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馬にひかれた学生2

 顧問に成り立ての頃は慣れていなかったこともあり、意外と馬は大きくて近づくと威圧感を覚えていた。

 見つめてくる瞳が真っ黒で、首を伸ばされると顔の大きさに恐怖を覚えた。

 警戒よりも興味を持ってもらえていたとしても、自分よりも大きい存在に及び腰になってしまう。

 噛まれないように指を伸ばして手のひらに乗せたエサを与える時は、鼻息が強いし、剥き出された歯に噛まれないと分かっていても怖かった。

 現代の馬の寿命はおよそ30年ほどと言われていて、個体差や環境もあるので一概には言えないけれど、犬や猫に比べて長生きだ。

 年齢は人の年齢の4倍で計算するらしい。

 この日の馬場では上級生が一年に馬上体操を教えていた。

 馬上体操は主に上半身のストレッチだけれど、リラックスした状態で馬に乗る目的と、鞍に慣れる練習を目的とした体操と聞く。

 馬場には飼育している四頭の馬が出ていた。

 一頭目は栗毛(くりげ)の『スカルラッティ』という作曲家の名前が付けられた馬で、名付けの生徒が古典歌曲好きだったのかもしれない。

 それと話は逸れるけれど、なぜ中学生男子はシューベルトの歌曲『魔王』が好きで、大人はベートーベンの『歓喜の歌』が好きなのだろうか? 魔王は歌の響きが不気味で不安を誘い、歓喜の歌は集団による声量で殴られる気がして好きになれないのに。

 次は漢字は違うけれど人気マンガから取ったとしか思えない『赤座(あかざ)』。

 鹿毛(かげ)の馬で、たてがみ、尾、足の下部が黒く、そのため新入部員は球節まで白いスカルラッティとは、足元やたてがみで見分けていた。

 樋目野川美都里子と副部長、賀茂詩佳が担当し、面倒を見るのは『ターンステップ』という馬は、額の白い柄が鼻に向かって伸びる流星のある青毛(あおげ)をしている。

 四頭目は『三角生馬(みつかどいくま)』という。

 名付けの先輩が卒業式の日に由来を明かすも、今さら名前を変えられずにいるらしい。

 斑に白い部分のある班毛(はんもう)の人懐っこい馬だ。

 ヒメ子と同じで、呼びにくいことから、生馬と呼ばれていた。

 部活では一頭の馬に三人から四人で面倒を見ており、飼育する馬は全部で四頭なので部員は十数人ほど。そのため四人居るところは、同じ学年が二人居る班もある。

 すると離れて四頭全体を俯瞰して見ていた馬好きでスポーツ刈りの部長が声を張った。

「姫だか王子だか忘れたが! ターンステップに乗ってる女子! 寝んな!」

 離れたところから見ていても、明らかに一人だけ柔軟のストレッチどころか、へにゃへにゃしてはビクンッと身体が跳ねていた。

 それはもう乗馬の格好、ポロシャツにキュロットやブーツ、プロテクターなど、ヘルメットで顔に陰が差していても、居眠りなのは一目瞭然だった。

 人に乗られている馬にとって、歩くも走るも背中の人のリズムが合うと楽なので、身体が柔らかいのは強味ではあるが不規則に揺れる居眠りは……

「ヒメ子ちゃん、ヒメ子ちゃん、起きて!」

 呼ばれて身体を起こし、目を見開いて口の端をグローブを付けた手で擦る。

「はいっ! ……大丈夫、です……」

 返事をして目が覚めたヒメ子は、背筋を伸ばして手綱を握る。

 ターンステップの顔の脇に立ち、誘導する時に使うリードロープを手にした二年の賀茂詩佳が、部長に怒られてシャキッとした顔をするヒメ子を見上げて呼びかけた。

「歩く≪常歩(なみあし)≫から、少し早い≪軽速歩(けいはやあし)≫で進むから、その2拍子に合わせて軽くお尻を浮かしたり下ろしたり、感覚を覚えてね。前と同じだから緊張は要らないからね」

