会いたがらない彼女
蒲公英様主催、「ひとまく企画」参加作品です。
最近、優弥との約束をことごとくすっぽかすようになった香澄。
だからと言って、一人暮らしの彼女のアパートに行こうとするとそれも嫌がる。まぁこれは、今に始まったことではなく、優弥は3年もつきあっていて、香澄の部屋に入ったのは数えるほどしかない。
それでもおとなしく自分に一途な彼女のことを最初あまり心配していなかった優弥だが、ただそれが度重なるとさすがにこれはおかしいと思い始める。
香澄が難色を示すのは会うこと、彼女のアパートに出向くことなど、直接顔を合わせようということに関してだ。電話やメールは問題ない。自分からはかけてこないが、かけるともう少しもう少しと切るのを引き延ばされる。とりあえず、声を聞くのもイヤだとかそういうのではないようなのだが……
最初、優弥の脳裏を掠めたのは浮気の二文字だった。だが、電話はいつかけても3コール以内に出るし、メールは間髪入れずに返信がある。その素早さに、逆にかかってくるのを待っているのではないかと錯覚を起こすほどだ。そして、いつ電話しても周りに誰かがいる気配もなく、かかってきたことを心底喜んでいる風だ。試しに夜中にかけてみても香澄の態度になんら変わりはなかった。
ならば病を得たのかと心配して電話で聞いてみるが、
「心配しないで、私は病気なんかしてないわ。
今、忙しいの」
と言うばかりだ。忙しいのなら何故電話やメールには直ぐに対応できるのか。疑問広がるばかり。
今まで彼女が絶対に来るなと言うので、ここしばらく押し掛けずにきた優弥だが、さすがにそれももう限界。今日こそは真相を確かめるべく、優弥は彼女の大好物のイチゴ大福を片手に、彼女のアパートに向かった。
深呼吸をして呼び鈴を押す。だが中からの返事がない。留守かと思い、何気なくドアノブを回してみるとそれは簡単に回った。
「香澄、いるのか?」
鍵をかけてないなんてアブナイぞと言いつつ、玄関ラグと同じほどしかないアパートの玄関のたたきから部屋の中を覗き込んだ。首さえ伸ばせば、1Kの彼女の部屋は隅々まで覗くことができ、優弥は程なく椅子に深く腰かけている香澄を見つけた。優弥は、
「何だ、いるんなら返事ぐらいしろよ」
と言いながら近づくがなおも返事はない。慌てて駆け寄り、息をしていることを確認する。
だが、その時そこに座っている香澄であろう人物を見て、優弥の方の息が止まりそうになった。かつてぽっちゃりとしていたはずの恋人の腕は、まるで海に晒され続けた流木のように細くごつごつしていたからだ。一体、彼女に何が起こったというのだろうか。何か事件にでも巻き込まれたか。優弥は背中に冷たい汗をかきながら、その細くなってしまった腕を調べる。注射痕などはないようだ。優弥はホッと安堵のため息をもらした。
「香澄……しっかりしろ! 香澄、香澄」
そして、なおも揺さぶり名前を呼び続けると、香澄はやっと目蓋をそうに押し上げた。
「優……弥さん?」
「どうしたんだ、何があったんだ?」
「へっ、何も……ごめん、私寝てたみたい……」
優弥の必至の問いかけにぼんやりとそう答えた香澄に、倒れてたの間違いではなのかと優弥は心の中でつっこみを入れる。
続けて香澄は、
「優弥さん、私キレイになったでしょ」
と言った。
「えっ? うん、ああ……」
それを聞いて優弥はやつれたの間違いではないか思ったが、彼はそれをあからさまに否定しなかった。なぜなら香澄はそれはそれは嬉しそうにその言葉を吐いたからである。そしてさらに、
「でも、もうちょっと待ってくれたらいいのに」
そしたらもっとキレイになれるのにと、悔しそうに、だが陶酔した表情でそう続けた。もっとキレイに? 優弥はその言葉に己が耳を疑った。もう枯れ木のようだというのに、まだ痩せようというのか。
「……もういいんじゃないか……今でも十分キレイだよ」
それに対して優弥は歯切れ悪くそう返した。間違いない、香澄は病んでいるのだ、体ではなく心を。たぶん頭ごなしに否定しても逆効果になるだけだろう。
