今か昔日1
ある農村。
蝶が暖かな陽射しの中のんびり舞って、てんとう虫が見え隠れしながら雑草の葉を登っている。
まだ空気は少し肌寒いけれど、太陽の陽射しや段々と温められる地面などから春を告げていた。
在来のメスに西洋の大型馬を交配させて産ませた半血馬に跨がる佳乃女。
二輪の大八車を引く背中に揺られながら、首のハモをよけて腕を伸ばし、毛並みがよく引き締まった首に触れる。
「尾白、今日はおそろい」
弾む声で語りかけた彼女の、一つに結った後ろ髪が、尾白の唯一白い尻尾のように揺れていた。
娘言葉をかけられた牡馬の尾白は、強めの息を鼻から一つ吐いて答える。
彼女は普段の着物でなく、かっぽう着にもんぺの農作業姿をしていた。
先を同じく農作業する格好の父親が歩き、手綱を握る佳乃女は尾白に乗って高い視点を楽しみながら、後をゆっくりとついていく。
馬に乗る視点は遥かに高く、尾白からの視界は彼女の父親より眺めが良い。
そうして自分のところの田んぼに到着する。
前の週から周辺の農家総出で、畦の草刈りや用水路の掃除をしたので足元がすっきりしていた。
するりと尾白の背中から一旦降り、父親と一緒に大八車に乗せていた農機具を地面に降ろす。
「せーの」
父親一人でも馬に引かせる犂の準備は出来るけれど、二人で準備した方が楽で早く用意出来る。
それに農機具は物により重く、以外と一人作業は危険だったりした。
首につけられた馬装具のハモから伸びる左右の縄の先、尾白の後方に繋がる横木の尻枷に、犂を取り付けるため手を動かす。
これから使う犂は土をひっくり返して耕すための道具で、冬の間に固くなった土を耕すには必要だった。
それに犂は馬や牛に牽引してもらう必要があり、人は犂の持ち手を握って体重をかけ、金属の付いた刃先が地面を掘り返しているか、確認しながら舵を取る。
力強い馬で牽引し、固い地面の抵抗も受けるので木で組まれた犂は重く、逆に佳乃女の女子の力では大八車から降ろすことも難しい。
犂を使用するイメージ的には、子供がふざけて鍬の先を地面に突き立てたまま引きずって歩く姿が分かりやすいと思う。
尾白と繋いでいた大八車を外し、土を掘り起こす刃先のついた犂に交換する。
彼女は小さな頃から大人のしていることをマネしたくて、駄々をこねていたので一人でも手順は問題なく出来た。
けれど両親や周囲の大人たちは、せっかく愛らしくも器量好しに育ったのだから、余り無茶をするものでないと甘やかすようなことを言う。
手伝うのが好きなのもあるけれど、尾白と一緒に居られるのも農作業を手伝う理由だった。
「これで良しだな。佳乃女、真っ直ぐゆっくり頼むぞ」
「分かってる。任せてよ」
父親の言葉に胸を張って返す彼女。
尾白の横に立ち、手綱を短く握り、思いっきり腕を伸ばしてタテガミを掴む。
その状態で振り向き、一声かけてお願いした。
「お父さんお願い」
弾みをつけて跳び、父親が脚を持って押し上げてくれる。
そして木枠で出来た駄鞍を跨ぎ、尾白の高い背中に戻った。
駄鞍と馬の背中の間には、布で包んだ藁が挟まれ、緩衝材の役割を果たしている。
気持ち的に尾白の首に触れてから、手綱を持ち直す。
振り返って犂のところに父親がついているの確かめ、眼差しで合図し合って尾白を歩かせる。
田んぼの端から端まで真っ直ぐ進み、突き当たったら畦に沿って曲がり、外周から中心に向けて耕していく。
本来は馬の背には乗らずに手綱を使ったり、竹などの棒を用いて鼻取りという誘導をするのだけれど、佳乃女は乗せられて手伝っていた。
通常通りだと尾白を誘導するのに集中して、自分の足に足を取られて何度も地面を転がり、心配されるという事情がある。
この田起こしも馬や牛の手綱を引いて一人で行う人も居るので、佳乃女は必要ないけれど、彼女が手伝いたいのと尾白に乗りたいからでもあった。
当然だけれど二人居た方が作業が分担されるので、二人居るならそうした方が負担が少なく済むというのもある。
