第6話 彼女の温もり
迷惑メールで「くるみさんとマッチングしました☆」みたいなのが来て、ちょっと恐怖を感じました。
「どうして覗きに来てくれないんですか!?」
彼女は何をそんな必死になっているのか、やけに鬼気迫る表情で俺にそう叫んだが、俺にはさっぱり意味がわからない。
「いや、覗くなって言ってただろ、お前」
彼女が入浴していた時もそうだが、あんなに念を押されたのにわざわざ覗きに行くバカはいないだろう。そもそも彼女に言われなくたって、俺は彼女の就寝中を覗きに行かない、はずだ。そんな過ちを起こしたくはない。
だが、俺は真っ当な正論を言っているつもりなのに、彼女は呆れたように溜息をついて言う。
「わかっていませんね、貴方は。さっきも言ったはずです、『覗くな』はつまり『覗け』という意味なんですよ。貴方にはこの素晴らしい日本の伝統文化を理解できないのですか? ユードントアンダースタンドジャパニーズ?」
「生まれも育ちも日本だよこちとら!」
「私は貴方がいつ覗きに来てくれるか楽しみにしていたのに、待てども待てども貴方は来てくれないではないですか。ひとつ屋根の下、こんな情欲をそそる格好の可愛らしい乙女が一人で寝ているのに、貴方は全く気にならないんですか? 性能の悪い人工知能の方がまだ人間らしい性欲を持っていると思いますよ?」
「人工知能よりは勝っとるわ!」
もしも今日、俺がくるみに振られていなかったらもっとドキドキしていたかもしれない。だがコイツはそんな俺の事情を知らないから、マズローもびっくりの無茶苦茶な欲求の理論を言っているわけで。
見た目は良いんだし、もう少しおしとやかだったなら、多少は俺の心も揺れ動いていたかもしれないのに……。
「仕方がないですね。ちょっとついて来てください、きっと私が寝ているところを覗きたくなるでしょうから」
「なんだ、お前はそういう特殊な癖を持っているのか?」
「はて、一体どうなんでしょうね」
俺の質問に彼女はすっとぼけて見せて、階段を上がって寝室へと向かう。俺も渋々ついていって彼女は寝室の中に入ったが、俺は寝室に入らずにドアの前で立たされていた。
『では、想像してみてください』
ドアの向こうから彼女のくぐもった声が聞こえてくる。
『下着も身に着けていない可愛らしい乙女が、この扉一枚だけ隔てて、無防備な姿をさらしているのです。熟睡していればそう簡単に目覚めることはないでしょう。この部屋への侵入に成功すれば、それからはもう貴方の思い通りになるのですよ。布団を剥がして、私のあられもない姿をじっくり観察するなり、私が目覚めない程度の刺激を与えてみたり、あるいは……』
と、彼女はその先のことは語らなかった。どうやら続きは俺のご想像にお任せするらしい。何を想像させたいのかわかるから、あえて想像しないが。
『絶対に、絶対に覗いてはいけませんからね?』
と、執拗に念も押して。
だがやはり、彼女の思い通りになるのは嫌なので。
ていうか、今の俺はそういう気分ではないので。
彼女にバレないよう、忍び足で階段を降りてリビングへと戻り、再びソファに横になった。
そして一時すると、再びドタドタと階段を駆け降りる音が響いてきて、リビングの扉が勢いよく開かれた。
「どうして覗かないんですか!?」
一体何がしたいんだコイツは。
「いや、覗くなって言ってただろ」
「だからそれは覗いて欲しい気持ちの裏返しなんですぅー!」
「じゃあ覗けって言えばいいだろ。本音と建前というのは悪しき文化だ」
あと覗いて欲しい気持ちってなんだ。やっぱりコイツは、そういう特殊な性癖を持っているのだろう。もしもコイツが男だったなら、ここら一帯に露出狂の不審者情報が流れていたに違いない。
「もう一度、寝室前に来てください」
「なんでだよ」
「試しに覗いてくれてもいいので」
どう考えてもおかしいと思うんだがな、この状況。多分今の俺がどれだけ女に飢えていたとしても、こんな状況を用意されたら興奮も冷めてしまうぞ。
そして、俺はまた寝室の前に立たされて。
「では。く・れ・ぐ・れ・も、覗いてはダメですからね?」
彼女は俺にニッコリと微笑んで、寝室の扉を閉めた。
そして俺がすかさず扉を開くと、彼女はビクッと体を震わせて、慌てふためいたようにワチャワチャと腕を振り回して言う。
「いや、早すぎますよ!?」
やっとコイツのペースを乱せたような気がする。
「せっかく覗いてやったのに」
「乙女にだって心の準備が必要なんですー。乙女心のわからない人ですねぇ」
「難しいものだな」
「なので、もうワンテイクです。く・れ・ぐ・れ・も、覗いてはダメですからね?」
