第35話 大っ嫌い
くるみとこはくの親父さんが車で迎えに来てくれたので俺がこはくをおんぶして車まで送ったのだが、すっかり泣き腫らして目元が真っ赤になったこはくの姿を見た親父さんは「そんなに痛いのか!?」とますます心配してしまったようで、彼は大急ぎで病院へと車を走らせたのだった。
そして、残された俺とくるみは。
「じゃ、一緒に帰ろっか」
俺は今、出来るだけくるみと二人きりになりたくはなかったのだが、くるみの誘いを断ることも出来ず、二人で歩いて帰ることとなったのだった。
夏の日差しは今日も容赦なく俺達に襲いかかり、この沈み込んだ気持ちが上向くのを許してくれそうにない。
「ねぇ、何かあったの?」
学校を出て早々にくるみは俺にそう聞いてきた。くるみが気になるのも無理もない、あの保健室の中の光景を目にしてしまったのだから。
俺の隣で泣いていたこはくの姿を見て、くるみは一体何を想像しただろう?
「あぁ、何かはあった」
と、俺がなんとなくはぐらかして答えると、くるみはクスッと笑うのだった。
「こはくちゃん、ハルくんに告白したんでしょ?」
こはくの姉であるくるみには全てお見通しのようで、俺は黙って頷いた。
「そっか」
だが、俺がこはくの告白にどう答えたのかは聞いてこなかった。いや、あの状況を見れば一目瞭然だっただろう。
あの状況で俺も嘘をつけなかったし、俺なりに正直に答えたつもりだったのだが、こはくを泣かせてしまったことに対する罪悪感がどうも拭えない。
こはくは俺のことを好きでいてくれたらしいが、一方で俺はくるみのことが好きで、そしてくるみは俺のことを特別扱いしようとはしなかった。俺がくるみに告白したことがきっかけで、俺達を取り巻く複雑な状況が明らかになってしまったのだ。
「ごめん」
そして、こはくのことを大切に思っている姉のくるみにも申し訳なくて俺は謝ったのだが、くるみは俺の方を向いてニッコリと微笑んだ。
「よくも、私の大切なこはくちゃんを泣かせてくれたね」
冗談だとしてもその言葉が怖すぎる。
「どんな刑罰も俺は甘んじて受け入れる」
すると、くるみは俺の肩をポカッと叩いた。俺が感じている罪の意識に反して軽すぎる刑罰だ。
「どうしてハルくんが謝らなくちゃいけないの。ハルくんは嘘をついたわけじゃないんでしょ? それがハルくんの答えだったなら仕方ないことだよ」
と、くるみは俺の背中を叩いて励まそうとしてくれているが、そんなくるみの励ましが余計に悲しく思えてくるのだ。
だって、俺はこはくと同じように勇気を振り絞って意中の人に告白して、そして振られているのだから。
くるみもそれがわかっているようで、悲しげな表情を浮かべて言う。
「私も、ハルくんのことを振ったんだし……」
今、こんな悲しいことを忘れて前向きなことを考えようとするには、俺達に前を向かせてくれる材料が乏しすぎたのだった。
思えば、あの時から俺とくるみは告白の件についてあまり触れようとせずに、今まで通りの、幼馴染としての日常を過ごそうとしていた。
こうして。くるみが俺の告白の件について話すのは初めてのことだった。
「くるみは、やっぱり気づいてたのか? こはくの気持ちに」
「うん。こはくちゃん、ハルくんの前だとツンツンしてたけど、ずっと構ってほしそうだったもん」
「そうか、そうだったのか……」
俺はこはくとも長い付き合いになるのに、こはくの気持ちに気づけずにただただ嫌われているのだと思い込んでいた。いや、それはきっとこはくの策略通りだったのだろうが、こはくは自分の気持ちに嘘をつくことが出来なくなってしまったのだ。
「俺は、こはくがあんなに泣くとは思ってなかったんだ。でも、泣いているこはくが目の前にいても、俺は何もしてやることが出来なかった……」
「そこでハルくんが抱きしめてくれたとしても、こはくちゃんは余計に虚しくなっちゃうだけだったと思うよ。きっと……」
何故、俺達はこんな会話をしているのだろう?