「だけど、どうしてダイエットなんか始めたんだ?」
優弥の知る香澄は食べることが大好きな女だった。優弥との食事の時、香澄は値段の高低に関わらず、いつもにこにこと箸をすすめていたのに……
どうしてこのような事態に陥ってしまったのかと思っていると、香澄は、
「このままじゃ優弥さんの隣に並べないわ」
今のままじゃ、優弥さんに相応しくないものと返した。
「相応しくないって!」
優弥は香澄の言葉に声を荒げる。
「誰かに……何か言われたのか?」
と問いただした優弥に
「べ、別に……」
香澄は目を泳がせながらそう答えた。やはり誰かに何かを言われたのだ。
優弥は今はごく普通の会社員だが、親はかなり大きな会社の社長だ。しかも、容姿はモデルばり。自慢ではないが言い寄ってくる女性も多い。そして、そんなのに限ってろくな奴はいないと優弥は思う。というよりも、優弥の心にあるのは香澄ただ一人だというのが正しい。自信たっぷりに告白してくる彼女たちには決まった女性がいるとはっきり言うのだが、彼女らが香澄を見ると、決まって、
『あの子はあなたには似合わない』
と言いだし、なおも自分を売り込む。それはまだ良い。中には優弥のいないところを見計らって、十人並みの容姿で太めの香澄に嫌がらせや中傷をしてくる者がいるのだ。自分の方が相応しいと、一体どこからそんな自信が出てくるのか、まったく理解に苦しむ。
大体、相応しいかどうかを決めるのは他の誰でもない、優弥だ。優弥が香澄が良いと言っているのだ、外野にとやかく言われる筋合いはない。
「んなの気にしなくて良い、香澄はそのままで十分キレイだからさ」
優弥はむすっとした表情で香澄にそう言った。
「でも……」
「でもも何もない。俺が選んだのは香澄、お前だから」
勝手な周りの声に騙されるなと香澄の手に菓子折を乗せた優弥は、
「だから、気にしないで食べろよ。お前の好きな竹林堂のイチゴ大福だ」
と言って頷く。香澄はそれを見て、
「覚えていてくれたのね」
と顔を一旦は綻ばせるが、
「でも、やっぱりまだダメ」
と言って彼女の前にあるテーブルに差し戻した。
「俺が今のままでで良いって言ってるんだ。香澄は恋人の言うことより、どこの誰かも分かんない奴の言うことを信じるのか?」
正確に言えば、早くダイエット前の体型に戻って欲しいが、それは今の彼女に言っても無駄だろう。
「だって……」
「だってもクソもない。俺は何があっても香澄のそばにいる」
「ずっと?」
「ああ、ずっとだ」
「ホントに? 嬉しい!」
すると香澄は花が咲いたように笑ってふらつきながらも優弥の胸に飛び込んだ。
「ウソなんか言う訳ないだろ。だから香澄、俺と……」
だが。結婚して欲しいと言おうとした優弥の腹に強烈な痛みが走った。
「何……」
痛みの元を知ろうと探ろうとするが、抱きつく香澄はやせ細って力も弱っているはずなのに、いっかな離れない。それをようやく振り解いて優弥が見た物は自分の腹に深々と突き刺さった包丁だった。
「どうして……」
「私とずっといてくれるんでしょ? 私、優弥さんと片時も離れたくないの」
私だけの優弥さんでいて欲しいのと、香澄は歌うようにそう言って優弥にもう一度抱きつく。包丁がなおも深く優弥の体に納まる。
「ああああ、だからって……」
優弥は必死に香澄から離れようともがくが、出血しどんどん冷えていく体は思うように動かず、再度振り解けないまま優弥はやがて動かなくなった。
それを見た香澄は、
「これでもう、優弥さんは私のモノ。誰にも渡さないわ」
とほほえみ、
「そう思ったらお腹が空いてきちゃった。
ねぇ、優弥さん、あなたのお土産の竹林堂のイチゴ大福いただくわね」
とまるで、彼がまだ生きているかのようにそう言うと、菓子折りを開け、好物のイチゴ大福を食べ始めた。
しかし、長くほとんど食事を摂らなかった香澄の体は、餅を受け付けてくれず、えん下されずに喉にとどまった。彼女は目を大きく瞠いてしばらくジタバタとしていたが、やがて優弥に折り重なるように倒れて動かなくなった。