第50話 黄泉の国へようこそ
汗だくになりながら獣道を駆け上がって蒼姫稲荷神社に辿り着くと、神社は異様な空気に包まれていた。
いつもは青々しい竹やぶがどういうわけか赤みを帯びているように見えるし、神社の周囲にボウボウに生えていた草も枯れ、まるで人間による文明が滅亡して世界が荒廃してしまったかのような雰囲気だった。
そしてそんな荒廃した世界の中に立派に佇む神社の社殿や鳥居が異彩を放っており、この神社ってこんなに綺麗だったかと俺は首を傾げた。俺がいつも見ていた風景とは違うはずなのに、何が違うのかが不思議とわからない。
そこで、俺はハッとする。
どうして、俺はここへ来たのだろう?
どうして、こんな汗だくになってまで、何度転んでもその度起き上がってどれだけ服が汚れようと、急いでここまでやって来たのだろう?
俺はわけがわからなくなって、立派な社殿と鳥居の前に立ち尽くしていた。
「は、ハルくん!」
誰かに名前を呼ばれて、俺は後ろを振り向いた。見ると、険しい獣道を駆け上がってきたらしいくるみが、激しく肩を上下させながらゼェゼェと白い息を吐いて駆けつけてきたところだった。
くるみがこの神社へやって来ることは珍しいことではない。しかし、どうして俺はくるみの姿を見て違和感を感じたのだろう?
いつも見ている姿より幼く見えたからだろうか? 高校の制服ではなく中学の時に着ていた冬物の私服を着ていたからだろうか?
気づけば、自分の視界に異変が生じていた。明らかに自分の背が縮んでいた。手や足を確認すると、俺もくるみと同じように小さくなっていて、俺が小学生の時に着ていた冬物の私服に変わっていた。
明らかに世界はおかしくなっていたのに、俺はこの世界を受け入れようとしていたのだ。
もしかしたら、俺達が歩むかもしれなかった世界を。
思い出したくもない、五年前の過去を───。
「良かった、ここにいてくれて……」
くるみは俺の姿を確認すると安堵したように胸を撫で下ろしたように見えたが、くるみは俺の元へズカズカと怒ったように地面を踏みしめながら歩いてくると、俺の正面に立っていきなりゲンコツを喰らわせてきたのだった。
「ハルくんのバカッ! どうして何も言わずに出て行っちゃったの!? しかも携帯まで置いて……ホント、ホントに心配したんだから……!」
俺が何も言わず勝手に出かけたことへの怒り、そして……つい最近神隠しに遭ったばかりの俺が見つかって良かったという安堵がくるみの心に同時に湧き上がっていたようで、怒りよりも俺への心配の方が勝っていたらしいくるみは、そのまま俺をギュッと抱きしめてきたのであった。
「ホントに、バカ……」
くるみの腕に包まれた俺の耳に、くるみの嗚咽が入ってくる。
「ごめん、くるみ」
くるみの胸の中で、俺は謝った。
同じようなやり取りを前にもした気がする。だが一体いつのことだろう?
どうしてくるみはこんな慌てた様子で俺を探しに来たのだろう? 俺がくるみを探しに来たはずなのに。
あぁ、そうか。
俺は、逃げ出したのだ。家族を失った俺を快く迎え入れてくれた猫塚家から逃げ出して、一人でこの神社までやって来たのだ。
じゃあどうして、俺はここへ逃げてきたのだろう?
この神社の神様が、俺の願いを叶えてくれると信じていたからだろうか?
