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怨じる

 神在月。

 稲佐(いなさ)の浜。

 塩にはにおいがないけれど、海の潮には老廃物や死骸が溶け込み、風に乗って独特な香りが漂う。

 白砂の波打ち際に接した弁天島(べんてんじま)には鳥居があり、神在月には砂浜に祭壇が用意され、八百万の神を迎える神事が執り行われる。

 神在月に集まる神々はまず出雲大社を目指し、人々やあらゆるものの縁を相談する会議を摂社(せっしゃ)上宮(じょうぐう)で開く。

 その招集に応じる中に、二人で一柱の神の姿があった。

「毎年この季節にやって来なければならないのは面倒だな。えびす様や荒神、諏訪に居る何とかが羨ましい」

「そうだけど、わたしはあなたと旅が出来て嬉しいわ。訪れる季節は同じだけれど、人の街は刻々と変化をして、間違い探しのようで楽しいもの」

 隣を歩く娘姿をした神が、自身よりも背丈のある青年男性の形をした神に微笑みかけた。

「ふん、確かに君の言葉にも一理ある。君との旅は楽しいし、残っている本能からか、歩いたり駆けたりが心地良い」

「またわたしを背に乗せて欲しいわ」

 砂浜に仲の良い雰囲気の二人の姿。

 娘の神は幼さを残した容貌に背は低く、背中まで流れる髪は黒々と輝いていた。

 身に着ける着物は淡い色の模様、それに服装に似つかわしくない動物の毛の羽織を肩にかけている。

「君が望むならいつでも。出雲なら稲佐の浜(このはま)で、波打ち際を駆けても気持ちいいかもな」

「そうね。花や蝶の舞う草原も良いけど、海も風が気持ち良さそう。早めに来たから会議が始まるまでに行けるかしら」

 身長差から上目づかいに語りかけてくる相手の手を、そっと男性の神が背中を曲げて手を取る。

「もちろん。明日の朝にでも」

 大きな手で形の良い爪の小さな手を握り、瞳孔が横長の楕円形の眼で彼女の瞳を見つめ返す。

 俯き加減になる顔は面長で睫毛(まつげ)が長く、人の形をしていても頭からは耳が生え、着物の腰からは真っ直ぐで白く長い毛の尻尾が垂れ下がっていた。

「楽しみにしてるわ」

 そう娘は答えて手を繋ぎ直し、のんびりと砂浜を歩き出す。

 上宮で縁結びの会議が開かれる間、神々が泊まる十九社(じゅうくしゃ)は出雲大社の敷地内にあり、開催前に到着した神たちは稲佐の浜から出雲大社を目指す。

 出雲大社に近づくほど、周囲の景色は賑わい工芸や食べ物屋などが軒を連ねる。

 見ると先着した他の神々も、店を覗きながらゆっくりと向かっていた。

 遠方を訪れて楽しむのは神も同じで、一様に和やかな雰囲気で観光している。

 この国の神様は八百万であり、出自も様々なため人間臭くもあり、得意なことに違いはあっても、力自体は差ほどの違いは余りない。

 すると足並みをそろえてくれる尾白と手を繋ぎ、町並みを眺めているだけで幸せといった娘が、その足取りを止めた。

「見て、縁結びの飴がある」

 サクラ貝のような爪で指をさした先に、棒の刺さった白とピンクのウサギがあった。

 どうも足を止めたのは和菓子屋らしく、軒先に棒の先の飴で作られたあめ細工が売られている。

「かわいい。ウサギと勾玉があるんですって」

 あめ細工の棒が並べられた側には、由来や縁結びの飴であることの説明書きかあった。

 腰を曲げて読んだ彼は、身体を戻して何気なく言う。

「うん、俺たちには必要ないな」

 その言葉を聞いた瞬間、風に流れる雲が太陽にかかるみたいに彼女の表情が陰る。

「そう……ね」

 睫毛が伏せられ、軽く俯いてしまう。

 誰の目にも明らかに落胆した娘に、彼は変わらぬ調子で言葉を続けた。

「定めとか運命なんかでなく、君とは必然だからな。しかし、これでより俺たちの縁は何者にも、それこそ他の神にすら断ち切れないほど強固になったりするかもな」

 横から娘を覗き込むように、ウサギの白い飴を差し出す。

 視界に愛らしいあめ細工が差し込まれ、顔を跳ね上げた彼女の瞳に、顔の脇でピンクのウサギを振る彼の微笑みが映る。

「好き!」

 娘は感極まった表情と声で、首に腕を回してぶら下がるように抱きつく。

 彼もバランスを取るため、身体を起こして後ろに反らしながら、地面からつま先の離れる彼女を受け止めた。

「ふむ、俺も好きだ。愛している」

「わたしの方がもっと愛してる!」

 相手の言葉に娘は桃色に染まる頬を擦りつけて張り合う。

 正直、何を言っているのか意味不明だけれど、二人の間ではやり取りが成立しているようだった。

 そんな二人を見ていた木苺(きいちご)は、それが余計に気にくわなくてムカついた。

「人目も気にせず、馬鹿みたいにイチャついて。神様として恥ずかしくない振る舞いをしろよ。人には見えなくても、同じ神たちには見えてるんだからな」

