第36話 縁結びの神様として
「どういうつもりだ、青葉」
神社に現れた青葉に俺は詰め寄った。しかし彼女は何も悪びれることなく涼しい顔をして答える。
「はて、一体何のことでしょうか。私には皆目検討もつきませんが」
俺は怒りのあまり青葉に掴みかかろうとしてしまったが、例え怒りの感情に任せてもそれはダメだと思いとどまり、一度思いっきり歯を食いしばってから口を開いた。
「これは、お前が仕組んだことなのか!?」
以前、こはくが俺に告白しようとしていたあの日、青葉は自分の存在を俺達の記憶から消した。確か、まっさらな状態の俺がこはくの気持ちにどう答えるか気になった、という理由だったか。神様ともなればそんな芸当も出来るらしい。
そして、今回もだ。おそらく、保健室でこはくが俺に告白しているタイミングの前後で、青葉はまた自分の存在を俺達の記憶からかき消した。だからこはくが病院へ向かった後に俺はくるみと二人きりで帰ることになり、そしてこの結果だ。
こんな結果では、縁結びの神様を自称している青葉が自分の力を好き放題使って俺のことを弄んでいるように思えたのだ。
「どうして、ハルさんはそんなに怒っているのですか?」
しかし、青葉は一体何が悪いことなのかと、何も悪びれる様子もなく首を傾げていた。
「そんなに怒るぐらいなら、こはくさんの気持ちを受け入れてあげたら良かったではないですか。恋というまやかしだらけの青春を手に入れたいハルさんにとっては手っ取り早く恋人を手に入れる千載一遇のチャンスだったのに、どうしてそのチャンスを自ら手放したのですか? あんなに自分のことを恋い慕ってくれているお方の告白を振るだなんて、ハルさん自身も振られた経験があるのに、それで自分がどれだけ苦しんだかハルさん自身がよくご存知のはずなのに、どうしてですか?」
わざわざそんなことを聞かなくても、俺が答えなくても、青葉はわかっているはずだ。
「えぇ、勿論です。ハルさんが何も言わずとも私には全てお見通しです」
と、青葉は俺にニコッと微笑んでみせる。その可愛らしい笑顔は、今は憎たらしくてしょうがない。
「この状況を生み出したきっかけを作ったのは私ではありません。あの日、ハルさんがくるみさんに告白したことによって、この事態を引き起こしてしまったのですよ。今までは上手く噛み合っていた歯車に異物が挟まったことで、全てが上手く回らなくなってしまったのです」
「じゃあ、その異物を取り除いて潤滑油を注ぐのが神様の役目なんじゃないのか?」
「えぇ、勿論です。きっと私がもっと神様として強力な力を持っていれば、ハルさんやくるみさん達の記憶を都合の良いように書き換えて、一見するとハッピーエンドに思えるようなありきたりな恋物語を仕立て上げることだって出来るでしょう。ですがそれは、本当にハルさん達の願いを叶えたことになるのでしょうか? もしハルさんが構わないのなら、未来のことは保証できませんがこれまでのことを全てなかったことにするのも可能です。いかがなさいますか?」
青葉が言うこれまでのことというのは、一体どの部分のことだろうか。くるみの誕生日に俺が告白したことか? それによってくるみに生じた感情の変化? それとも、俺とくるみが歩んできた思い出の全て?
くるみに振られたことだけでなく、最早くるみの存在が俺の思い出から消えてしまえば、俺は苦しまずに済むのか? この実ることのない恋に悩むことはなくなるのか?
