第8話 貴方の願いを叶えに来ました
再び目覚めると、俺のベッドの上に、俺のジャージの上着だけ着て、頭には黒いキツネのような耳を、尻の上からはキツネのような尻尾が生えた、長い黒髪の女がペタンと座っていたのだった。
「なんだ、悪い夢なら早く目覚めさせてくれないか。俺、明日学校なんだから」
「だから夢じゃないんですって。貴方もしっかりと堪能していたではありませんか、私の尻尾を」
「尻尾……よく出来た尻尾だな。どこから生えてるんだ?」
「これはそういう大人の玩具ではないですからね? ほら、このように自在に動かせるんですから」
すると、彼女の尻尾がブンブンと俺のベッドの上でのたうち回っている。わぁすごい。
「そうか。これはきっと夢に違いな、じゃあおやすみ」
「ちょいちょいちょいちょーい!」
「なんだ騒がしいな」
「なんで寝ちゃうんですか!? 目の前にザ・キツネ娘がいるんですよ!? あんなことやこんなことしたいと思わないんですか!?」
「これが現実とは思えないからだよ」
「じゃあ尚更、夢の中ならあんなことやこんなことすれば良いではないですか!」
いくら雄という性欲の魔獣であろうとも、睡魔には勝てないのだよ。
確かに俺にとっては、目の前にキツネが擬人化したような少女がいるだなんてまるで夢の世界にいるかのような気分なのだが、彼女が言う通り、夢の世界なら何をしたって自由かもしれない。
実際、彼女は俺のジャージの上着を一枚着ているだけで、おそらく下着も身に着けてなくて、彼女がちょっと動いただけで際どいところが見えそうになって、彼女の真っ白な素足もさらけ出されていて、あのモフモフの尻尾ももっと堪能したいし、あの狐耳を触ったらどんな反応をするのかも気になるし……ただ。
彼女の、さぁどこからでもかかってきなさいよと言わんばかりの勝ち誇ったような笑顔を見ていると、どうしても彼女の術中に嵌まってしまうのが癪で。その反骨心が、俺の理性をギリギリのところで保たせていたのだった。
「ていうか、お前って本当にキツネなの? キツネが化けた姿?」
「はい、そうですよ。鳴いてみましょうか? コンコンッ」
彼女は両手の指でキツネの顔を作って鳴いてみせる。
「いや、キツネの鳴き声って、結構イヌとかネコみたいな感じだったろ。コンコンなんてベター過ぎる」
「ガァルルルルル……」
「怒るな怒るな。で、お前がキツネっていうのは一旦受け入れるとする。でだ、どうしてウチに来たんだ?」
「だって貴方、神様にお願いしたではないですか。恋人が欲しいって」
確かに、俺はくるみに振られた後、あの稲荷神社を訪れて、そんなお願いをした。そして、その後にキツネと出会って──。
「あぁっ!? じゃああの時のキツネってお前なのか!?」
「はぁ、やっと気づいてくれたんですね。気づくのが遅すぎますよ。というわけで、私が直々に貴方のお願いを叶えに来ちゃいました」
「じゃ、じゃあお前って神様みたいな奴ってこと?」
「そういうことです。ほら見てください、私から溢れ出るこの神々しさを」
なんとなく彼女の背後から後光が差しているような気もするが、神様が人間のジャージなんて着るんじゃないよ。
「な、マジで? 願いを叶えに来たって、つまり何しに来たんだ?」
「貴方は恋人が欲しいとおっしゃっていたではないですか。ですので、恋人がいなくて自分で自分を慰めるしか性欲の処理が出来ない寂しいご身分の貴方の恋人になりに来たんです」
「は、はぁ……?」
コイツが神様だと聞くと、これまでの俺への不遜な態度にも納得がいくようないかないような。
変な奴だとは思っていたが、コイツが、俺の恋人に……?