彼女が俺にニッコリと微笑んで寝室の扉を閉めた瞬間、俺はすぐに扉を開いた。
「だから早すぎますって!」
「そういうフリなのかと思って」
「なんでこういう時はノリが良いんですか貴方は!?」
彼女はプンプンと憤り始めたが、珍しく俺に振り回されている彼女の姿を見ているとなんだか愉快に思えてきて、pレはつい笑ってしまった。
すると、俺が笑ったのに気づいたらしい少女は、安心したように微笑んで口を開いた。
「やっと、笑ってくれましたね」
「え?」
「なんだか思い詰めていらっしゃる様子だったので、貴方を元気づけたかったんです」
俺は顔に出していたつもりはなかったが、どうやら初対面の少女に簡単にバレてしまうぐらいには、俺の表情や雰囲気に悲壮感が漂ってしまっていたようだ。
まさか、この変な女がそんなことを気にかけてくれていたとは……。
「……ありがとな。しかし、かといってそんな体を張って痴態をさらさなくても良かっただろうに」
「へ? 私はいたって平常運転ですが?」
前言撤回。コイツは痴女だ。
「なんだか目も覚めちゃいましたし、せっかく二人きりなんですから、朝までハッスルしちゃいましょうか」
「俺は疲れてるから寝させてくれ」
「もう倦怠期ですか。こんな調子では、五分後には離婚かもしれませんね。悲しいです、どうして最近の若者はこんなに生き急いでしまうのでしょうか」
俺が一体いつコイツと結婚したというのだろう。彼女はすっかり目が覚めてしまった、というか元々本当に寝る気があったのかわからないが、今日一日色々なことがあったから俺は疲れている。
しかし、少しは気を紛らわしたくもあったので、彼女と一緒にリビングへと戻ったのだが、俺が彼女の分の飲み物も用意していると、「そういえば」と彼女が不思議そうな表情で口を開いた。
「貴方のご両親は、いつご帰宅されるのですか? それとも夜勤のお仕事で?」
もし仕事帰りに飲み会とかしていたら、まだ帰宅していなくてもおかしくない時間ではあるのだが、両親二人共いない、という状況が彼女には珍しく思えたのかもしれない。
俺の両親は、揃って職場の同僚と飲み会に行っているわけでもなく、揃って夜勤の仕事をしているわけでもなく、俺はソファに腰掛けて麦茶を一口飲んだ後、彼女の質問に答えた。
「俺、両親いないから」
そう、ただそれだけの、単純な理由だ。
「そ、そうなんですか……」
さっきまで俺をからっていた彼女も、流石に動揺した、いや気が引けてしまったようだ。
殆ど他人みたいな奴に気を遣わせたくもなかったが、変にいじられるのも嫌だから、正直に答えるしかなかった。
すると、俺のシリアスな身の上を聞いて流石にこの変な女も調子を乱されるかと思いきや、彼女はその顔に翳りを浮かべて口を開く。
「じゃあ、貴方も私と一緒なんですね」
彼女が小さく囁いたその言葉を俺は聞き逃さなかったが、能天気そうな彼女らしからぬ翳りはどこへ行ったのか、すぐに俺を安心させるかのようにニコッと微笑むと、俺の隣に腰掛けて──急に俺の首の後ろに手を回して、抱き寄せてきたのだ。
「ご家族を亡くされたのはいつ頃ですか?」
俺の顔は今、意外にも豊満な、彼女の柔らかいものに容赦なく押し付けられているわけだが、恥ずかしさだとか倫理観は、彼女の胸から感じる心臓の鼓動と、その温かさにすっかり絆されてしまった。
「……五年前。俺が十二の時だ」
若干暑くて息苦しいところもあるが、俺は彼女の胸の中でモゴモゴと言う。しかし彼女は俺の拘束を解いてくれようとはしてくれず、俺はますます──人の温もりという魔法に夢中になってしまうのだった。
「亡くされたのはご両親だけですか?」
「いや、ひとつ下の妹もいた」
「それから、貴方はずっとお一人で?」
「親戚に引き取られたけど、その人は海外を飛び回っているから忙しくて、普段は近くに住んでる幼馴染達に世話してもらってる」
「なるほど、そうだったんですね。貴方のことですから、きっと優しい方々に囲まれているのでしょう」
コイツは一体俺の何を知ってそんなことを言っているのだか。確かに俺は周囲の人達に恵まれていたが……俺は今日、自分からその関係を壊してしまったのだ。
だが、こうして彼女に抱きしめられていると、凍りかけていた俺の心が、その温もりに溶かされていくようで……精神的に疲れ切ってしまっていたからか、そのまま俺は、夢の世界へと旅立ってしまうのであった。
「ゆっくり、お休みくださいね」
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