 木苺はある村の餓鬼を救ったことにより、ご神木として祀られ、神格化した一種の付喪神。

 毎年毎年あの二人が会議で、こと恋愛に対しての縁に口出しするものだから、大抵の神々が疲弊して仕方なく、迷惑をかけることが許せなかった。

 だから、稲佐の浜で到着が重なってしまった時から、運がないとイライラが止まらない。

 海に向かっても『バカヤロー! コイツら馬鹿やろ!!』と叫びたい気分だった。

 そして我慢の限界になりそうになる度、袴に忍ばせた物の柄に触れ、こんな馬鹿夫婦神くらいどうにでもなると怒りを鎮めていた。

 しかし、夜もうるさくてその我慢も限界をむかえてしまう。

 神在月の神事がある間、泊まることになる出雲大社敷地内に設けられた宿の十九社(じゅうくしゃ)

 木苺が布団に横になる頃、参拝客も居ない夜なので、余計に聞きたくもない物が聞こえた。

『あ! んあ……っ!?』

『ごめん、一気にしすぎた。ゆっくり息して』

『はっ、はぁあぁぁ……ふんん』

 甘い囁き声に鼻から抜ける息づかい、苦しくも艶めかしい喘ぎ声、そして堪えるような息づかいが夜の静けさを染める。

 だから思い返すまでもなく、脳裏に映し出される。

 外でも抱きついたり、微笑み合って額を合わせたり、食事の時もベタベタして、稲佐の浜に到着した直後なんて海を見つめてたかと思ったらキスまでする。

 彼の髪が伸びたと腕を伸ばして指で触れ、茶色の前髪をよけて睫毛の長い瞳を娘は見上げていた。

 すると抱きかかえるように持ち上げられ、今度は太い腕に座るかたちになった彼女が相手を上から覗き込む。

 そしてどちらともなく唇を重ねる。

 あんな神の眼でなくても見えてしまう場所で、他の神々も到着するのに、本当に八百万(やおよろず)の神全員にでも見せつける気なのだろうかと信じられない所業だった。

 なのにまだ足らないのか、聞き耳を立てなくても男女の行為が漏れ聞こえてしまう。

『ぎゅっとして、キス……して。んっ』

 神々の宿たる十九社でまぐわうなんて、本当に正気を疑う。

『人の姿でも大っきい……手を握って、お願い』

『ああ』

『いっ、あはぁ! くぅ、んんっ。気持ち……うぁっ!』

 どんどん聞こえる声は熱を帯びて、次第に言葉がなくなり、悩ましく艶めかしい喘ぎと生々しい息づかい、そして幽かな軋みだけが夜を支配した。

 夫婦神は他にも存在するけれど、場所と時もわきまえないような馬鹿は他には居ない。

 雨でも降っていれば、また違うのだろうが生憎と雨音はしなかった。

『やっ、もう無理ぃい……』

『もうちょっ……と! くっ!』

『はぁああっ!?』

 耳を塞いでも聞こえてくる不快さに、眉間に深いシワが刻まれる。

『もう一度いけるか?』

『……うん』

 耳元で囁かれるような吐息混じりの問いに、過呼吸気味だが甘えるような頷きが聞こえた。

『わたしもまだしたいし、あまり乱暴にしないでね』

『約束は……難しいけど、頑張るよ。っーーーー』

『ふんんっ、んー! もう! キスなんかで誤魔化されないんだからね』

 馬鹿たちの情事は草木も眠る丑三つ時まで続き、闇夜に紛れて二人を襲うことを決意する。

 これまで触れることで怒りを抑えていた内反りの片刃の刀を手に取る。

 就寝するために脱いだ袴から、そっと取り上げた。

 その刀は地上に降ろされた神器にして神剣の霊剣、フツノミタマの模造品のまがい物。

 木苺にも扱えるように小型だけれど、複製品にすら能力が宿り、殺すまではいかないまでも、神性の剥奪をするだけの力は持っていた。

 神の力を失うことは恥ずかしく、悪ければ神でなくなった途端存在の消滅もありえる。

 あるきっかけで信仰が途切れたり、廃れて忘れられたりして消滅する神様もいるので、一柱消えたところで騒ぎにはならないだろう。

 それが最近生まれた存在なら尚更。

 息を殺して二人の部屋に忍び込み、布団の上で力尽きたまま眠る姿を見下ろす。

 気づかれて目を覚まされないように、下着でふざけた格好でいるが、フツノミタマを握る怒りは本物だ。

 部屋には求め合って混ざった体臭が充満し、肌にまとわりつくような空気に不快感極まりない。

 嬉しそうに目を閉じる彼が、彼女の肩を引き寄せる様子を睨み、地の底からのような低い声で囁く。

「宿ではあるけど、ラブホじゃねーんだよ!」

 目を覚まさない満足そうな二人に、まとめてフツノミタマを振り下ろす。

 抵抗も悲鳴もなく、夜の草木も起こさず、彼らの神性を消し去った。

 剥奪されて元の馬と人間に落とし、それでも怒りの炎が灯る瞳で睨み、人に与える祟りのための呪いをかける。

「引き裂かれる運命に、苦しみを過去も未来も延々と味わって死ね」

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