第49話 神隠し
運命の月曜日。今日も俺は青葉と一緒に登校して、三年生の教室へと向かった青葉と別れた後に校舎の玄関でこはくと出会った。
「あ、おはようございます、ハル兄さん」
「おうおはよう、こはく。昨日はありがとな」
「いえ。ハル兄さんこそ、お姉ちゃんの看病をありがとうございます」
昔はこはくと話すことも少なかったし、いつもあんなに不機嫌そうにしていたこはくに対して気さくに話しかけるだなんてにわかに信じがたい。
こはくには辛い思いをさせてしまったが、こはくは前向きに進もうとしてくれているのだろうか。
「くるみはもう体調良くなったのか?」
「はい、今日も普通に学校に来てますし。ハル兄さんはお姉ちゃんと上手く話せましたか?」
「あぁ。くるみが俺を避けようとしている理由がわかった」
「そうですか……」
昨日、俺と話したことをくるみはこはくに明かすことはなかったのだろう。くるみの発言が俺の家族が神隠しに遭った遠因となったことはこはくも知っていたのだろうが、それでもこはくが自分と好きな人が近づくために有利な情報を俺に伝えようとしなかったのは、恋愛云々の前に姉であるくるみのことを大切に思っていたのだろうし、例えその話を聞いても俺がくるみへの想いを変えることはないと思ってくれたからかもしれない。
「俺は、くるみとけりをつけるから」
「泣きついてきても相手にしてあげませんからね」
「大丈夫だ、そんなことはしない」
俺はそう言ってこはくに別れを告げて階段を登ろうとしたのだが──なんと一歩目から足を踏み外してしまい、そのままビターンと階段に顔面を強打したのだった。
「は、ハル兄さん!? 大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫だ……」
漫画みたく鼻血が出たり歯が折れたりはしなかったものの、眉間の辺りがメチャクチャジンジンする。こけたのが階段の一段目だったのが幸いだったか、上の方だったら転がり落ちていたかもしれないと思うとゾッとする。
「なんだか幸先悪いですね」
「あぁ、まったくだ」
念の為、願掛けの意味も込めてもう一度自分を占うべきだろうか?
いや、また文字が黒焦げになったり文字化けしたりすると恐ろしいので、それに頼るのはやめておいた。
今の俺なら、そんなものに頼らずともこの試練を乗り越えられるはずだ。
◇
「ハルの助~ちょっと頼みがあんだけど~」
放課後、HRが終わるといの一番に修治が俺の席へとやって来た。
「すまん修治。俺、用事があるからパスな。デートのお誘いならまた今度にしてくれ」
「いやお前とデートするんじゃなくて、これから例の子と放課後デートする予定なんだけど」
「そうか。多分、お前は今日その子の姉と会うことになるだろう」
「マジ? そのお姉さんって女装したお兄さんじゃないよな?」
「知らん。彼女のことは大事にやるんだぞ」
「いや、彼氏なのか彼女なのかわからんのだが……」
出来れば修治の恋路もちゃんと占ってアドバイスしてやりたいところなのだが、今日はどうしても外せない用事があるのだ。
俺は教室に鞄を置いてそのまま三年生の教室へ向かう。鹿取がくるみに告白するために事前に呼び出していたなら、俺が直接くるみがいる教室へ出向く必要があるだろう。もし入れ違いになったらなら、もう美術室に直接乗り込むしかない。
くるみを連れ出すことに成功したらそのまま神社へ連れて行こうかと思って俺は早足で廊下を進んでいたのだが、その道中で靴箱のそばを通り過ぎようとした時、俺は鹿取の姿を見つけた。
これからくるみに告白するために美術室へ向かうのかと思いきや、彼は手に鞄を持って、そしてもう上履きからローファーに履き替えて友人達と帰ろうとしていたのだ。
俺は人違いかとも思ったのだが、目を擦って何度確認しても、確かに鹿取だ。今日の放課後、美術室で告白すると彼は言っていたのに何をしているのだと思って、俺は鹿取に声をかけた。
「お、おい鹿取!」
「え?」
俺が声をかけると鹿取は足を止めて、不思議そうな表情で俺の方を見る。そばにいた彼の友人達に聞かれないよう、俺は鹿取に手招きして人気のない階段裏まで連れていき話をする。
「鹿取、お前何してるんだ? 今日、くるみに告白するんじゃなかったのかよ」
どうして俺は恋敵にこんな話をしているのか自分でもわからなかったが、鹿取は戸惑ったような表情をして口を開く。
「な、何の話をしているの? 僕、狐島君にそんなこと話したっけ?」
「先週、俺の占いを受けただろ」
「ううん、受けてないよ。人違いじゃないの?」
一体何がどうなっているのか、俺にはさっぱりわからなかった。今、俺の目の前にいるのは、くるみの美術部の後輩で現美術部部長の鹿取のはずだ。彼に双子の兄弟がいるなんて話は聞いたことがないし、俺が何か変な夢でも見ていたというのだろうか?