話題を切り替えてもっとくだらない話をした方が楽しいに決まっているのに、どうして後ろ向きの感情しか生まれない会話を続けているのだろう? こんな会話を続けていたって何か活路が見えるわけでもないだろうに。
でも、俺には話題を切り替える勇気もなかったし、他の話題を出すような資格があるわけがなかった。
いつもなら、くるみと二人きりになってもこんな空気になることもなかったのに。こんな胸が張り裂けてしまいそうな沈黙の時間が流れることもなかったのに。
いつもは、アイツがくだらないジョークで場を和ませてくれるのに…………え?
どうして、俺はくるみと二人きりで帰っているんだ?
ここに、あともう一人いるはずではなかったか?
だが、本来ここにいるはずの誰かを俺は思い出せなかったし、どうでもよくなってしまっていた。
「ねぇ、神社に行こうよ」
くるみのその一言でようやく沈黙が破られ、俺はくるみと一緒に通学路を外れて草花がぼうぼうに生えた暗い獣道を進んで、蒼姫稲荷神社を訪れたのだった。
歩道を歩いている時はうだるような暑さに襲われていたのに、こうして竹林に囲まれていると少しの風も涼しく感じられる。朽ち果てた不気味な神社の鳥居や社殿が心霊スポットのような雰囲気を醸し出しているから、余計に涼しいのかもしれない。
「ハルくんさ、私に告白する前にここにお参りした?」
くるみは朽ち果てた社殿の前に立ち、俺にいたずらっぽく笑って言う。
「いや、してない」
「ありゃりゃ~だから私に振られちゃうんだよ、ハルくん」
くるみはおちゃらけて言ってみせるが、俺はそんな気分になれない。
「じゃあ、俺がこの神社にお参りすれば、くるみは俺の告白を受け入れてくれるのか?」
俺がそう問うとくるみは何も答えずにうつむいてしまった。
「……いや、ごめん。今の言い方は酷かったな」
今のは大人げないというか、意地悪過ぎる言い方だった。これではくるみに嫌われても仕方ないと思ったが、くるみは顔を上げると俺にぎこちなく笑ってみせた。
「ううん、良いんだよ。いっそのこと私のことを嫌いになって、こはくちゃんと付き合ってくれても良かったのに」
そんなことが出来たなら俺もくるみも楽だったのかもしれないし、こはくも幸せになれたのかもしれない。
でも、人の心がそんな簡単なものではないと、くるみも知っているはずだ。
「ね、ハルくん。どうしてこはくちゃんじゃダメだったの?」
そんなこと聞かなくても、くるみは俺の答えを知っていただろうに。
「俺は、今でもくるみのことが好きだから」
俺の答えが、くるみを余計に悩ませることもわかっていたのに。
「なぁ、くるみ」
俺も、くるみに確かめないといけないことがある。
「どうして、俺じゃダメだったんだ?」
本当はこんなこと、くるみに聞きたくなかった。くるみに振られた時の俺は、一度くるみのことを諦めようとしたから、そんなことを聞くのは情けないと思っていた。
だが、こはくの気持ちを聞いた今は、もしかしてくるみもそうだったんじゃないかと、そんな気がしたから、聞けずにはいられなかったのだ。
俺の問いにくるみは答えようとせずに、うつむいたままだった。その問いがくるみを困らせるのは俺もわかっていたことだ。
でも、俺達が前に進むためには、それが必要なはずなんだ。
「くるみ。お前は、俺をこはくに譲ろうとしていたのか?」
こはくが大切な姉のために自分の気持ちに嘘をついて恋を諦めようとしていたように、くるみもまた、大切な妹のために自分の気持ちに嘘をついていたのなら。
黙り込んだままで中々答えてくれないくるみに、俺はさらに問いかける。
「俺もこはくも、勇気を出して相手に本当の気持ちをぶつけたんだ。くるみも何か隠しているなら言ってほしい」
今、こうして目の前で何かに悩み苦しんでいるくるみの姿を見ていると、やはりくるみは何か秘密を持っているんじゃないかと思えた。くるみに悩み事があるなら、俺が助けになれるのなら、それは恋人としてじゃなくても、大切な幼馴染として手助けしたかった。
だから、俺もつい必死になって訴えかけてしまう。
「頼む、くるみ」
そして、くるみの口から放たれた言葉は────。
「ダメだよ」
それは、明確な拒絶だった。
「私、本当のことなんて言えないよ。怖いもん」
俺を振った時でさえくるみの声色は優しかったのに、まるで突き放すかのような冷たい声色に俺は呆気にとられてしまったが、ここで引き下がるわけにもいかなかった。
「ど、どうしてダメなんだ? 俺に何か隠してるのか?」
くるみが怖いというのは一体なんのことだろう? 俺達の関係が崩れてしまうことか?