背筋を伸ばして視線を真っ直ぐにし、歩みが曲がらないように気をつける。
馬耕は人と馬と息を合わせて行うので、時たま父親の反応を見ながら、尾白に方向の指示を出して背に揺られる。
今日は天気が良く、強い風も吹かず、のどかな景色が広がっていた。
退屈を感じて遠くに視線を向ければ、他にも牛に犂を引かせて田起こしをしているだろう影が見えた。
近くの村にトラクターを入れた農家があると、人伝に耳にした。
何でも作業が早くて、便利で楽なのだとか、断片的にトラクターについて聞いてはいる。
けれど、家畜が必要でなくなってしまうのは悲しい。
「ーー佳乃女、佳乃女、佳乃女! ちょっと落とせ! ゆっくりだ! 聞いてるか!?」
「……? あっ!? ごめん!」
考えごとをしていた彼女は、父親の声に引き戻されて謝った。
そして毛並みを撫でながら尾白に呼びかける。
「ごめんね。早かったって、もうちょっとゆっくりお願い」
彼女の指示に従って、尾白の歩みが緩まった。
そしてトラクターが便利で楽なのだとしても、佳乃女は尾白と一緒の方を選ぶ。
他の馬にはそんなに会ってきていないが、知っている中では気性が穏やかで賢く、優しい目元の尾白が好きだった。
一通り地面を掘り起こして耕したら、尾白を放して休憩させる。
「お疲れさま」
短い草を食む身体を撫でて、彼女は木の水桶を手にして語りかける。
「お水持ってきてあげる」
土手を足早に駆けて、用水路の脇で桶を下ろし、さっと流れから水をすくって汲み取る。
余りくむと身体が起こせなくなるので、半分より多めの水桶を持ち上げた。
身体の前で両腕で持ち、来たときとは逆にゆっくりと畦を戻る。
すると通りかかった子供たちに尾白が囲まれていた。
やっぱりまだ村の子供たちの大体は着物だった。
洋服も最近は目にするけれど、見かけるのは住人を訪ねて来る人くらい。
着物の方が糸を解いて、下の子用に仕立てられるため、まだまだ田舎は洋服でなく着物だった。
尾白は草をもらって鼻筋を撫でられたり、ぺちぺちお腹に手を当てられたり、揺れる白い尻尾に横から触られたりしていた。
馬の後ろ足に近づくのは危険と教えられていても、子供の好奇心は止められないようだ。
その子に向けて、水桶を地面に降ろしながら呼びかける。
「後ろ足は危ないからこっちおいで」
いくら尾白が穏やかな気性でも、尻尾を引っ張られたら驚いて蹴ってしまう可能性がある。
手を伸ばしていた子供が注意に頷き、こっちにやってくる。
名前を知らない子供だけれど、顔は見た覚えがあるので、膝を折って目線を合わせる。
「触るならこっち。それともタテガミ触ってみる?」
水桶に首を下ろす首筋に沿うタテガミに視線を移す。
桶に近づけた顔の周りには子供が集まって、水を飲む姿に見入ったり、飛び散る水から逃げて楽しげな声を上げる。
飛んだ水が飛ぶほど近づかなければ良いことなのに、好奇心旺盛な子供たちは間近で見ようとしゃがみ込む。
もちろん、馬や動物の苦手な子は、離れた場所から友達が戻ってくるのを待っていた。
彼女の視線を追って振り向く子供は、怖々聞き返してきた。
「良いの?」
「もちろん。優しくね」
微笑んで頷き、後から子供の脇に手を入れる。
抱きかかえるように持ち上げ、首筋のタテガミに手が届くようにしてあげる。
「わぁ」
両手でタテガミに触れる子供は、余り馬に触れた経験が無いのか夢中になって撫でた。
尾白も水を飲み終えると、再び周りから差し出される草に首を伸ばし、子供たちからわっと声が上がる。
一人の子が尾白の首に跳んでしがみ付き、地面から浮いた足を揺らして、楽しげな悲鳴を上げた。
「……」
一周が難しい腕でつかまる子に、尾白も余り高くならないようにしているのか、大人しくなされるがままになっていた。
抱えていた子を降ろしながら、その様子に少し羨ましい眼差しで見つめた。
