馬にひかれた学生3
一頭分ずつの区切りのある馬房が並ぶ、馬小屋の厩舎に女子組の声が響く。
「デートって終わり悪けりゃ、全てダメになるよね。どんなに楽しくても、いくらロマンチックな時間を過ごしていても、別れ際相手にあっさり帰られちゃうと冷めない?」
皆馬装前のブラッシングを各担当馬にしており、必ず片手を馬に添えて手に持ったブラシでかけていた。
上はポロシャツで下は動きやすさ重視のジャージ姿。
表面の馬房で付いた細かなゴミを落とし、鞍などを取り付ける準備をしながら喋っていた。
「ふぅ~ん、じゃあ彼氏には別れを惜しんで欲しいってこと?」
馬の前肢後肢の間に足を入れないように気を付けながら、ブラッシングを首のある前から後ろへ、上から下へ一方向にかける。
「そう! 何度も振り返って手を振って欲しいの」
頷きながらも手は止めず、片手を馬の体に当てながらブラシを続ける。
当てた手には呼吸、筋肉の隆起や動きが伝わり、馬は人の平均体温より一、二度高いので、その体温が心地良い。
人によるのを承知で言わせてもらうと、例えるなら足湯とかの心地良さが近いかもしれなかった。
「ウザくない?」
「今生の別れなら分かるけど、現代の恋人に必要?」
「だけどバイバイしてスーって帰られたら寂しくない? 何なら一度戻って来る勢いがあった方が良くない?」
「私そんな相手やだわ。私だったら『はいはい早く帰れ』って追い払うみたいに、指を下にして手を振っちゃうかも」
馬の右側のブラッシングを終えて、反対側も同様にかけるため前を通り反対側に回る。
「別れた後、寂しくないの?」
「通話すれば良くない?」
その時、後ろ脚で蹴られないように決して後ろを回らないように決まりを守る。
「別れてすぐ通話するくらいなら、もうちょっと一緒に居た方が良いでしょ? 何で皆分かってくれないの!」
余りにも冷めた反応ばかりで嘆くが、ようやくデートの別れ際の話に同意する女子の声も上がる。
「んんー、まぁ、相手との温度差があるとモヤモヤするのは分からなくないかな」
「でしょ! 私だけこんな寂しい思いしてるのに、平然と笑顔で帰ってくんだよ! 不公平じゃん」
「それは一緒に居られて満足したからだろ。だから、笑顔でバイバイ出来たんじゃないの?」
「そうかもしれないけど……同じ気持ちでいて欲しいっていうか」
「面倒だな、お前は」
担当馬をお世話しながら、相手の主張に呆れる。
興味が皆無だったためらそんな会話には参加せず、黙々と馬装の準備をしていたところに話を振られてしまった。
「ヒメ子はどう?」
話に参加していなかったため、皆よりもブラッシングは進んでいて、最後に軽く顔周りをきれいにするだけだったけれど。
急に話を振られ、ゆっくりと間を置いて答えた。
「ーーそもそも恋が分からない」
皆からの視線は集まるが、気にせずターンステップの顔にある流星を繰り返し撫でる。
皆何か言葉が続くと思ったため、妙な間を挿みヒメ子に聞き返すことになった。
「好きになった男子とか居なかったの? 小学生や幼稚園の頃でも良いけど?」
「んん~、無い」
今思い返す限り、小さい頃にアニメの変身ヒロインが好きだったり、食べ物や服装の好きはあるけれど、この会話が求めているような答えは無かった。
短く返す間もターンステップに鞍を装着する作業の手は進める。
ブラシで整えた背に布製の鞍下ゼッケン、衝撃吸収のパッド、もう一枚シープゼッケンと重ねていく。
ちなみに競馬などで目にする馬名と番号が書かれたのは、競走ゼッケンと呼び分けたりもする。
「告白されたりしなかった? 女の子からでも良いよ」
それはヒメ子の容姿から、女子にもモテそうと思われているに違いない。
まだ質問は終わらないが、ヒメ子も手を止める気は無かった。
考えながら移動し、鞍を手に取りターンステップの隣に戻る。
「された」
たった一言発しただけなのに、息を呑むのとは違う空気の変化が伝わってきた。
他人の話なんて興味が無いヒメ子だったが、皆が待っている気がして続ける。
「お菓子くれる女の子から好きで居ても良いかとか、同じクラスの男子に放課後の教室で付き合ってって」
淡々と喋るヒメ子の様子から、何となく分かりつつも問い返す声が。
「断ったの?」
「断った。異性としての好きとか分からなかったし、そもそも憧れの好きとかも無かったから無理かなって」
男子に告白された時は、最後の授業で寝落ちして、放課後に目を覚まして寝ぼけてもいたという。
