第33話 揺れる心、揺れるハート、揺れる胸
今日も、俺の新しい日常が何事もなく進んでいく。
いつもは寝坊しがちで毎朝のようにくるみに起こされていたのに、毎晩青葉のモフモフのキツネの尻尾を枕にして寝ているからか、すっきり目覚めることが出来ている。
夢を見ない方が熟睡できている証らしいが、なんとなく夢の中で誰かと出会っているような気がするのに、それを思い出せそうにない。
そして今日も朝から油揚げ尽くしの朝ご飯を食べて、家まで迎えに来たくるみとこはくと一緒に登校する。
「まだまだアイスが手放せそうにないね。朝ご飯に欲しいぐらい」
「くるみさんは朝からアイスを食べられるのですか? お腹を壊してしまいそうです」
「じゃないと学校行くだけで汗だくになっちゃうよ~」
俺はまだくるみと話す時は緊張してしまい、大体喋っているのはくるみと青葉だけでこはくも口数は少ないが、以前とは変わってしまった新しい日常を、少しずつ受け入れようとしていた。
この、歪な四人の関係がいつまで続くのか、不安に思いながら……。
「よぉーっす、ハルの助~」
俺が教室で自分の席に座ると、いつものように修治がやって来た。
「おはよう、修治。昨日のデートはどうだった?」
「いやぁもう驚きの連続……って、どうしてお前が知ってるんだよ!?」
「今度の休みに女の子と出かけるって言ってただろ、お前」
昨日、青葉と水族館に行った時に修治の姿を見かけたが、それについては黙っておいてやろう。偶然とはいえ何か勘ぐられてしまいそうだ。
「いやぁ、あの子の私服めっちゃ可愛くてテンション上がりまくりだったんだが……ハルの助。なんとな、俺が女の子だと思っていた子が、実は男だったんだ」
「へぇ、マジか」
「いや反応薄いなお前」
一応は驚いたつもりだったんだが、まぁ知っていたし、今時珍しくは……いや珍しい部類には入るだろうけど、昔よりかは受け入れられやすい時代になったのかもしれない。
「どうして俺がその子が男だと気づいたかわかるか?」
「本人に言われたんじゃなくてか?」
「違う……俺達人間に必須の生理現象だ」
「あぁ、トイレか」
「まさか、連れションする仲になるとは思わなかったぜ……誰もいない公園のトイレだから良かったけど」
そこにどんなやり取りがあったのかわからないが、きっと修治は心臓が飛び出るぐらい驚いたのだろうと容易に想像がつく。
「でもな、ハルの助。あの子が男だと知ってもなお、やっぱりアイツが可愛くてしょうがないんだ。俺はこの気持ちをどうすればいいのかわからねぇ……!」
俺は今まで色んな人の恋愛相談にのってきたが、まさか親友からこんな深刻な恋愛相談を受けることになるとは思わなかった。どうしよう、俺も流石に青葉の裸体は見たこと無いけど、実は神様なので両性具有なんですとか当たり前のように言われたら。ちょっと戸惑うかもしれない。
しかし俺が蒔いた種でもあるため、俺も責任にも責任がある。
「修治。俺の家の近くに神社あるの知ってるか?」
「神社って、あのぶっ壊れてるとこか?」
「あぁ、そうそう。あそこって一応縁結びの神社なんだよ。だからお参りしてみたらどうだ? 結構縁結びの評判は良いらしいぞ」
と、俺も少しは青葉の力になってみたくて修治にそうアドバイスしてみたのだが、修治は渋い顔をして言う。
「いや……あんな神社、あまり近づきたくないだろ。稲荷神社ってたまに怖い噂聞くし、それにあんな廃墟だろ? 逆に祟りが来そうじゃねぇか」
うん、そうだな。修治の言うことはごもっともだと思う。むしろ何も怖がらずにあの神社で遊んでた俺やくるみ達がおかしいのかもしれない。
「それにハルの助。お前、あの神社のせいで神隠しに遭ったんじゃないのか?」
修治は俺の家族が神隠しに遭っている事件を知っているから、あの神社に近づきたがらないのだろう。
神隠しに遭った一家の中で唯一見つかった俺は記憶を失っていたし、俺があの場所にいた理由は、どんな科学的な手法を用いても見つからなかったからだ。
