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第41話 大切な二人



 俺は通用口のそばにある自販機でこはくにジュースを奢った後、二人並んで歩道を歩いていた。キラキラ輝く街灯に照らされた街に人通りはまばらで、幾分か涼しくて過ごしやすい夜のように思えた。


 「ハルおじさん」


 こはくが俺のことを呼んだのでなんとなく頷いてしまったが、何か違和感を感じた俺は驚いて彼女の方を向いた。すると、こはくは首を少し傾げながらいたずらっぽく笑う。


 「そう呼ばれてましたね、あの男の子に」

 

 そうか。書店の前で迷子になっていた小さな男の子が俺のことをおじさんおじさんと呼んでいたのをこはくも聞いていたか。


 「俺ってそんな老けて見えるかね」

 「あれぐらい小さな子からすると、体の大きな人はおじさんに見えちゃいますよ」

 「俺が老けて見えることは否定してくれないんだな?」

 「さて、どうなんですかね」

 「社交辞令でも良いから若く見えるって言ってくれ」

 

 子どもは大人と違って純粋で無邪気で、そして本音と建前という悪しき文化を知らないから、ああやって事の本質を見抜ける力を持っているのだ。いや、俺は断じておじさんではないはずだが。


 「ハルおじさんって、前にも迷子の対応したことあるんですか?」

 「お・に・い・さ・ん、な。迷子の対応は初めてだったけど」

 「そうなんですか?」

 「くるみや蛇原さんが対応してるのを見たことあるぐらいだ。あの二人がいたらそっちに任せるし」


 前に蛇原さんが迷子になった小さな女の子に優しく接してあげていたのを俺は見かけたことがある。あの時の蛇原さんは、自分が子どもを連れ去る犯罪者に見えないかずっとドキドキハラハラしていたらしいけど。ウチのバイト先に制服というものがあって良かったと感謝していた。


 その時の蛇原さんの対応力も中々だったが、彼曰くくるみはもっと凄かったらしい。やっぱりいつも俺やこはくの世話をしていたから、お姉さん力というものがあったのかもしれない。


 「私は、怖くてあんな事できません」

 「怖いって、何が?」

 「泣いている子どもを、上手くあやすことが出来なさそうなので」


 ああやって小さな子と触れ合うことなんて滅多にないから俺も緊張していたが、前例を見たことあったからかどうにか対処することが出来た。くるみがいたらきっと彼女に任せてしまっただろうけど、小さな子どもへの対応に自信のなかった俺がこはくにパスしなかったのは、彼女がそういうのに慣れていなさそうだと思ったからだ。


 「案外、やってみればいけるものさ。こはくって結構子どもから好かれるタイプだと思うぞ」

 「そ、そうでしょうか?」

 「あぁ。幼稚園児に追っかけ回されてそうだ」

 「私、子どもに良いようにいじられてるじゃないですか……」


 でも、子どもに好かれるっていうのは素晴らしい才能だと俺は思う。大人とは違う警戒心を持っている子どもが心を許す相手は意外と限られているものだ。

 俺はただ、くるみや蛇原さんの真似をしただけなのだから。


 「ちょっとだけ、ハル兄さんのことを尊敬しちゃいます」


 俺の隣を歩きながら、こはくは炭酸ジュースを一口飲んでいた。


 「ちょっとだけなのか?」

 「はい。きっとお姉ちゃんならもっと自然に対応していたでしょうから。少なくとも、子どもを連れ去りそうな不審者には見えなかったはずです」

 「俺、そんな風に見えてた?」

 「ウチの制服を着てなかったら危なかったかもしれませんね」

 「ま、そうだよなぁ確かに」


 男という性の辛いところでもある。もしかしたら制服を着ていても怪しまれるかもしれないし。


 「でも……」


 横断歩道の赤信号に捕まって足を止めたところで、こはくは儚げに顔をうつむかせながら呟いた。




 「私は、ハル兄さんのそういうところを、好きになったんです」




 こはくの口から発せられた「好き」という言葉に俺は思わずたじろいでしまったが、こはくはそんな俺の姿を見てクスッと微笑んで話を続けた。


 「ハル兄さんは、一人になることの寂しさを知っているから、自分から迷子の子どもに声をかけて、優しく接することが出来るんです。その孤独感を知っているから、相手の気持ちに親身に寄り添って、その寂しさを紛らわそうとしてくれる。それはきっと、私だけじゃなくて、お姉ちゃんにだって出来ない、ハル兄さんだからこそ出来る優しさなんですよ」


 これまでは、大切な姉であるくるみのことを想うがあまり、俺に対して厳しく接してきたこはくだが、こうして素直になられると俺もびっくりしてしまう。


 そして赤信号が青に変わったタイミングで、またこはくが呟いた。



 「また、神社に行きませんか?」





 俺とこはくは、あの時と同じように蒼姫稲荷神社を訪れていた。前はあんなタイミングでくるみが現れてしまったが、今日は待ち合わせの約束なんてしていないし、まだ時間もそんなに遅くはないから心配されることもないだろう。


 「相変わらず怖い場所ですね、ここは」

 「一人で来れるか?」

 「別に、一人で来るのが怖いってわけじゃありませんから」


 ただでさえ普通の神社でも夜になって明かりもなければ少し怖く感じるだろうに、この神社は鳥居も社殿も朽ち果てているから尚更不気味なのである。本当にご利益があるのか怪しいぐらいだ。