「はい……! 緊張しません」

 下からアドバイスをくれる賀茂詩佳に頷き返す。

 先輩がリードロープを握っていてくれるし、始めから失敗する心配なんてしていない。

 そうして馬場の柵に沿ってしばらく軽速歩をした後、ターンステップと併走した先輩は息を整えるため、常歩に戻して柵の角隅角(ぐうかく)を曲がって歩く。

 何度かリードロープを持って軽速歩の感覚を教えてもらえるのだが、4拍子と呼ばれる常歩の揺れが心地よく、馬の歩くリズムはテスト終わりで気が緩んだヒメ子の眠りを誘う。

「おい、嘘だろ。さっき叱ったばっかなのに眠るのか」

 馬の背中の一番高い位置から足元までの高さを体高(たいこう)というのだけど、品種や個体差にもよるが、ターンステップの体高は女子高生の平均身長ほどある。

 そうそう子供じゃあるまいし落ちないが、落ちたら危険なのも事実。

 一度は呆れた部長は落下する恐れを回避のため声を飛ばす。

「テスト終わりで疲れてるのは分かるが! 寝るなら降りてから寝ろ! 寝るなら乗るな!」

「ヒメ子ちゃん!?」

 叱られている馬上の本人より、リードロープを握る賀茂詩佳の方が慌ててしまう。

「ん? なに撮ってるんだ?」

 部長はいつの間にか隣に来ていた副部長に気づく。

 その手にはスマホが握られ、問いに対して微笑みが返された。

「何って、活動記録。来年入る新入生向けに、馬術部はハートフルな活動ですって、アピールする素材に良いと思わない?」

 後輩の指導はもちろん、部活に熱心な部長は答えを聞いて胸の前で腕を組む。

「居眠りしても許されると誤解を招かないか?」

「乗馬の心地良さは伝わると思うな」

「だが乗ってる奴の居眠りが気になって、馬が入ってこなくないか?」

「ヒメ子ちゃん目的でも、新入部員が入って来ないよりはマシでしょ?」

「……」

 正解ではないが間違いでもないので返す言葉が無い。

「日々上達する成長記録にもなるし」

 今の部員数的に来年度一年生がゼロでも、即廃部にはならないが再来年度が危うい。

「せめて本人の許可は取れよ」

「はーい」


 乗馬終わりのストレッチ。

 脚、腰、背中に首、全体的にクールダウンのストレッチはするが、指示を出したり馬の動きに合わせて立ち上がるので脚の柔軟が多くなる。

 一年生が先輩部員からストレッチを教わる中、部長が呆れとも感心とも取れる言葉を漏らす。

「おー、固すぎるだろ。びっくりだわ」

 視線の先にはヒメ子の姿があり、彼女なりに一生懸命に身体を伸ばす。

 どうやら身体をへにゃへにゃしていた居眠りの姿は、小学生の頃に親指と人差し指で挟んだエンピツを揺らすと、曲がって見える現象と同じだったようだ。

 部長の指摘に近くに居た副部長が朗らかに庇う。

「その分、誰よりも馬上でリラックス出来てるから良いんじゃない?」

「馬の上で寝るなんて、テレビで見たチビしか見たことないぞ」

「じゃあ、生で見られてラッキーだ」

「……」

 何にでもプラス思考が出来る副部長に言葉もないが、部活中に熱くなって語気が荒れた時など、それに助けられているのも事実なので怒れない。

「良かったですね、部長。こんなに身体の硬い後輩も見れて」

 聞こえていたヒメ子が、一仕事終えたかのような表情で言う。

 すると部長は眉間にシワを刻み、一度横目で現役副部長を見やる。

「やかましい。その図太さは将来の副部長で決まりだな」

「現役部長のお墨付きもらっちゃった」

 ターンステップの上で居眠りし、不安にさせた賀茂詩佳にヒメ子は小さくピースする。

「直すのそういうとこだぞ。馬術より先に反省の心と冗談の聞き分けと謙遜を覚えような」


 大会の地区ごとブロック予選の帰り、部活メンバーが固まって乗り込んだ電車内。

 一年組は見学だったので、夏はポロシャツの制服姿だった。

「絶対! 貸与馬なんかじゃなく、スカルラッティだったら部長優勝してたろ!」

「声抑えて。電車の中だよ」

 二年の先輩から、抑えた声の注意が飛ぶ。

 顧問なので後藤芽枝も引率していたけれど、大人からの注意は必要なさそうだった。

「そうかもな。だが、皆同じ条件だしさ。そんなこと言ったら、先輩皆いつもの赤座たちだったら、決勝まで行ってた」

 自分たちよりも上手い先輩たちなので、どうしても贔屓目に見てしまう発言が多い。

「次は出られるようになりたいね」

 気持ちが上がっているのか、同じ一年の女子が話しかけてきた。

「そうだね。上川さん」

「川上だよ。ヒメ子ちゃん」

 応援しかしていない大会には興味がないヒメ子。

 そもそも上手く乗りたいとか、競いたいという気持ちで部活はしていないめ、大会にはさして関心が無い。

 ただ自他共に指導熱心な部長が居たから、上級生に言われるがまま部活動をしているにすぎなかった。

