第38話 キツネは神様?
「こんばんは、蛇原さん。汚い家ですがゆっくりしていってくださいな」
「お邪魔しま~す」
何が汚い家だと俺は思わずツッコみたくなったが、そういえば青葉がこの家に住み着くようになってから床の汚れとかホコリとか全然気にならなくなったような気がする。もしかして青葉って家事全部やってくれてるのか? 逆にそこまで奉仕されると怖くなってくるのだが。
そしてあらかじめ俺が連絡しておいたからか、青葉は蛇原さんの分のご飯も用意してくれていたので、まずはそれをいただくことにした。
「うっま……」
青葉が用意してくれたのはきつねうどんだったが、一口麺をすすった途端、蛇原さんはカッと目を見開いてそう呟いたのだった。
「なんだこれ……!? こんなに美味い出汁もこんなにコシのあるうどんも、何よりこんなに美味い油揚げを食べたのは初めてだ!」
「うふふ。そんなに喜んでくださると私も嬉しいです。まだまだありますので、遠慮なくおかわりしてくださいね」
青葉が作る料理は美味いなぁといつも思っていたが、やっぱり他の人が食べても美味いものなのか。何か神様達の世界でしか流通していない変な食材が使われているんじゃないかと怖いところもあるが、今のところ俺の体に異変はない。何かの間違いで俺も神様になれないだろうか。
そして美味しいきつねうどんに満足した後、青葉は空気を読んだのかリビングから出ていってしまい、俺は蛇原さんと二人きりになった。蛇原さんは青葉が用意してくれたチューハイを一口飲んで「やっぱ疲れた後はこれよ~」とか言っているが、俺の家に酒なんて置いてあるはずがないのに、いつの間に青葉は用意していたのだろうか。
「んで、狐島君よ。今度は一体何があったんだい?」
「くるみに大っ嫌いって言われました」
「あっはは、くるみちゃんってそんな子どもみたいなこと言うんだね~」
もう酔いが回ってきたのか蛇原さんは大笑いしていたが、俺がそんなに深刻そうな雰囲気を醸し出していたのか、彼は俺の顔を見ると真面目な表情に戻ったのだった。
「狐島君がくるみちゃんにひどいことを言ったとは思えないけど。何か心当たりはあるの?」
「俺、こはくに告白されたんです」
「わぁお……」
俺は、蛇原さんに昨日の出来事を端的に説明した。あくまで俺視点での説明でしかないが、蛇原さんはチューハイを飲みながらウンウンと俺の話に頷いていた。
「そうか、こはくちゃんがなぁ……狐島君って意外とモテるんだね」
「意外とは余計っすよ。俺だって不思議なくらいですけど」
「で、くるみちゃんとこはくちゃんはお互いに意中の人を譲り合っている、と……あの二人も姉妹なのに家で会うのが気まずいんじゃないかなぁ」
確かに、どういうわけかくるみとこはくはお互いに俺を譲り合っていたわけだが、その点に関して二人は喧嘩とかしなかったのだろうか。昨日の様子を見るに、多分二人はそういう相談をしていない。
じゃあもしかして、俺はくるみとこはくの関係は変わらないままだと思っていたが、本当に俺達はバラバラになってしまっているのか?
「狐島君も随分と一途だよね。俺だったらもう簡単にこはくちゃんと付き合っちゃうだろうに」
「俺も、その方が丸く収まるんじゃないかとは思ってますよ。でも……」
「良いのさ、恋をするのに誰かに気を遣う必要はないんだから。でも、そうか……くるみちゃんが、ねぇ」
以前の俺とくるみのベタベタっぷりを見ていた蛇原さんは、きっと俺とくるみは殆ど付き合っていたも同然か、そうでなかったとしてもいずれ自然に恋に落ちていたと思っていただろう。
でも俺の行動が間違っていたのか、今まで上手く噛み合っていた歯車がバラバラになってしまったのである。
蛇原さんは親切なことにわざわざ俺の家にまで訪ねてきて相談にのってくれているが、思っていたよりも深刻な話を聞かされたからか、すっかり酔いも覚めてしまったようだ。酒の肴にはならなかったらしい。
すると、蛇原さんはまた一口チューハイを飲んでから口を開いた。
「俺さ、くるみちゃんからも色々相談受けてたんだけどさ」
「え、くるみからですか?」
「いや、一応バイトの先輩だしさ、俺だって結構優しいのよ? くるみちゃんって真面目だから仕事関係で色々聞かれるし、俺ってこう見えて良い大学通ってるから進路とか受験とかの相談もされてたのよ」
そうか、蛇原さんって有名な私立大学に通ってるから色々ためになりそうな話も聞けただろう。実際、蛇原さんって相談しやすい人柄だし、じゃないとただのバイト先の先輩の大学生を家に招こうだなんて思わない。
「でさ、くるみちゃんは狐島君のことも俺に相談してたわけよ」
「くるみが、俺のことを?」
「んまぁ、その内容については言えないけどね。でも、狐島君の話はいっぱい聞かされたよ。大体は惚気話ばっかりだったから毎度甘々な反吐を吐かされてたけど。ありゃどんな甘いもの好きでも食わないよ」
くるみの奴、蛇原さんに一体なんの話をしてたんだ? 相談してたんじゃなくて?