 ただ、こはくが俺をここに連れてきたのは、一人でここに来るのが怖かったからだとか、何かお願いしたいことがあるだとか、そんな単純な理由ではないことは明白だった。


 「ハル兄さん。お姉ちゃんと何かあったんじゃないですか?」


 くるみの妹であるこはくなら、本人から直接何かを伝えられなくても、彼女の些細な変化に気づくはずだ。


 「あぁ。大っ嫌いって言われた」


 あの時のくるみの叫びが、未だに俺の頭の中にこだまする。俺のことを本当に嫌いになったなら、あんな悲しい顔をしなくても良かったはずなのに。


 「とうとう嫌われてしまったんですね」

 「とうとうな」


 少しからかうように笑うこはくに対し、俺もちょっと悪態をついてみせた。

 しかし、こはくはすぐにシュンと肩を落としてしまい、悲しげな表情で口を開いた。


 「今のお姉ちゃん、とっても辛そうなんです。いつも通りのお姉ちゃんとして振る舞っているつもりなんでしょうけど、私には無理をしているのがわかるんですよ。だから、ハル兄さんに大っ嫌いって言っちゃったのも、きっと本心じゃないはずです」

 「そうだと良いけどな。じゃあどうして、俺のことを嫌いになったくるみがそんなに苦しんでいるのか、俺にはさっぱりわからないんだが」


 こはくが自分の好きな人をくるみに譲ろうとしていたように、くるみもまた、自分の好きな人をこはくに譲ろうとしていた。それは俺の楽観的というか願望も入り混じった仮説ではあるのだが、俺の告白を振ったあの日から、くるみの行動性には一貫性がないように思えた。

 まぁ、俺も人のことは言えないが……。


 「それは、きっと……」


 こはくはそう言って少し逡巡していたようだったが、うつむきがちに答えた。




 「お姉ちゃんが、ハル兄さんに隠し事をしているからだと思います」




 隠し事?

 人は誰だって他人に言えない秘密を抱えてるだろうが、くるみがあんな態度になるような秘密を、俺に対して抱えている?


 「その隠し事って、こはくも知ってるのか?」

 「本当にそれかはわからないですけど、思い当たることはあります。その、ハル兄さんに教えることは出来ないですけど」


 くるみは、一体何を思い悩んでいるのか?

 くるみに対する俺の気持ちは変わらないが、彼女を恋い慕う男としてではなく、彼女を大切に思う一人の幼馴染として、俺はくるみの助けになりたい。

 いや、その悩みに俺が絡んでいるだろうから、余計に事態をややこしくしてしまいそうだが。


 しかし、一体どんな悩みなのだろう? くるみが実は男でしたとか、男の子よりも女の子の方が好きなんですとか、突拍子もないがそういうのもありえそうで、そんなことしか思い浮かばない。


 いや、そうであってほしいのだ。俺が簡単に考えつくような悩みであってほしいのだ。

 


 「それって、もしかして五年前のことに関係してるのか?」


 

 五年前。

 こはくなら、そのフレーズが何を意味しているのか、当然理解したはずだ。

 そして俺は、こはくが動揺して口をぎゅっと結んだのを見逃さなかった。


 俺は五年前に神隠しに遭い、家族を失って一人ぼっちになった。そんな俺を献身的に支えてくれたのがくるみだったのだ。


 じゃあ、くるみのその優しさというものは、家族を失った幼馴染のことを大切に思ってのことではなく、罪悪感とか贖罪のためのものだったのか?


 いや、そんなはずがない。俺の家族はただ行方不明になったというだけで、くるみが直接手を下したわけじゃない。例えば、海や川で溺れるくるみを助けるために家族が犠牲になっただとか、轢かれそうになっていたところをかばっただとか、そういう出来事があったのならまだ理解は出来る。


 それとも。

 俺の家族が神隠しに遭ったという出来事自体が、何かのまやかしだとでも言うのだろうか?


 俺が記憶を失っているだけで、あの不思議な出来事にくるみが関わっていた?


 

 

 五年前の件が絡んだことで少し動揺してしまっている自分に俺は困惑してしまう。そんな俺の様子に気づいたのか、こはくがこの沈黙を切り裂いた。


 「私は、苦しんでいるお姉ちゃんを見るのがとても辛いんです。でも私じゃどうにも出来なくて、お姉ちゃんが苦しんでいる原因は私にもあるので……ただ、ハル兄さんなら、お姉ちゃんを助けてあげられると思うんです」


 そう言って、こはくは俺の手を掴む。


 「お願いします、ハル兄さん。私のお姉ちゃんを……どんなお姉ちゃんのことも好きになってくれるなら、私は、ハル兄さんにお姉ちゃんのことを託すことが出来るので……」


 こはくが涙が入り混じった声で、今にも泣き出してしまいそうな表情でそう言ったのは、大切な姉への心配もあっただろうし、それが、自分の恋を諦めることになるとわかっていたからだろう。


 「こはくは、本当にそれで良いのか?」


 どうして、俺はそんなことを聞いてしまったのだろう。


 「私は、ハル兄さんのことが好きです。今でも」

 

 余計に、こはくに辛い思いをさせてしまうかもしれないのに。


 「でも、私はお姉ちゃんのことも好きなんです。だから、私の好きな二人がお互いに想い合っているなら、私は二人に幸せになってほしいんです。好きな人に幸せになってほしいと願うのは、当然のことじゃないですか」


 こはくは笑っていた。

 しかし、その言葉の裏に秘められた自分の恋心に嘘をつくことは出来なかったのか、溢れ出た涙を止めることは出来ずに、泣き出してしまっていた。


 「……ありがとう、こはく」


 俺は、こはくに辛い決断をさせてしまった。

 こはくは自分の恋の成就よりも、自分が好きな二人の、お互いの恋の成就を願ったのだ。


 

 ありがとう、こはく。

 こんな俺を好きになってくれて。

 ごめん、こはく。

 こはくの気持ちに応えることが出来なくて。


 でも、俺は頑張るよ。自分の恋を成就させるために……。


 

 お読みくださってありがとうございますm(_ _)m

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