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バナナの足

作者: 短小マン

 もしも愛している人の両足がバナナだったなら、どんな顔をすればいいのだろうか。美味しそうという顔をすればいいのか。あるいは悲劇的な顔をすればいいのか。それとも笑えばいいのか。どうしてもそれがわからないから、僕は気付いていないふりをする。

「あのね、私ね。深夜に映画を見たの」

「深夜に映画か」

「うん。途中から見たからなんてタイトルの映画なのかもわからないのだけど、とってもいい映画だった。外国の映画でね。最後に主人公とヒロインが恋に落ちるの」

「恋に落ちるんだ」

「そう、それは見事に恋に落ちるのよ。それがとってもよかったから、最初から見てみたいのだけど、なんてタイトルなのかわからないから探せない」

 彼女の――大鳥鳩子の車いすを押してやりながら、僕らはそんな会話を交わす。深夜のなんて事もない恋愛映画をダシにして、延々と下らない話をする。実際、会話の内容なんてなんでもいいのだ。僕にとって重要なのは彼女と話していることで、きっと彼女にとって重要な事も僕と話している事だから、外国のよく分からない映画の話でも、僕らにとっては十分だ。

「それでね。ヒロインは足が不自由な女の子なの」

「そうなんだ」

「うん」

 彼女は控えめな笑みを浮かべ、僕は彼女の足を見た。

 鳩子の足は包帯でぐるぐる巻きにされ、チェック模様の膝掛けによって隠されていいる。それをはぎ取らない限り、彼女の足を見る事は出来ない。

 その下には、下半身不随で動かなくなった足が二つ付いている――という事になっている。神経が断絶してしまったのでリハビリしても動く事はない――そういう話になっている。

 けど、僕は知っている。

 彼女の足はバナナであると。

 なぜ知っているのかと聞かれれば、鳩子と主治医が話しているのを密かに聞いてしまったと答えよう。誤解しないで欲しいのは別に盗み聞きをする気などこれっぽちもなく、純然たる偶然として、彼女と主治医が話しているのを聞いてしまっただけなのだ。


 そんな二人の話によると――


 彼女の身体からは、太ももの付け根から真っ黄色のバナナが二本生えている。それはとても熟れていて、皮を剥いて食べたなら間違いなく美味しい逸品だ。フィリピン産の最高級品でも比肩する物はない、超高級バナナである。

 主治医から、そういった事を説明されて鳩子は、とても戸惑っている様子だった。「わかんない、わかんないよ!」と主治医の説明を拒んでいた。実際、貴方の足はバナナになりました。そう言われて戸惑わない人なんて、そうそういないだろう。だから大鳥鳩子は、足がバナナになった事にどう対応していいのか分からず、両足を隠してなかった事にする事を選択した。

 包帯と長いスカートにチェックの膝掛け。それで両足のバナナをぐるぐる巻きにして、すべての秘密を覆い隠した。

「それにしても、映画って不思議だと思わない」

「不思議?」

「そう。不思議。だってさぁ、何度も何度も同じ話を繰り返すんだよ。それが上映される度に。それって中の人は飽きたりしないの?」

「それはテレビとかでも同じじゃないかな」

「テレビは放映で一回。後は再放送されるか、録画して何回かじゃない」

「動画サイトは」

「あれ、よくわかんない」

「そっか。わかんないか」

 僕は思わず、笑ってしまう。

 大鳥鳩子にはかなり癇癪持ちな部分があって、テレビのリモコンよりもボタンが付いている機械を見ると、壁に投げつけて壊してしまう習性を持っている。だから、スマホやガラゲー、ましてやパソコンなんて使えない。

 大鳥鳩子の両親は彼女にそれらを買い与えたが、それらはみんな壁に当たって壊れてしまった。だから、動画サイトなんて彼女の理解の範疇外だ。

「ともかくね。一日に何回も映画は繰り返しやるわけでしょ。それを何日も繰り返す。それって嫌にならないの」

「仕事だからね」

「仕事かぁ。仕事じゃ仕方ない」

 なんだかよく分からない納得の仕方をして、彼女は映画についての話を終わらせた。僕は鳩子の話に頷いてやりながら、車いすを押してやる。それはキィキィと音を立てながら病院の中庭を進んでいく。