あった事実をそのまま話し、そしたら左腕に乗せて持つ鞍をゼッケンを重ねた上に下ろして乗せる。
ターンステップの左側から左手を前、右手で後ろを持ち、シープゼッケンの上に静かに重ねた。
もし上から載せず、横から滑らせるように載せると下がズレるので横着は禁物。
手際良く済ますには数をこなし、手を抜こうとしないことが重要になる。
き甲の後ろに合わすため、毛並みに沿うように前に出してから下げて位置調整。
「でも、付き合ってみたら好きになるパターンかもしれないよ」
「かもね」
返された意見に理屈は分かっても、人に興味が無いので付き合うのは面倒くさいと思ってしまう。
腹帯を前肢との間に指一本入る位置に回して鞍を固定。
「出来るだけ興味ないことはしたくなかったし、それなりにクラスにその男子を好きな女子がいたから、下手に付き合って嫌な思いしたくなかったから」
好きになるかも分からない相手と付き合って、他の女子から敵視されるなんて、面倒くさいことこの上ない。
「意外、ヒメ子ってそういう女子のそういう面が見えてるんだね。てっきり無関心だし、無自覚なのかと思ってたよ」
次に馬の肢と肢がぶつかってしまうケガ防止のプロテクターに取りかかりながら、呟いた。
「何人かに直接『好きじゃないなら、私好きだから取らないでね』って、周りに誰も居ない時や呼び出されて言われた。告白断ったのに」
「あ~」
容易く想像出来てしまって嘆息が漏れる女子。
「小学生の頃にも、ある男子が好きなのか訊かれた。その男子は返却されたテストを勝手に覗いてきて、わたしよりテストの点が5点高かっただけで、自分の方が上だって喜ぶような男子だった。だから、その女子にカッコ悪いから好きになるわけがないって返したら『私より二重跳び出来るし、たまにテストで満点取るし、音楽の授業で太鼓叩くのカッコいいでしょ!』って怒られた」
「ヒメ子らしい。男の子はヒメ子の気を引きたかったんじゃない?」
「気になる子にちょっかいかけるなんて、小学生らしいじゃん」
「そうかな?」
他の意見にヒメ子は首を傾げる。
すると突然この場以外の声がし、お喋りに夢中で手を止めていた人は肩をビクつかせた。
「お喋りしてないで準備しろー、部活の時間は有限たからな。練習出来なくなるぞー」
副部長狙いで部活に入ったと噂の三年男子が、声をかけながら歩いてきた。
練習出来なくなるは言い過ぎだけれど、確実に乗馬時間が少なくなるのは事実だ。
「チャーリーにしか乗れなくなるけど良いのかー?」
「それなら大丈夫でーす。フライドポテトが食べたくなったって、少し前に福与先輩が乗って出ました」
「アイツ!」
一番近いバーガー店でも、往復三十分以上はかかる。
何かあったのか、文句を言いたそうにするも呑み込み、先輩は後輩たちに準備を促す。
「仕方ない……皆は準備しなー」
そこで女子のお喋りは一端の終了を迎えた。
周りよりも準備を進めていたヒメ子は、次に頭絡を付けるため左側、馬と同じ方向を向く。
そして頭絡の装着の際に邪魔になる手綱をターンステップの首にかけて避ける。
横から右腕を顎下に回し、ハミを歯の無い口奥に咥えさせる。
ヒメ子的にこの作業をする時は、相手は馬だけれど、頭の中にキャメルクラッチが浮かんでしまう。
よく男子が教室の後ろで遊んでいてキャメルクラッチを知った。
項革を耳に通し、最後は正面に回って、真っ直ぐバランス良く装着出来ているか確認する。
「良し。今日もカッコいいぞ」
乗馬に必要な準備は整ったと、一歩引いてターンステップを俯瞰した。
あとは乗馬する服装に着替えて乗るだけだった。
ポロシャツに乗馬用キュロット、ブーツ、ヘルメットにプロテクターと、何度とした着替えに手間取ることはなくなっていた。
ゴツゴツとブーツの踵を鳴らし、グローブをはめながら、先に馬場へ連れてかれたターンステップの元に向かう。
大概の女子は一度台に乗り、そこから背に乗って鐙に爪先を通す。
しかし、男子並みに身長があるヒメ子は、台無しで担当のターンステップに向かう。
左手の手綱と一緒にタテガミを持ち、左足を持ち上げて爪先を通す。
背丈はあっても身体が固いので、けんけんとよたついてしまう。
なので、繊細な馬を変に驚かせて暴れさせはしまいかと、端から見ている顧問や先輩をヒメ子はヒヤヒヤさせる。
「台を使うなって言ってないのに、何でいつも自力で乗ろうとするんだ! 乗る度に皆に緊張が走るんだが」