「だから、俺は狐島君がくるみちゃんに振られた理由もなんとなくわかるよ。多分そういうことなんだろうなって、だから狐島君をこはくちゃんに譲ろうとしてるんだなって」
「その理由って?」
「おっと、俺がどれだけ優しいお兄さんだとしても、それだけは教えられないね。そうやってすぐに答えを教えてもらおうとするのは良くないよ、人間は考える葦なんだから。狐島君だって自分でその答えに辿り着けるはずなのに」
「そうなんですか?」
「うん。狐島君の占いの腕があればね」
それは、俺だって何度も考えたことだ。あまりにも当たるものだから、俺は自分自身を占うことに怯えていたが、昨日青葉に説得されたことにより、考え方が変わったのだ。
「狐島君ってさ、今この場で俺を占うこと出来るの?」
「あー、道具が学校にあるのでそんな難しいのは出来ないですけど」
「いや、今ここでやってほしいわけじゃないんだよ。狐島君が自分で自分のことを占えばいいじゃんって話」
それは青葉にも言われたことだ。どうして自分の優れた占いの腕を自分のために使わないのか、と。
「狐島君が怖がるのはよくわかるさ、占いで悪い結果が出るとなんとなく嫌な気分になるからね。俺だって初詣に行った時におみくじ引いて悪い結果が出たら、もうそれから一年はなんとなく嫌になってしまうからね。的中率が高いのなら尚更だよ。でも、今の悩める狐島君に必要なのは、君の背中を押してくれる存在だと思う。これは俺の勘だけど、どんな悪い結果が出ようとも、その占いが狐島君の背中を押してくれるはずさ」
今までは、亡くなった俺の親の代わりにくるみが俺の背中を押してくれていたが、くるみの代わりに青葉や蛇原さんが俺の背中を押してくれている。
なら、俺は前に進むべきだろう。
「わかりました、蛇原さん。今度やってみます」
「おうおう、その意気だ。で、話は変わるんだけどさ、いや、俺が聞いて良いことなのかわかんないんだけど……」
「なんですか?」
蛇原さんは何やら悩んでいる様子だったが、缶チューハイの残りを飲み干してから口を開いたのだった。
「狐島君って、神隠しに遭ったことがあるんだろう?」
と、さっきまで酔いが回って陽気そうに離していた蛇原さんはどこへ行ってしまったのか、真面目な表情でそう言うのであった。
くるみから俺の話を聞いていたであろう蛇原さんがその件を知っていても何ら不思議ではない。
「はい、五年前に。いや、俺も自分が神隠しに遭ったのかはわからないんですけど、そう言われてますね。数日間行方不明になってたのに、あの神社で見つかったので」
「その神社のご利益のおかげで、俺の友達が幼馴染と幸せになったみたいな話はしたっけ?」
「はい、聞きましたよ」
「その友達は大学で文化人類学とかを学んでるんだけど、神隠しって実際は単なる迷子とか誘拐とか殺人とか、そういう事故や事件ってパターンが多いらしいんだよね」
民間伝承だとか都市伝説には神隠しが絡む話は少なくないが、神隠しの「神」という部分は、神話に出てくるような有名な神様ではなく、天狗とか鬼のような妖怪の意味合いらしい。
神隠しは全国各地にそういう伝説や伝承が残っているかもしれないが、大体は本当に神隠しに遭ったわけではなく、ただ単に迷子になってそのまま人目につかない場所で亡くなったり、誰かに殺されて死体を見つからない場所に隠されたり、誘拐されて相手に暴行されたトラウマで記憶を喪失していたりと、そういった事故の調査や事件の捜査が難しかった時代では真相のわからない出来事が殆ど、というのが現実的な見方である。
「くるみちゃんはね、ずっと狐島君の心配をしてたんだよ。狐島君は神隠しに遭ったんじゃなくて、本当は誰にも話したくないような嫌な出来事に遭ったんじゃないのかって」
俺も、その可能性は考えている。当然周囲の人だって本当に神隠しなんて起きるはずがないと思っているから、俺も心療内科とか精神科でひたすらに問答させられていた。