畦塗りの前に今年は土が乾いているため、一度水を入れに水路との水門に行っていた父親が戻ってくる。
「皆元気良いな。佳乃女、まだ尾白は大丈夫なようだから、ちょっと三嶋のじいさんの畑行きたいんだが良いか?」
父親は尾白の背を撫でながら、一人暮らしになってしまった知り合いのお年寄りの手伝いをしたいと相談された。
「何なら、母さんと残っても良いんだぞ。ある程度になったら水門を閉じるようお願いして来たからな」
見ると後からやって来たらしい母親の姿があり、手を振ると振り返してくれた。
犂さえ大八車に乗せるのを手伝ってくれたら、後は向こうで男二人で降ろすと言う。
「うんん、わたしも行く。尾白が行くなら、わたしも行くよ」
子供を地面に降ろしながら、そう父親に返事をした。
田舎ならではの助け合いの風習だとしても、嫌々でなく心から助けようとしている姿に尊敬している。
三嶋のおじいさん一人では確かに大変だろうし、少しでも助けになれればとは感じていた。
冬を越した畑の土を鍬だけで、しかも一人で耕すのは大変だ。
家庭菜園ならまだしも、出荷する量となると誰かの助けは必ず必要になる。
「皆、ごめんね。今から三嶋のおじいさんのところに行きたいから、遊びはここまで」
首につかまる子の脇に手を入れて降ろし、水桶の中身を田んぼに開ける。
尾白に犂を乗せた大八車を繋ぎ直し、今度は尾白の隣を歩く。
そして到着して世間話を少し挟み、本日二度目の犂の準備に取りかかる。
「助かるよ。ありがとな」
「いいえ。困った時はお互い様ですから」
おじいさんの頭はほぼ白髪で、余り目元や口元にシワがあり、寡黙な性格が渋くて、足腰は農作業をしているからしっかりしている。
三嶋のおじいさんの家が、おじいさん一人になってしまい農業を辞めることも考えていたらしいけれど、おじいさんの育てる野菜は好評で、周りの大人たちが諦めないように説得したと聞いていた。
ささっと用意を調え、佳乃女は再び尾白の背に揺られる。
今度は左右に折り返す形で、畑全体の土を犂で掘り返す。
日が落ちる前に無事に終えた。
一通り固くなった地面の土を返した後に目を向けると、土の中の虫を狙ってハクセキレイが来ていた。
春先はどこも肥料を撒くので、子供の頃は臭い臭いと言って田畑の道を歩いた記憶がある。
今も臭いとは思うけれど、必要なことだと我慢できた。
帰りの準備を終えて小さく手を振る。
「おじいさん、バイバイ。また来るね」
「おう、また。ありがとな」
ぶっきら棒にお礼を口にし、手を振り返してくれる。
佳乃女の家は里山の麓にあり、遠くの屋根を見下ろせるくらいには、緩い傾斜の先に建っていた。
母屋の他に厠やお風呂、納屋や馬が入れば良いので屋根の低い厩などが独立して建つ。
厩でお疲れさまと言葉をかけて、頭絡や駄鞍を始め馬具を外していく。
餌と水やりをし、母屋に戻る足を突然止める佳乃女。
くるっと身体を回し、尾白の首に飛び付く。
長い髪が広がり、斜め上に伸ばした腕で抱き締める。
「ずっと羨ましかったんだよね」
首が太いので腕は回らないけれど、足の裏を浮かせてしがみつき、頬を短い毛並みに密着させる。
「ん~」
眉をハの字にさせて、幸せそうな声を漏らす。
彼女は子供が抱き付いている姿を見てから、ずっと同じことがしたくてたまらなかった。
ずっと一緒に居るので、子供たちに囲まれてるのは嬉しいけれど、余りにも懐かれてると自分の方が好きだし、尾白もわたしが好きに決まっていると嫉妬してしまう。
手を離して着地し、下げてくる鼻筋を撫でて語りかける。
「また明日ね。おやすみ、尾白」
小さく手を振って厩の戸を閉めると、板壁に設けられた窓から尾白が顔を出す。
佳乃女には長い睫毛に囲われたその瞳が、まだ行かないでと訴えかけてきている気がした。
「バイバイ」
全体的に出来がよくないので、リアルさは求めずにファンタジーと思って読んでもらえてたら気が楽です