「あ、なんだかまだ信じきれていないみたいですね。私が貴方のためにこんなにも恥ずかしい思いをしながら頑張っているというのに。私は貴方の恋人なのですよ? どうぞ、貴方の好きなようになさってくださいな」
「いや、お前はそれで良いのかよ。神様だから願いを叶えるっていったって、お前は俺みたいな人間の恋人になりたいのか?」
所謂異類婚姻譚というものは世界中の創作の題材となっているもので、俺も童話とかでいくつか触れたことはあるが、自分の恋人が神様だなんて到底信じられない出来事だ。
それに神という地位にある存在が人間相手を、しかも俺に惚れることなんてありえないと思っていたのだが……彼女は俺の右手を掴むと、彼女の頬に触れさせた。彼女から感じる温もりは、彼女が神様だからなのだろうか、荒んだ俺の心に安心感を与えてくれる。
「私は、貴方に何度も助けられているんですよ。だから、これは貴方への恩返しなのです」
そういえばコイツは、いや神様相手にコイツっていうのは失礼かもしれないが、どういうわけか鶴の恩返しみたいなことをやっていた。覗くないや覗けってやけにうるさかったが。
「お、恩返し? 俺がお前に何かしたことあったか?」
「はい。あのボロボロの神社に滅多に人が訪れないことは貴方もご存知ですよね?」
「大体来るのは俺の知り合いだけだったからな」
「ああして地域の人々に存在を忘れられたお社は、つまり祀られている神の存在も殆ど忘れられているようなものなんです。そういえばなんですが、貴方は無神論者ですか?」
「いや、別に深く考えたことはないが。初詣とか普通に行くし」
「神様というものは、必ずしも全知全能というわけではなく、唯一神ただ一人だけなのか、あるいは至る所に宿るものなのかは、この世界に住まう人間達それぞれの考え方次第なんです。つまり、多くの人に信仰されていればその神様の力は全知全能のように強くて、逆に全然人に信仰されていない神様の力なんて、精々一つの街を滅ぼすぐらいの力に限られてしまいます」
それでもかなり強力じゃないか? 流石神様だな……って、コイツの機嫌を損ねたらヤバいってこと?
「あの稲荷神社のように、この地に古くから伝わる伝説を元にした土着系の神様は、地域の人々に忘れ去られてしまうと、神様自身も消滅してしまうのです。本来ならあの神社にいる神様もそんな運命を辿るはずだったのですが……私は、貴方のおかげでここにいるんですよ。信仰心の強い貴方が、いつもお参りに来てくれるからです」
「いや、俺だけじゃなくて他にも二人ぐらいいたはずなんだが」
「えぇ、その通りですね」
「なんでその二人のところじゃなくて、俺のところに来たんだ?」
「殿方相手の方が、私の容姿が効果てきめんかと思いまして」
結構打算的なんだな、この神様。まぁ多分、恋人が欲しいってお願いをしたのは俺ぐらいだったんだろうが。
「後は単純に、こうして顕現するために必要な力を貯める時間が必要だったからというのもあります。結構大変なんですよ、こうして人の姿を保つというのも。おかげで寝ている時は耳と尻尾を隠せないんです」
「あぁ、だから出てたのか……」
「はい。おかげでパンツやズボンも履けません。だから仕方のないことなんです、こうして私の美しい素肌を露わにすることも。あぁダメですよ、そんな物欲しそうな顔でジロジロと見られても困ります」
「うるせぇわ」
確かにこの尻尾の大きさだと下を履くのは難儀しそうだが、目のやり場に困ってしまうのは確かだ。無駄に見た目が良いから、何かと心臓に悪い。
「さて、私が神様だということは納得いただけましたか? つきましては、私を貴方の恋人として、この家に迎え入れていただければと思うのですが」
「嫌だと言ったら出ていってくれるのか?」
「いいえ?」
何をおっしゃいますか、と言わんばかりに彼女は首を傾げてみせる。多分、この神様に一度目をつけられてしまった時点で終わりなのだろう。
ただ、相手が神様という恐れ多い存在ではあるが、神様にしては物言いが世俗的だし、こんな可愛らしい女の子が住み着いてくれると言っているのだから、それを拒絶するような男はそうそういないだろう。
俺はまだ、あの恋を諦めきれていないが……普段は強がっているつもりでも、誰かの温もりを知ると、それに甘えたくなってしまうような、寂しがり屋の自分もいて。
「わかった。好きにしてくれよ、確かに恋人が欲しいって願ったのは俺だ。神様と付き合えるだなんて信じられないが」
「なんだか人間のくせに生意気な物言いですねっ」
「まぁ、俺にも色々あったんでな」
長年想い続けた幼馴染のくるみに振られたから、じゃあこの子と付き合うか~と簡単に切り替えられるほど、俺はまだくるみへの恋心を消せていない。
だが、そんな後悔や悲壮感を、この神様が癒やしてくれるのなら、と甘えたくなってしまうほど、俺はすっかり弱くなってしまっていたのだった。
「では、せっかく念願の恋人同士になれましたので。はい、ここ拍手するところですよ」
「鬱陶しい神様だな」
「なので、早速恋人らしいことをしましょうか」
「なんだ?」
もう耳も尻尾も隠すつもりはないようで、キツネの神様は俺の両手をギュッと握りしめて、子どものように無邪気な笑顔で口を開いた。
「子作りをしましょう!」