女子は副部長含めて、ほぼ台を使って騎乗する。
その方が楽だし、途中で下手にバランスを崩して、馬のお腹を間違って蹴ってしまうリスクを回避出来る。
「前にも注意したはずなんだが」
人の話を聞いてないのかと、腕を組んで渋い顔をする部長。
そこはヒメ子という不思議な女子、周りの心配は全て杞憂に終わらせる。
「台がない方がカッコいいからだって」
隣でヒメ子の様子を見守る副部長が、理解に苦しむ部長に答えた。
色々な意味で人の目を引くヒメ子は、伸ばした右腕で鞍の後を掴み、右足で地面を蹴って鐙にかけた左脚だけで身体を持ち上げ、右脚を馬背の向こうに回す。
脚を反対側に持っていくのに合わせ、右手も前橋に持って行き、馬を驚かせないように静かに優しく腰を下ろした。
そして右の爪先を鐙に通す。
次に薬指と小指の間に手綱を通すようにして、人差し指から薬指までの三本で手綱を握り込む。
先に騎乗した人から馬場の真ん中で輪乗りし、馬を円状に歩かせる。
ヒメ子は足でターンステップに合図し、常歩で歩き出したら、先三頭の後に合流するため片腕を開き、開いた側に進ませる。
ぽっかぽっかぽっかと、4拍子のリズムの揺れに身体を合わせた。
スカルラッティ、赤座、三角生馬、そしてターンステップが輪乗りに加わって揃う。
リラックスして鞍に座り、頭、肩、お尻、踵と縦に一直線にして前を見る。
四頭並んでの蹄跡行進に移った。
「スカルラッティに乗ってるの、身体が固い! のんびり屋だから、気楽に力抜け!」
部長が離れた位置から、一年の部員に声をかけていく。
「その後ろ! 身体が前に出過ぎだ。馬が歩きづらくなるだろ! 頭を引いて背中を丸めるな!」
「その調子! 赤座は正しい指示出し出来てれば大丈夫だから。上手いよ! 怖がらないで今は曲がるときと、止まるときだけ気にしてー」
ダメなところを指摘する部長に対し、副部長は褒めて注意を促す。
ある程度間隔を空け、赤座の揺れる黒い尻尾を追って、四辺の柵に沿って、50センチ内側を直進した。
馬場の四隅を隅角と呼び、ターンステップに曲がって欲しい方向に腕を開く。
すると手綱が片方だけ緩まり、馬は楽な方に逃げようとするので開いた側に曲がって、そうやって乗っている馬に指示を出す。
「ヒメ子! 居眠りしてないな! ターンステップ気持ち早く。列から少し遅れてるぞ!」
気持ち良く乗馬するだけなら、自分と馬のペースで自由にして良いけれど、今は馬術部の練習中なので部長の声に従う。
「ごめんね。口うるさい部長で」
ターンステップに優しく謝りながら、もう一度足でお腹に合図し、赤座との距離を気持ち詰める。
ヒメ子的には馬術の練習なんてせず、馬に触れて敷地内を散歩してお世話するだけで十分だった。
「何か言ったかー!」
「うるさい部長で、ごめんねーって!」
全く悪気の無い正直な答えに、部長は一旦口を開けるも閉じた。
それは無駄に大きな声を出すのも良くないと、この瞬間は思い止まったために違いない。
「軽速歩!」
副部長から号令が飛び、先頭のスカルラッティから歩様が早まる。
ヒメ子は最後尾なので、のんびりターンステップに足で叩いて合図を出す。
気持ち揺れが大きくなるけれど意思は伝わり、揺れに合わせて身体を任せる。
慣れないうちはちょっとでも早くなると、インストラクター役の上級生がリードロープを握っていても緊張していた。
あっという間に一周回り、長方形の馬場の短辺に隅角を曲がり入るタイミングで、再び蹄跡行進に号令がかかる。
「次! 斜めに手前を換え」
その指示を受けてから、再び曲がり長辺に入って約6メートル直進した後、列は進行方向を斜向かいへ切り替えた。
なので、方向を変えたのと同様に、対角にある隅角から手前6メートル地点の柵を目指す。
斜めに渡りきったら柵に沿って進み、隅角を折れて次に長辺に入ったら、真ん中で反対側に渡る指示が出た。
「最後に速歩で一周! 乱さない、焦らない、落ち着いて!」
「ほら、スカルラッティにしっかり指示出してあげて!」
副部長からも声援が飛び、二拍子の揺れで終えた。
こうして部長と副部長が後輩の指導をしてくれているおかげで、ずいぶん顧問としての負担を軽くしてくれているが、甘えていてはいけないと顧問の後藤芽枝は練習風景を真剣に眺める。
その後は休憩を挿み、先輩たちに交代となり、一組ずつ馬場での駈歩を行った。