あの、不思議な女の子が。
「ごめんね、ハルくん」
くるみは俺を抱きしめながらそう呟いた。
「どうして、くるみが謝るんだ?」
俺がくるみに心配をかけた方なのに、くるみが俺に謝る理由がわからなくて、俺はくるみに聞いた。
すると、くるみはより強く俺の体を抱きしめながら言う。
「ハルくんの家族が行方不明になっちゃったの、私のせいなんだ」
くるみと体を密着させているから、彼女の体が震えていて、そして俺の耳元でくるみが泣いているのがわかった。
「私が、ハルくん達にスキー旅行の話なんてしたから……」
俺はついこの間の出来事を思い出す。いつものように俺の家に遊びに来て、くるみが俺達にスキー旅行の思い出を楽しそうに話してくれたことを。
元々温泉旅行だった計画にスキー場へ行く予定も加えられ、そのために朝早くから家を出た俺達はその道半ばで──。
「私のせいで、私のせいで……」
俺は、一人ぼっちになった。
くるみは、そう言いたいのだろう。
「どうして、くるみが謝るんだ」
俺は、くるみに謝罪なんて求めていなかった。
「俺は、くるみのせいだなんて思ってない」
俺の家族が行方不明になった原因はくるみにあるだなんていうのは、通学途中で交通事故に遭った時に轢いてきた車のドライバーではなく登校させた学校に責任を追及するようなものだ。
仮に自然災害や学校の対応の不備が関わってくるなら話も変わってくるが、今回の事件はそうではない。俺達が一体何に巻き込まれて、そして俺の家族がどうなったのかなんて誰にもわからないからだ。
人は、遅かれ早かれ死ぬ運命にあって、自分がどのタイミングで死んでしまうかなんて、誰にもわかるわけがない。
もし俺達が何かしらの事故に巻き込まれて九死に一生を得たなら、それは最初から生き延びる運命だったというだけ。理不尽な事故に巻き込まれて死んでしまっても、それは最初から死んでしまう運命にあっただけ。
例えくるみが何も関わっていなくたって、俺達はこうなっていた可能性があるのだ。
だから俺は、くるみが悪いだなんて思えない。
「どうして」
すると、俺を抱きしめていたくるみがそっと俺の体を離し、すっかり泣き腫らした様子で俺のことをジッと見つめてきた。
「どうして、私のことを許しちゃうの?」
くるみは、俺に責められたいのだろうか。俺が家族を失って一人ぼっちになったのはお前のせいだと言って欲しいのだろうか。
いいや、そんなはずがない。
「くるみと、ずっと一緒にいたいから」
例え、今後何かをきっかけに離れ離れになるとしても、そのきっかけというのが進学だったり就職だったり、避けられないようなものであったとしても、俺達は前に進めるはずなんだ。この世界のどこかで彼女が元気に過ごしていると信じていられるから、またどこかで会えると信じていられるから、また明日に向かって生きていくことが出来る。
「俺は、くるみがいないとダメなんだ」
俺は、こんな形でくるみと別れたくない。こんなにくるみに辛い思いをさせてしまうぐらいなら、まだ俺がくるみに振られる方がマシだ。俺に非があったと思える方がマシだ。どうせ離れ離れになるなら、これでもかというぐらい俺のことを嫌いになってくれ、俺のことを責め立ててくれ、俺を絶望させてくれ。
でないと、俺はいつまでも勘違いし続けてしまう。
「どこまで行けるかはわからないけど、行けるとこまで行ってみようぜ、くるみ。俺と一緒に」
俺はくるみに笑ってみせた。しかしくるみはますます泣いてしまうばかりで、俺が困っていると──ふと、何かの気配を感じて、俺は神社の社殿の方を向いた。
立派な社殿の前に佇む、一匹の小さなキツネ。
まだ幼体らしいキツネは社殿の中から、まるで俺のことを品定めするかのようにジッと見つめていて、この稲荷神社の雰囲気も相まって神の使いが現れたようでもあった。
「つまらないですね」
だが、聞き覚えのある声を聞いて俺はハッとした。このキツネが何者なのか、そして今がどういう状況なのかを思い出したのだ。
「お前は、青葉か」
俺がそう問うと、急にボンッと何かが爆発したかのように辺りが煙に覆われた。そして煙が晴れると、さっきまでキツネがいた場所に、長い黒髪で白地の着物を着た少女が、無邪気に俺に微笑みかけていた。
「あ、青葉ちゃん……!?」
彼女のことを知っているくるみが驚いた様子で口を開く。気づけば、五年前の姿だった俺達は元通りの姿に戻っていた。
