりながら、フレデリックが不平を口にした。
「無いよりましだろう。それが無かったら、一軒ずつ、全部調べなきゃならないんだぞ」
投げやりな部下の顔を呆れた顔で振り返りながら、アレックスがたしなめる。
「そりゃぁ、そうっすけどね〜」
「とりあえず、一番可能性がありそうな場所から捜索だ。家庭訪問は、そこが空振りだった時だな」
「可能性がありそうな場所? それ、どこです?」
「クムだ」
「クム?」
妙に自信がありそうな上司の言葉を、フレデリックは半信半疑で反復した。
アレックスは馬の足を緩めてフレデリックの馬に並ばせて、自分が見ていた地図を彼に差し出した。
「C―3の上の方だ」
指示された場所に目をやると、確かにそこに「クム」という小さな文字があった。
「支流沿いにあって、今は使われなくなった水揚げ用のクレーン基地がある。機能はしていないが、水門も残っているらしい」
「クレーン基地ねぇ」
「奴隷を水揚げしたのなら、川沿いのそんな場所だろう。もしこそにいなくても、何らかの手がかりがあるかも知れない」
「クム周辺は、沼地が多くて夏は感染症が多いんです。だから、地形的には良いということでクレーン基地が作られたみたいなんですが、人が住むには適さなくて、そのまま衰退しました。60年ほど前に5年ほど使われていたそのクレーン基地も、すぐに廃墟になって……」
カバリエがフレデリックを振り返って説明を補足する。
「ミーナも、船から上がってすぐの建物に住んでいた、って言っていたから、そういう場所なら可能性も高いな」
フレデリックの後ろを歩いていたリースが、隣りに並んだアレックスに同意の意志を示す。
「ポート・アーベンからの距離も程良いし、街道からも遠くない。しかも……」
リースに地図を差し出しながら、アレックスはキョロキョロと周りを見回した。
暗い森が広がっている。
鬱蒼と茂った背の高い樹木のせいで、地面にほとんど光が届かないのだ。
この辺りは雨や霧が多いために、森の中の空気そのものまでがジメジメしている。木の幹には地衣類の一種が絡みつき、所々長く垂れ下がって視界を塞いでいる。まさに、密林という言葉がぴったりだ。
馬が歩いている道は、木の根や石、倒木などがあちこちにゴロゴロしているような山道で、とても馬車などが通れるような道ではない。ぬかるみも多く、この獣道を少しはずれたら、程なく泥に足を取られて動けなくなるだろう。
「この足場だ。好きこのんでこんな所に入る者はいないだろう」
「確かにね……」
リースも同じように辺りを見回して、小さくため息をついた。
「だが、人が歩いた形跡はある」
背後から、低い声が彼女の台詞を次いだ。一行のしんがりを務めているバルディスも、人の入った形跡に気がついていた。
道に垂れ下がる地衣類も、行く手に立ちはだかる木の枝も、ちょうど馬に乗った人間が切り払ったような形跡を示していた。おかげで彼らは、大して何かを避けたりすることもなく、順調に馬を歩かせていた。
「あの少女、グランヒースに送りましたが、どうするんです?」
突然思い出したようにフレデリックがリースを振り返った。
リサフォンティーヌ王の身代わりのオフィーリアが、ちょうど今頃、2泊3日のマロニアへの旅程の最中だ。国境の街で青騎士ダグラスに身を委ねられる予定のゲール人の少女は、マロニアへは搬送せずに、グランヒースの王立病院に収容される。
「治療方法は薬師達の診断結果にもよるが、まずは細胞分裂活性を抑える薬を投与して貰うことになっている」
「活性を押さえる?」
「そう。テロメアの切断を抑える薬も投与しながらね」
「あの子の細胞は、俺達の何倍もの早さで代謝しているらしいんだ。細胞は分裂するたびに、細胞内の遺伝子のテロメアと呼ばれる部分が短くなっていって、ついには細胞分裂が出来なくなる……それが老化につながるんだ」
「だからあの若さで90歳代の細胞、ってことか」
フレデリックがひとつ手を打って、アレックスが小さく頷いた。
「老化した細胞を若返らせる方法はないけれど、新しい細胞をより多く増やして、それらを通常の活性サイクルに戻せるような処置が出来るといいんだけど。それで症状が落ち着いたら、アルティオルガナム治療に移れるかもしれない」
そこまで言って、彼女は急に顔を曇らせた。
「どうしたんです?」
「うん……間に合えば、と思ってね」
「間に合えば?」
フレデリックが怪訝そうに彼女の顔をのぞき込む。
「ミーナが言うには……友達が何人も死んだ、と。背中の羽……あの突起が大きくて、より羽みたいに見えていた子から、徐々に死んでいったらしい。羽が痛いって喚き始めて、のたうち回って、苦しみながら死んでいったと」
「そんな……」
「ミーナの背中の突起は、それほど大きくはなかったから、だから今まで生きていられたのかも知れない。彼女が死ぬのだって、そう遠い日のことではないだろう。それが、今日かも知れないし、明日かも知れない。キールに辿り着けるという保証もない」
「そんなの、救えるのかよ?」
苛々した口調で独り言のように吐き捨てるように言ったフレデリックに、
「研究所の結果次第、というわけだな」
落ち着き払った低い声が応じた。「あぁ」軽く振り返って、リースは相棒に返事をする。
トリステルの王立研究所でも、『天使の子供』の解析を急ピッチで行っているはずだ。結果が出れば、ミーナの治療にも生かせるかも知れない。
リースは改めて、子供を人体実験の材料に使った人間に憎悪を抱いていた。