 時折、看護婦や入院患者、あるいは外来患者や見舞客とすれ違う。どれも微妙に辛気臭い空気が漂っているのは病院ならではのものだろう。ここでは祖母を見舞いに来た利発そうな子どもですら、どこかに陰気な匂いがする。場の空気というやつだ。客観的に見た場合、僕らもさぞ辛気臭いカップルなんだろう。

 実際、僕らは辛気臭い。僕もわりと辛気臭く、そして彼女の大鳥鳩子は、殊更辛気臭い女の子だった。それは病院に入院しているとか、車いすであるとか、それだけじゃない。大鳥鳩子はこんなにも天真爛漫で明るい。けれどその明るさが、彼女を深く病ませている。

 散歩をしている最中、彼女の手はずっと膝掛けを押さえていた。馬鹿な映画の話をしている時でも、手は膝掛けの上だった。

 万が一にも膝掛けがめくれ上がらないように注意しているのだろう。両足がバナナである事を誰にも悟られないように、彼女は明け透けで少し足りない風な少女であるが、その実、とても聡明で用心深い性格をしている。彼女の恋人である僕にすら、足の秘密を気付かせないようにしている。

 大鳥鳩子は明るく疑り深い。いつも笑顔が絶えないのに、たまにどうしようもなく昏い顔をする。それが彼女に深みを、深淵のような闇を与えている。

 そんな彼女の暗がりを、より深い奈落へと変えているのが、バナナの足だ。

 大鳥鳩子はバナナの足を隠している。

 その存在をない物としてしまえば、実際、バナナなんてないも同然の存在だ。その事象が観測されていないのなら、それは存在しない事と同じであり、彼女の足は元のまま、動かない肉の足である――

 そんな風に彼女は思い込もうとしているのかもしれない。

 変わり果てたその足を秘密にし続けていることは、その足が変わってしまっていることを受けいれがたいと思っているから、あるいは僕を信じていないからだろう。実際のところ、準備ができていないだけの話なのかもしれない。彼女は自分の足がバナナである事を受けいれる準備、そして僕が彼女の足がバナナである事を受けいれる準備、彼女の足がバナナである事をどんな顔をして受けいれればいいのか。

 そして、受けいれた先にどうするべきか。

 素敵なバナナだと褒めてあげようか。

 あるいは美味しそうだと食べてしまうか。

 実際、バナナの賞味期限はあまり長いものではない。熟したバナナは美味しいし、熟して真っ黒になったバナナはバナナマニアにはたまらないものがあるけれど、そこを過ぎたら、腐って食べられなくなってしまう。

 そしたら、彼女の足から生えているバナナが可哀想だ……

「ねえねえ、鳥だよ、鳥!」

「ああ、本当だ。雀だね」

「スズメ、あれスズメ?」

「うん、あれは雀だ」

「美味しいの?」

「僕は食べたことがないけど、好きな人は好きらしい」

「ふーん。物好きな人もいるもんだねぇ」

 彼女の足から微かにのぼる甘く甘く物憂げな匂いは、バナナが熟した証拠にして、もう食べられるという事実を明らかとするもので、その匂いを嗅ぐたびに、僕はどうにも腹が減る。


 彼女の足を食べたくなる。


 きっとその両足はとても熟しているだろう。包帯と膝掛けとスカートでぐるぐる巻きにしていても、こうして匂いを感じるほどだ。僕の理性を司る左脳は戸惑っているけれど、僕の本能を司る右脳はとても正直で彼女の足を食べたいと願っている。

 結局、そのせめぎ合いで、僕は答えを出す事が出来ず――

「ねえねえ、スズメが飛んでった!」

「うん。飛んだ」

 でも、いつか。

 彼女の足を食べる日が、来るような気がするのだ。

 その足の皮を剥いて、柔らかな果肉に齧り付き、彼女のバナナを堪能する。そんな夢のような日がきっと来ると、空に消えていく雀を眺めながら僕はそんな事を考えていた。


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