いや……。
そんなことをしても、俺が余計に後悔するのは目に見えている。
そうだ。こんなの、ずるいのだ。元々縁結びの神様に手助けしてもらっているのに全部丸投げしてしまうだなんて、そんなことをしても俺に幸運が巡ってくるわけがない。
「ハルさん」
青葉は俺に優しく微笑んでみせた。
「私達を取り巻く環境は、ハルさんがお考えになっている程単純なものではないのですよ。例えば、くるみさんがスピード違反の車に轢かれて大怪我をされたら、きっとハルさんは法定速度を超過して車を運転されていた方を激しく避難することでしょう。しかし、もしもその方にどうしてもそんな速度で車を運転しなければならない事情があったとすればいかがでしょうか? その状況でハルさんはそんなことを考えもしないでしょうが、もしかしたらその運転手の方のお子さんが大怪我をされて危篤の状態だとか、奥様の陣痛が始まっただとか、パワハラ気質の上司に急かされていただとか、後ろの車に煽られていただとか、様々な原因があるかもしれません。そしてそういった数々の原因が起きた経緯やきっかけも、どれだけ些細なものでも当然原因があったわけで、それらを辿っていけばやがてこの宇宙の誕生まで遡ることが出来るでしょう」
……青葉の言う通り、もしくるみがスピード違反の車に轢かれたら、俺はその運転手に並々ならぬ怒りを感じることだろう。例えその運転手がただの好奇心とか自己満足でスピードを出していただけだとしても、そんな人格を作り上げてしまった環境がこの世界には存在するのだ。例え俺自身が罪を犯さなくても、自分が知らず知らずの内に犯罪者を生み出してしまいかねない環境を作っている可能性もある。
青葉が言うように、結果が存在するのなら当然原因も存在するわけで、どれだけの悪を追求しようにも、やがて宇宙の誕生にまで遡って非難しなければならないかもしれない。バカバカしい議論だ。
「今を生きるハルさん達には当然過去があるわけで、これまでに様々な失敗をしてきたかもしれません。ですがそれらの失敗を知ることで、その失敗を未然に防ぐための対策を考えることは出来ます。そのための努力を怠ってはいけません。失敗を恐れてそもそも行動しないなんてもっての他です」
青葉が言う通り、俺は今までに色んな失敗をしてきた。最近は特にそればかりだ。
だが俺はそれらの出来事を思い出すことすら嫌なぐらいで、どうしてそうなってしまったのか、その原因を考えることから逃げ続けていた。
「ハルさんとくるみさん達は大切な幼馴染という関係なのかもしれませんが、実際の人間関係というのは、そんな簡単な一言で言い表せるほど単純なものではないんですよ。ハルさん達が今の関係に至ったのには必ず何かしらのきっかけがあり、それらのきっかけを辿っていけば、現在の状況へと至った理由が自ずと見つかるかもしれません。きっとハルさんは自分がくるみさんに振られてしまった原因など考えたくもなかったでしょうが、時には冷静に自己分析をすることも大切ですよ」
そして青葉は俺の元へ歩み寄ってくると、俺の首の後ろに腕を回して抱きついてきて──俺の頬に、軽くキスをした。
「ぬおわぁっ!?」
「なんですか、そんなに嫌がらないでくださいよ。悲しくなってしまうではないですか」
「いや、なんで急にキスしてきたんだよ!?」
「私のなが~い説教を大人しく聞いてくれたご褒美にと思いまして♪」
頬だったとはいえ誰かにキスされるなんて、物心ついてからは初めてなんじゃないだろうか。俺は恥ずかしくて青葉から距離をとろうと思ったが、彼女に強く抱きしめられていたため上手く動けなかった。
「いかがでしたか、ハルさん。私の説教はさぞ嫌だったことでしょう」
と、青葉は俺に抱きつきながら笑っているが、俺はそんな彼女の物言いに冗談を返せるほど強い人間ではない。
「いや……全然嫌じゃない」
「あら、そうでしたか。まさか説教フェチなのですか?」
「違う。ただ、その……俺の周りには、そういうことを言ってくれる人がいないから、ありがたいんだ」
俺は今も大人の階段を登っている途中だが、きっと俺は同級生の修治達よりも、いやこはくよりも精神は未熟かもしれない。
五年前に家族を失った俺に皆優しくしてくれたは良いものの、俺に気を遣ってくれているのか誰も説教してくれなくて、そして俺には自分で考える力もないから、ずっと階段で躓いてばかりいたのだ。
「よくわかったよ、青葉。俺はまだまだ未熟なんだ」