「鹿取。お前、くるみのことが好きなんじゃないのか? 今日、告白するんじゃなかったのか?」
寸前になって弱気になって告白をやめてしまったのかとも思ったのだが、鹿取の口から放たれたのは信じられない言葉だった。
「狐島君が言う『くるみ』って、一体誰のこと?」
俺は一瞬、頭が真っ白になった。
鹿取がその名前を知らないはずがなかったからだ。
「誰って、猫塚くるみだよ。ほら、鹿取の美術部の先輩の。先代の部長だっただろ」
「いや、前の部長は馬場さんだよ。知らないよ、猫塚っていう人なんて」
そんなはずがない。そんなはずがないのに、鹿取はさも当たり前のようにそんなことを口にする。鹿取は友人と用事があるから、とそのまま去ってしまう。
じゃあ先週、くるみに告白したいと相談してきた奴は一体何者だったんだ? 全部夢だったのか?
いや、違う。
最悪の事態が起きているのでは、とそんなことを考える。
くるみの存在が、この世界から消えた?
いや、そんなこと起こるはずがない。そんなバカみたいな話があるわけないと思って俺は駆け出した。
今すぐ、くるみを探し出したくて。くるみの姿を見かけてホッとしたくて。
かつて自分がそういうことを経験したかもしれないため、くるみが『神隠し』に遭ったのではないかと思い込んでしまうのだ。
「は、ハル兄さん!」
くるみの教室へ向かう途中、向こうの廊下からバレー部の練習着姿のこはくが慌てた様子で駆けてきたのが見えた。
こはくの慌てぶりを見て、俺の嫌な予感はさらに強くなっていく。
「ど、どうしたんだこはく」
「お姉ちゃんが、お姉ちゃんがいないんです」
「くるみが、いなくなったのか?」
こはくは息を切らしながら、今にも泣き出してしまいそうな表情で口を開く。
「私、お姉ちゃんからタオルを借りようと思って三年の教室に行ったんですけど、お姉ちゃんの席が無くなってて、先輩や美術部の人に聞いても、誰もお姉ちゃんのことを覚えてないんです」
恐れていた最悪の事態が、より現実味を帯びていく。いや、まだ信じたくないが、もう現実になってしまったのか。
こはくがくるみのことを覚えていてくれて安心したが、肝心のくるみの姿が見たらない。まだこの世界のどこかにいるのだろうか? 早くくるみの姿を見つけ出さないと、俺やこはくの記憶の中からもくるみの存在が消えていってしまいそうだ。
「青葉は見かけなかったか?」
「いえ、見てないです」
青葉なら何か知っているのではと思ったのだが、俺もこはくも青葉のことを覚えているから前のように彼女が自分自身の存在を消したわけではないのだろう。
だが、そういう風に青葉が自分の力を使えるならば──俺は薄々感じていたことを思わず口に出してしまいそうになり、グッと抑え込んだ。
いや、まさか。
これは、あのキツネの神様が引き起こした事態だというのか?
くるみや青葉がいるとしたらどこだろうと考えた時、俺の頭にすぐ候補地が思い浮かんだ。
「こはく。美術室に行こう、くるみはそこに行く予定だったはずだ」
「は、はいっ!」
俺はこはくと一緒に美術室へと向かった。例え鹿取がくるみを美術室に呼び出さなくても、そもそもくるみは青葉の肖像画を仕上げるために美術室で絵を描いているはずなのだ。
そして、俺達は美術室へ到着したのだが────。
「いない……」
声を震わせながら、こはくがそう呟く。
美術室はもぬけの殻で、くるみも青葉もいなかった。しかし、美術室の窓が開いていてカーテンの隙間から風が差し込んでいるのを見るに、誰かがいたのは間違いないはずだ。
「お姉ちゃん達、どこに行っちゃったんでしょう」
「いや、あのイーゼルってくるみが使ってたやつじゃないか。何か描いてるはずだ」
美術室の中心にはこちらに背を向けて立っているイーゼルがあって、それにキャンバスが置かれていた。俺とこはくはそのキャンバスに描かれている絵を確認するために美術室の中へ入った。
「こ、これは……」
キャンバスに描かれていたのは、青い空を背景に、まるで俺達を安心させるかのように穏やかな笑みを浮かべた、長い黒髪の少女。
「青葉だ」
俺もよく知っているくるみのタッチで青葉の肖像画が描かれていた。
その絵を見ていると、こんなに優しい笑顔を見せてくれる女の子が、そんな悪事を働くだなんて信じることが出来なくなってくる。
だが──。
『神隠し』
『青葉』
『神様』
『違う』
俺は青葉の肖像画をジッと見つめながら、あの時の不気味な占いの結果を思い出す。
あれは、鹿取の恋路を占っていたのではなく、何かが俺に警告を与えていたのだ。今日、こんな事態が起きてしまうことを伝えてくれていたのだ。
だが、俺はそれを信じようとしなかった。俺は、青葉がそんなことをするような奴だと思えなかったからだ。
これは、青葉の仕業なのか?
青葉がこの神隠しを引き起こしたのか?
なら、五年前の神隠しも、本当に青葉の仕業なのか?
「……神社だ」
俺がそう呟くと、そばにいたこはくが俺の方を向く。
「じ、神社ですか?」
「これは神隠しに違いない。五年前、俺が神隠しに遭った時は神社で俺が発見されたんだろう? なら、くるみもそこにいるかもしれない!」
「あ、ちょっとハル兄さん!」
俺は居ても立っても居られずすぐに駆け出して、教室に鞄を取りに戻らないどころか上履きを履き替えることもせず、蒼姫稲荷神社へと急いだのだった。
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