「いや、逆だよ。きっとあの神社の神様が、神隠しに遭った俺を助けてくれたんだ」
俺が幼い頃によく一緒に遊んでいたらしい青葉の神様としての力が弱かったのを考えるに、彼女が俺の家族を神隠し出来るほどの力もなかったはずだ。
だから、今はそう信じるのだ。青葉は心優しい、縁結びの神様なのだと。
良いも悪いも、それを決めるのは神様じゃなくて人間なのだと思う。
◇
今日の昼も俺と青葉、くるみとこはくの四人でカフェテリアのテーブルを囲むことになり、俺は若干胃をキリキリと痛めていたのだが、特に何事もなかった。むしろくるみ達が三人でワイワイと話すものだから俺が疎外感を感じていたぐらいだ。
俺が失恋したくるみは未だに幼馴染として俺のことを気遣ってくれているのだろうし、くるみの妹であるこはくはちょっとだけだが以前とは様子が変わったし、青葉は俺とくるみ達の関係をとりなそうとしてくれているのだろう。
それぞれの気遣いはありがたいのだが、俺達を取り巻くこの状況は、四人で集まれば集まるほど悪化しそうな気がする……。
そして放課後。俺は青葉と一緒に体育館を訪れていた。冷房が効いているとはいえ、バレー部が練習に励んでいて、その熱気のせいか立っているだけで額から汗が流れてきてしまう。
「ちょ、ちょっと二人共。そんなにジッと見られると恥ずかしいって」
と、デッサン中のくるみが俺と青葉の視線に気づいてキャンバスを自分の体で隠してしまう。
この学校の体育館の二階にはギャラリー席があって、そこからくるみはバレー部の練習風景をデッサンしていたのだ。
「くるみさん、とてもお上手ではないですか。もしかしてこのコートに描かれてるのはこはくさんですか?」
「うん、そうだよ」
そして俺達の正面のコートでは女子バレー部が練習しており、その中にはくるみの妹である練習着姿のこはくの姿もあった。
こはくはあまり身長は高くないものの守備が上手く、リベロとしてチームを支えている。三年生が引退したとはいえ、一年でもうベンチ入りしているのだから中々の抜擢だろう。
「やっぱり凄いな、くるみは。普通さ、バレー選手の絵を描くってなったらアタック決めてるところを描くだろうに、こはくがレシーブしてる姿を描くんだから」
リベロは普通高い打点でバックアタックを打つこともなければサーブを打つこともないため、描こうとすれば大体守備の場面になってしまう。
「こはくちゃんはサーブとかも打たないから、どうしてもこういうところばかり描いちゃうんだけどね」
「でも凄いぞその絵、まるでこはくの声が聞こえてくるみたいだ」
「もうっ、大げさだよそんなの」
くるみは恥ずかしそうにプイッと顔を背けてしまったが、くるみが描いた絵は幼馴染としてのお世辞を抜きにしても、難しいボールをレシーブするために飛び込んだこはくの決死な表情と躍動感は、例え同じ光景を写真に収めたとしても伝わってこなさそうな迫力や臨場感を感じさせてくれる。
俺達がくるみの絵を褒めている一方で、コート上ではバレー部の練習が続いていて、紅白戦形式で試合が始まろうとしていた。リベロであるこはくはベンチスタートだったが、ローテーションが回ってきたことによって守備についた。
「ほらっ、ハルさんっ。こはくさんが出てますよ、応援しましょうよ応援!」
「いや、別に練習試合でもないのに応援なんていらないだろ」
「うわー。ハルくんって幼馴染が頑張って部活に励んでるのに応援もしてあげないんだー。がっかりだなー」
「やめろやめろ棒読みでそんなことを言うな! わかったよ、もう……」
こはくを応援するのが嫌なわけではないのだが、ギャラリーは俺達しかいないんだぞ。この間のこともあるし恥ずかしくてしょうがないが、これも可愛い幼馴染達のためだ。
今も熱心にデッサンを仕上げているくるみの横で、俺と青葉はこはくに声援を送るのであった。
「頑張れこはくさ~ん」