 けれど部活のきっかけになった妙に惹かれる感覚のせいか、普段厩舎で見るターンステップたち意外の馬にそわそわしていた。

 出来るだけ近づいて見たいし、触れるなら触りたくて落ち着かなかった。

 大会でうろうろして迷子になりそうになるヒメ子を繋ぎとめていたのは川上だ。

 電車の揺れに身体を預けながら、耳にイヤホンを入れ、大粒のラムネを口に放る。

 そして馬に会えた幸せに浸りながら、この日会った馬で頭がいっぱいだった。

 なので何でそんな話になったのか、全く聞いてなかったが、論争に巻き込まれてしまう。

「お腹がすく!」

「お腹が減るですって!」

 コソコソ声の論争が耳に届き、ヒメ子は呟いて声の方を見る。

「何?」

「小腹がすくとは言うけど、減るとは言わないでしょ!」

 ペしぺしと後輩の肩を叩いて訴える先輩。

「言いますよ~」

「それは現代は言葉が乱れてるからだって!」

 今度は揺すられだした後輩は、困ったように引率の顧問へ視線を向けた。

「後藤先生はどっちだと思いますか?」

「私は国語の教師じゃないからわかりません。それと電車の中なんで静かにしなさい」

 返ってきた答えに後輩の生徒は不満を見せる。

「ここはよく食べてるヒメ子ちゃんに聞いてみよう。お腹が『すく』と『減る』どっちだと思う?」

 何人か挟んだ向こうの席から急に振られ、口にしようとしていたラムネを噛み砕く。

「あー、うん。そうだね。お腹がハングリー?」

 その論争はどうでもよく、かなり適当に答えた。

「あはは、何それ、おかしい。面白くないのが、逆にヒメ子ってだけで笑える!」

「ルー語って言うんでしょ? それ。ね、先生」

 後藤芽枝は油断していたが、話は聞いていたので、苦笑いで答えた。

「私に振らない。私だって世代からちょっと外れてるんですからね。一応知識として、会話の中に英単語を挿むってのは知ってますよ」

 本当に一時話題になった頃の記憶が薄い。

 余りなじみがなかったので、思い出もそんな言葉の人も居たな程度だ。

 するとヒメ子が一緒に帰っていた一人から聞かれていた。

「ずっと何聴いてるの?」

 席に座ってからイヤホンを耳にしていた。

 もちろん、周囲の音が聞き取れるくらい小さくだけれど、その片方を無言で相手に渡す。

「え? な、なに?」

「馬の蹄音(ていおん)

 聴いていた物を答えるも、聞き慣れない言葉に相手は復唱する。

「馬のてーおん?」

 小さく頷き、ひらがなのような発音に補足する。

「蹄の音ーー馬の足音だよ。副部長に教えてもらった。副部長は親に連れてってもらって、競馬場に蹄音を浴びに行くんだって。蹄音を直に聞けるなんて迫力あるんだろうなって羨ましい」

「へー、羨ましいんだ」

 何の頷きかした相手から、軽く耳に当てたイヤホンが返却された。

 聴いても魅力が伝わらなかったようだけれど、気にせず羨ましい気持ちを口にした。

「うん。カッポカッポ歩く常歩とか、リズム良い速歩も悪くないけど、全力の走りは部活じゃ聞けないからね」

 常歩ーー歩く音は癒され、場合によっては眠くなる。走る音は力強くてカッコいいーー気持ちがあがる。

 副部長は蹄音好きで部長は乗馬好きなど、鉄道オタクでも細分化するように、馬好きにもいろいろあるらしい。

 ヒメ子は今のところ馬に惹かれているのと、教えてもらった全力で走る馬蹄音がお気に入りなくらいだ。

「今度、副部長が家族で競馬場行くっていうから、一緒に連れてってもらうんだ。未成年は大人と一緒じゃないと入れないでしょ?」

 もちろん、成人していても馬券は二十歳まで買えない。

「それ、行く意味あるの?」

「食べ物の屋台とか小さい子は遊具で遊べるんだって。だから、食べ物と馬の足音だから飽きないと思うんだ」

 一日に12レースあるため、食べながら待ってもさほど飽きないような気がした。

「その自信どこから来るの?」

「だって馬だよ。ずっと見ていられない?」

「部活で十分かな。食べ物もそんなに入らないし」

「知り合いの目もないから、腹ごなしにブランコとか滑り台出来るよ」

「高校生になってブランコや滑り台はいいかな……」

「大人になったら出来ないよ?」

「別にいいかな。それと副部長と行くから、見られちゃうんじゃない? ヒメ子がブランコとか滑り台で遊ぶ姿。恥ずかしくない?」

「あっ……うん」

 前言の穴を指摘され、ヒメ子は考え込む。

「なら、目隠ししてもらおう」

「でも目隠しされたら、そういうことって気づかれるでしょ」

「本当だ……」

 二人で雑談でしかない会話で喋っていると、周りの話題も変わっていって、もう少しだけ電車に揺られた。

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