ここ最近の一連の出来事で、俺はそれをよく思い知った。
「良いんですよ、未熟でも。その分成長すればいいだけですから。一緒に頑張りましょう、ハルさん」
……ダメだ。
俺は、弱い。
そうやって、寄り添ってもらえるだけで、俺は涙を堪えきれなくなってしまう。
ちょっと励まされただけで、それがものすごい活力をくれるような気がして、前に進むための勇気を貰えた気がして、それが間に合わせの言葉だったとしても、優しく声をかけてもらえて、笑顔を見せてもらえて、こうして体を密着して抱きしめてもらえると、嬉しいのか何なのか、この感情をどう言い表せば良いのかわからないが、俺はもう涙を止められず、青葉はそんな俺の頭を温かな胸の中へと誘ってくれたのだった……。
俺は一体どれくらい泣いたのだろうか。くるみに振られた時でも俺は泣かなかったが、多分その時の分まで泣いた気がする。
そんな子どもみたいなところを見せてしまい少し恥ずかしい気分だったが、俺が落ち着いたところで青葉は俺の体を離し、いつものように優しげな笑顔を俺に向けていた。
「さて、ハルさん。私は縁結びの神様なわけですが」
「何度も聞いたが」
「というわけでですね、勿論私は僭越ながらハルさんのことも恋い慕っているのですが、縁結びの神様としてですね、ハルさんの恋が成就するようお手伝いしないといけないんですよ」
出会って早々に「貴方の恋人になりに来ました!」とかメチャクチャなことを言ってたのに、妙にくるみやこはくに気を遣っているなと思っていたが、そんな理由だったのか。
「私はハルさんの恋人としてあんなことやこんなことを毎日したくてしたくてたまらないのですが、ハルさんの意中の人よりも先にそれをいただくわけにはいきません」
「それって何だよ」
「それはそれですよ。なので、これは非常に悩ましい決断なのですが、私はハルさんへのアタックをしばらく控えようかと思います」
青葉のその言葉に俺は驚愕した。この神様、そういう我慢とか出来るのか、という驚きだ。ちゃんと好き放題やってた自覚があったのか。
「じゃあ、俺の家から出ていくのか?」
「あ、いえ。今はくるみさん達が訪ねてくるかも怪しい状況ですし、身の回りのお世話は引き続き喜んでして差し上げますよ。それとも、私はそれすらも許されないでしょうか?」
「別に俺だって一人で生活ぐらいは出来るが、ご飯とか作ってくれるならありがたい」
「それは良かったです。あ、でも私がアタックを控えるというのは別に私がハルさんのことを諦めたというわけではなくて、もしもハルさんの心が挫けてしまったなら私が喜んでハルさんを夫として迎え入れますのでご安心を♪」
なんだ、その手厚いアフターサービスみたいなシステムは。最近の縁結びの神様ってそういう最低保証をつけないといけない決まりでもあるのか?
しかし、青葉のアタックは思春期の男子には刺激が強すぎるから、ちょっとは心も休まるかもしれない。ちょっと残念かもしれないが……。
……いや、別に残念に思ってないし!
「本当ですか?」
本当だよ! ていうか当たり前のように俺の心を読んでくるんじゃない!
俺が心の中でツッコむと、青葉は愉快そうにクスクスと笑っているのだった。
俺は今、大切な幼馴染達と過去最悪な関係になってしまったわけだが、青葉という縁結びの神様と一緒なら、乗り越えられるような気がした…………。
ただ……。
一体どうやって、くるみ達との関係を修復すれば良いのだろう?
帰宅後、たくさん汗を流した体を洗おうと早速シャワーを浴びた。明日からくるみ達とどう接しようか、そして俺はどうすれば良いのかとゆっくり考えようとしたのだが──。
「ハルさ~ん」
と、青葉がいきなり浴室のドアを開いた。今日も一枚のバスタオルを体に巻いただけの姿で。
「な、青葉!? お前、アタックは控えるって言ってただろ!?」
「それとこれは別ですよ。私はただ色々とお疲れのハルさんの背中を流して、そして一緒に湯船に浸かろうと思っているだけですが」
「じゃあお前の言っているアタックって一体何の話だったんだ!?」
「それは勿論、子作りです」
「お前の頭の中はそればっかりか!」
「はい、そればっかりです♪」
ただ、彼女の中の選択肢から子作りが消えただけでも、俺の日常は多少の落ち着きを取り戻したのかもしれない……。
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