「こはく! ナイスレシーブだ!」
若干の躊躇いこそあったものの、補欠の部員達もコートに向かって声を出しているから、それに混じるとそこまで恥ずかしさは感じなかった。
「おぉっ。今のプレー凄いですね!」
「あぁ、よく拾えたな。中々良い流れだ」
身近な人間が頑張っていると思うと、最初は恥ずかしがっていた俺も段々と感情を込めて声援を送るようになっていた。
点の取り合いでローテーションが回るとリベロであるこはくがベンチに下がってしまうこともあるが、紅白戦とはいえ普通に見ている分には面白い。
「うわっ。あんなに速いと取れないですよ」
「相手の裏をかいたクイックだったな」
俺もテレビでやっている国際大会ぐらいは見ることもあるからバレーのルールも少しぐらいはわかる。だから部活の練習とはいえ試合形式のものを見ていると段々とテンションも上がってきて熱も入ってしまう。
だが、それよりも俺の目がついつい追ってしまうのは、こはくではなく、俺と同級生のスタイルの良いエースの女子で。
彼女が高く跳び上がる度に、その……大胆に揺れ動く豊満なものが視界に入るわけで。
うわぁ、でっけぇなぁ……なんて考えていると。
「ハルくん」
「ハルさん」
俺は何故か両側から頬を強くつねられていた。
「ハルくん。今、何見てた? 正直に言ってみ?」
「ひぃでにゃいでひゅ(見てないです)」
「本当ですか? ちなみにあの方のカップ数はご存知で?」
「へふ(F)」
「ハルくん、なんで知ってるの……?」
あくまで噂話程度にだが、俺は修治から聞いたのだ、ちょっと前に。それが正しいのか定かではないが、F!?ってめっちゃ驚いた記憶がある。俺は悪くない、悪いのは聞いてもないのに俺に教えてきた修治だ。あと、単純にあれってプレーの邪魔になったりするのかなと考えてみたりもする。男にはわからない感覚だからだ。
「私は悲しいです、こうして熱心に部活に打ち込んでいる乙女達をハルさんがそういう目で見ることしか出来ないだなんて。ハルさんは異性を所詮そういう道具としてしか見ていないのですね、私は悲しいです。シクシク」
「違う。違うから」
「いや、わかるよハルくん。男の子ってそういうのに目が行きがちなんだから。私と勉強会してる時、いつも私の見てたもんね」
「み、見てねーし!」
「ホントかな~」
ごめんくるみ、実はチラチラ見てました。いや、チラチラじゃなくてガッツリ見てました。せっかく俺の勉強に付き合ってくれてるのに本当に申し訳ないと思っているが、くるみのそれってとても柔らかそうだなぁって思ってしまうんだもの。男ってそういう生き物なんだよ、しかも真面目にならないといけないときに限ってそういうセンサーが働くのさ。
「言い訳するのはダサいですよ、ハルさん」
はい、すみません。
だが、確かにこうして青春を部活に打ち込んでいる彼女達をそういう目で見るのはよろしくない。それにこはくは今もコート上で必死にプレーしているのだ、今は彼女の応援に集中しよう。
「おっ! 今のサーブ、よく取れましたねっ」
「良い感じだな」
リベロのこはくは派手な攻撃こそ出来ないが、守備のスペシャリストとしてがむしゃらにボールを追っていく姿は素直に尊敬してしまう。
「あ、ボールがあんなところへ!?」
「あれはきついだろうなー」
相手チームの鋭いアタックが決まり、他の選手が弾いたボールがコートの外へ勢いよく飛んでいって、こはくがそれを追おうと駆け出したその時──。
「あぶなああああああいっ!」
と、突然体育館の中に男子の声が響いた。
隣のコートでは男子バレー部が練習していたのだが、彼らが練習で使っていたボールが女子バレー部のコートまで勢いよく転がってきており、味方が弾いたボールを見上げながら追いかけていたこはくの足元へ。
「こ、こはく!」
俺の叫びもむなしく、こはくは転がっていたボールを踏んづけてしまい、勢いよく転倒してしまったのだった。