すると、くるみはようやく顔を上げて、俺に笑いかけた。
「ね、ハルくん。これからもずっとさ、今まで通りの関係を続ける、ってのはダメ?」
俺達の側を夏風が吹き抜けていって、この神社を囲う竹林をざわつかせた。
その木々のざわめきが、俺に対して警告を送っているように思えたし、最後通牒を突きつけているかのようにも感じていた。
でも、俺は変わらない。
いや、俺達はもう、変わってしまったんだ。
変わらざるをえないんだ。
「ダメだ」
俺とくるみとこはくは、もう今までの関係に戻ることは不可能だろう。
かといって、離れ離れにもなりたくなかった。
俺は、くるみのことが好きだから。
くるみに悩みがあるなら、今までくるみに助けてもらっていた俺が、くるみの力になりたいから。
しかし──。
「じゃあ、ハルくんのこと、嫌い」
それは、俺が一番恐れていた、俺が一番言われたくなかった言葉だった。
「昔のハルくんは、もっと良い子だったのに」
くるみは拳をギュッと握りしめ、そして声を震わせながら言う。
「私は、嫌いだよ、ハルくんのことなんて」
くるみは、俺のことを拒絶するようなことを言っているのにも関わらず、どういうわけか涙を流し始めていた。
「嫌いだよ。嫌い、だから……嫌いなんだから!」
大粒の涙を流しながら、くるみは声を荒げる。俺はそんなくるみの姿に圧倒されて、何よりもくるみにそんなことを言われたことがショックで、何も言えずただ立ち尽くしているだけだった。
「嫌い! どうしてこはくちゃんのことを好きになってくれないの!? こはくちゃんはあんなにハルくんのことが好きなのに、私はハルくんのことを振ったのにどうして!? ハルくんとこはくちゃんが付き合ってくれたらそれで良かったのに、それなら私も罪滅ぼしになったのに、どうして、どうして……もう、ハルくんのことなんて、大っ嫌いなんだからぁっ!」
くるみはそう叫ぶと、俺の横を駆け抜けて、まるで逃げるかのように走り去ってしまったのだった。
どうして、どうしてこうなってしまったのだろう?
俺が、くるみに告白してしまったからか?
俺がくるみに告白しなかったら、俺達の関係が崩れることはなかったのか?
でも、その先の未来はどうなるんだ?
俺達が変わらずにいられるだなんて、そんな未来があったのか?
俺は、自分の運勢とか将来を占うことも出来る。何度か試してみたが、それも中々の的中率だ。
だから自分を占ってみたら、この状況を打破するための良案を見いだせるかもしれない。
ただ、逆に。
もう俺達の関係を修復するのは不可能だ、という結果が出てくるかもしれない。
だから、俺は怖くて自分を占うことが出来ないのだ。
この感覚は、あの時と似ている。
五年前、俺が日常というものを失った時。あの時と同じように、もう今までのような日常は戻ってこないのだろうか?
あの時は、くるみが俺のことを支えてくれたから、俺はここまでなんとかやってこれたのだ。
でも、もうくるみはいない。こはくもだ。
まるでこの世界に一人ぼっちになってしまったかのような感覚に陥り、俺はそばにある朽ち果てた社殿の方を向いた。
神頼みをすれば、誰かが助けてくれるだろうか?
こんな俺を、誰が助けてくれると言うのだろう?
その時、後ろから気配を感じた。
見ると、そこには一匹のキツネがいた。そのキツネの右目の下にある、まるで泣きぼくろかのような黒い模様を見て、俺はハッとする。
「お前は……!」
すると、急にボンッと何かが爆発したかのように辺りが煙に覆われた。
そして煙が晴れると、さっきまでキツネがいた場所に、長い黒髪で制服姿の少女が、無邪気に俺に微笑みかけていた。
「こんにちは、ハルさん」
あの日、くるみに振られた俺の前に現れた、縁結びの神様。
彼女なら、俺を助けてくれるのだろうか?
「青葉……!」
しかし、青葉の姿を見て俺に真っ先に湧き上がったのは、怒りの感情だった。
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