「別に俺に話せってわけじゃないよ。ただ、くるみちゃんには隠し事しないであげてって意味さ。くるみちゃんは心配性だからね」
「……俺、本当に何も覚えてないんです」
「それなら良いのさ。例え思い出せないだけでも思い出さない方がいいに決まってる。俺もちょっと不安だったからね、俺達が思っている以上に狐島君が心に傷を負ってるんじゃないかって」
「くるみに振られたことによる傷が一番深いですけどね」
「確かにね!」
いや確かにね、じゃないんだよ。
「俺が慰めてあげよっか?」
「蛇原さんがTSしてくれるなら……」
「残念だがその予定はないなぁ。あーあ、俺も美少女になりてぇ~」
俺はあの時のことを本当に覚えていないのである。
家族皆で車に乗ってスキー旅行へ向かったことまでは覚えているのに、俺は気づいたらあの神社に一人でいたのだ。
俺が覚えているのは、いや俺に思い出せるのは、それだけなのである。
『今日は、何をして遊びましょうか?』
……あの子のことは、もう良いんだ。
きっと、違う。
違うはずなんだ……。
あの時のことも占えば、真実がわかるのだろうか?
本当に神様が絡んでいるなら何か悪いことが起きそうで怖くなるが、いつまでも逃げているわけにはいかない。
大分夜も更けてきたため、話も一区切りついたところで蛇原さんは帰り支度を始めながら言う。
「あそこの神社って不気味だから、そういうのが起きてもおかしくないとは思うんだけどなぁ。稲荷神社って何かと怖い噂聞くし、キツネに化かされそうだし変な世界に迷い込んでしまいそうだし」
「でもキツネの神様って可愛いイメージないですか?」
「そりゃ萌え系の世界ならそうだろうけどねぇ。でもキツネって神様じゃなくて神様の遣いでしょ?」
「遣い?」
「そうそう、神様の遣い。だから狛犬みたいにキツネの像があるじゃん」
最初、俺は蛇原さんの言っている意味がわからなかったが、確かに稲荷神社に祀られているのはキツネそのものじゃないことが多い。あくまでキツネは神様の眷属で、あの蒼姫稲荷神社だって祀られているのはキツネそのものではない。
じゃあ……。
縁結びの神様を自称してるあのキツネの神様は、一体何者なんだ?
「あら、もうお帰りになるのですか?」
音もなく、青葉がリビングに現れた。いや、もしかしたら普通に扉を開けて入ってきたのかもしれないが、俺はそれに気づくことが出来ず、驚いて青葉の方を向いたが、彼女はいつも通りニコニコと微笑んでいた。
「あまり長居するのも迷惑だろうからね。ご飯美味しかったよ、お酒まで用意してくれてありがとう。お礼に今度ご飯に連れてってあげよっか?」
「私、モザンビーク料理を食べてみたいです」
「中々無理難題をおっしゃる……」
蛇原さんのお誘いを遠回しに断った青葉はそのまま彼を玄関まで見送りに向かい、俺もついていく。
「じゃあね狐島君。明日もシフトだったよね。俺はいないけど無理せず頑張って」
「はい、ありがとうございました」
やっぱ面倒見の良い素敵な先輩だなぁと思いながら、俺は蛇原さんに軽く手を振って見送った。
そして玄関の扉が閉まった後、俺は青葉の方を向いたが──。
「さて、お風呂にしましょうか♪」
と、青葉はウキウキした様子で入浴の準備へと向かった。
さっきの俺と蛇原さんの会話を、青葉は聞いていなかったのだろうか?
神様なら、それぐらいバレてしまいそうなものだが……いや。
もし、青葉が神様じゃなかったら?
いや、愚問だ。
俺みたいな普通の人間に、青葉が神様なのかそうじゃないのかなんて、見分けられるはずがない。青葉がそう自称しているのなら、俺はそれを信じるだけだ。少なくとも、そう信じられるぐらいには青葉も俺に良くしてくれているから。
変なことは忘れて、俺はまた青葉に背中を流してもらい、リビングでテレビを見ていたのだが……少し疲れていたのか、俺はそのままソファで眠りについてしまったのだった。
お読みくださってありがとうございますm(_ _)m
評価・ブクマ・感想などいただけると、とても嬉しいです