どうやら、俺達は青葉の幻術にかけられていたらしい。しかし赤みを帯びた竹やぶや枯れた地面は変わらずに不気味な世界が広がっていて、どういうわけか立派に鎮座している神社の社殿の前で青葉はニコニコと微笑みながら口を開いた。
「五年前のハルさんが本当にくるみさんのことを許せるのかどうか試してみたかったのですが、まさかこうもつまらない結果になってしまうとは残念です」
例え幻術だったとしてもこんな世界を作れるだなんてにわかに信じがたい。
俺は試されていたのだ、五年前に戻って、あの時の俺がくるみのことを本当に許せるのかどうか。俺はどう解決しようか悩んでいたが、こんな人間離れの芸当が出来るのは青葉しかいないだろう。
何より驚きなのは、青葉のとても縁結びの神様とは思えないような発言だ。
「青葉。お前は、何者なんだ?」
俺がそう問うても青葉はニコニコと笑って。
「はて。どうしてハルさんに教えなければならないのでしょう?」
と、とぼけてみせるのである。
こんなに、自分の占いの腕を憎んだことはない。
やはり俺の占い通り、青葉は神様ではなかったのだろうか? しかし結局のところ、青葉が神様であろうがなんであろうが、こんな超常現象を引き起こすような相手に対抗できるような手段を俺達は持ち合わせていないのである。
「あ、青葉ちゃん。ここは一体どこなの?」
俺の腕にしがみつきながらくるみが青葉に問う。俺達が明らかに違和感を覚えるのは、赤みを帯びた竹やぶや枯れた地面ではなく、本来ボロボロに朽ち果てていたはずの神社の社殿や鳥居が、まるで創建されたばかりの綺麗な状態になっているからだろう。
くるみに問いに対し、青葉は笑顔を崩さずに。
「ここは、所謂黄泉の国です」
と、信じられないようなことを当たり前のように口にするのだ。
「よ、黄泉の国? つまりそれってあの世ってことか?」
「えぇ、そうかもしれませんね。見てご覧なさいな、この世界に蔓延る醜き死者達を。ハルさん達と同じ人間達がいずれ辿り着くであろう、成れ果ての姿を」
すると、神社の周囲を取り囲んでいる竹やぶの間から、この黄泉の国を彷徨う住人達が現れた。
「ひ、ひぃっ……!?」
俺とほぼ同じくして、くるみが悲鳴を上げる。皮膚はドロドロに溶けて骨や内蔵まで露わになり、両目の眼球を失って地面を這いつくばる腐乱死体のような化け物達を目の前にして、恐怖を感じない人間はいないだろう。
俺達の方へうめき声を上げながらじりじりと近づいてくる化け物達の中に、何故か見覚えのある顔があった。その化け物が、例えどれだけ体が腐敗していても、俺が五年前に失った父親に似ているような気がして、俺はバッと青葉の方を向く。
「本当に、お前の仕業なのか」
心の何処かでそんな疑念もあるにはあった。神様と名乗る青葉なら、神隠しも可能なのではないかと。だとすれば、青葉は縁結びの神様ではないが何かしらの神様ではあるということなのだろうか?
「どうして、私が人間ごときにそんなことを教えなければならないのですか?」
俺達が信じていた神様は、こんな傲慢な奴だったのか。元々尊大な態度をとってはいたが、とうとうここで本性を現したとでもいうのか。
俺は未だにこの現実を受け止めきれずにいたが、そんな俺をからかうように笑いながら青葉は口を開く。
「このままではハルさん達もこの世界の住人になってしまいますよ。死にたくないなら、早く逃げてはいかがですか?」
「で、出口があるの?」
「それぐらいご自分でお考えくださいな」
青葉はくるみに対しても冷たくあしらい、答えを教えてくれようとはしてくれない。
「行こう、くるみ」
「行くって、一体どこに?」
「わからない。でも、早くしないと化け物に捕まってしまう。ほら」
俺はくるみの手を掴んで走り出した。俺だってこんな世界の出口がどこにあるのかわからないが、ここに留まってはいけないことだけはわかる。
が、出口を目指して走り出した俺達の背後から、青葉の声が聞こえてくる。
「それと、一つだけ伝えておきます」
もう神社からは大分離れたのに、まだ青葉の声がはっきりと耳に入ってくる。
「地上に戻るまで、絶対に後ろを振り向いてはいけませんよ」
そう言われると、つい後ろが気になってしまう。後ろで一体何が起きているのか、俺が手を引っ張っているくるみに何か異変が起きていないか心配になってしまうが、俺はグッとこらえる。
「絶対に」
青葉はそう念を押して、フフフといたずらっぽく笑ったのであった。
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