第32話 恋を知った神様
今日、こうして青葉と一日を過ごしてみて、いつもは神様らしい尊大な態度の彼女が、意外にも普通の人間らしいのだと、俺達と変わらないのだと知ることが出来た。
ただ、こんなにも可愛らしいキツネの神様とデートをしても、俺にはまだ未練が残っていた。
「やっぱり、まだくるみさんのことを諦められませんか?」
俺の腕に急に抱きついてそう言った青葉の声は、どこか切なそうで思わずドキリとしてしまう。
やはり縁結びの神様たる青葉は、俺が誰にどんな感情を向けているのかを全てわかっているのかもしれない。
「……俺には、くるみから離れるなんてことなんて考えられないんだ。ずっと一緒にいたい。そんなワガママなことをずっと考えてるんだ、昔から」
いざくるみに振られても、彼女を恋い慕う気持ちは弱まるどころかさらに強くなってきてしまっている。傷心気味の俺の前に恋人として現れてくれた縁結びの神様、青葉と一緒に過ごしていても、くるみとこういう日常を送れたら良いのにな、なんてことばかり考えているのだ。
「ごめんな、青葉。お前はこんなに俺のために頑張ってくれてるのに、俺はくるみのことばかり考えてる。俺だって、前を向かないといけないはずなのに……」
今日は青葉を怒らせてしまったお詫びとしてデートをしていたのに、俺がこんなに不甲斐ないと青葉はまた怒り出してしまうかもしれない。
しかし青葉は俺の腕を離すと、今度は俺の首の後ろに腕を回して、そのまま彼女の胸に俺の頭を強く抱き寄せたのだった。
「良いんですよ、ハルさん」
俺の顔面には彼女の少し控えめながらも柔らかい感触が襲いかかっていたが、優しく声をかけられ、そして頭を撫でられてしまうと、羞恥心なんてものはどうでもよくなってしまい、この心地よい穏やかな海の底へ沈み込んでしまいそうになる。
「好きな人と一緒にいたいという気持ちのどこがワガママなのですか。誰しもがそう願い、その願いを叶えるべく様々な手段を用いて、その一歩を踏み出そうとするんです。そしてハルさんは勇気を出してその一歩を踏み出して一度は失敗してしまいましたが、ハルさんがくるみさんを恋い慕う気持ちはそれで尽きてしまうぐらい弱いものなんでしょうか? 勿論相手に迷惑をかけるような行為はよくありませんが、ハルさんとくるみさんの縁が切れたわけではないでしょう。その縁を結び直すことだって可能かもしれません」
縁結びの神様にそう言われると勇気が湧いてくるような気もしてくるが、果たして俺とくるみの関係が進展することはあるのだろうか? 今まで通りの関係を望むくるみの気持ちを変えることなんて俺には出来そうにない。
いや……こんな弱気では、この神様に失望されてしまうな。
「ありがとな、青葉。こんな俺を励ましてくれて」
「いえいえ、なんてことはありません。それでこそ、私の大好きなハルさんらしいですから」
と、青葉は俺の体を解放すると、優しくニコッと微笑んでみせた。さながら女神のような、いや女神っちゃ女神という身分のはずなのだが、そんな神々しい笑顔を俺に向ける青葉を見て、俺はふと疑問に思った。
「なぁ、青葉。お前、どうしてそんなに俺のことが好きなんだ?」
確か青葉と出会った日に一度聞いて、あんな朽ち果てた神社にいつも来てくれているから、って感じで説明された気もするが、やはりそれだけでは納得いかないというか、たったそれだけのことなのに青葉の愛情が大きすぎるような気がしたのだ。
すると青葉は少し悲しげな表情を浮かべると、うつむきがちに呟いたのだった。
「やはり、ハルさんは覚えていらっしゃらないみたいですね」
……俺が、何かを忘れてる?
もしかして俺、青葉と出会ったことがある?
こんな変な奴と会ったことあるなら、忘れる気はしないんだが。
「ごめん、青葉。俺、お前と会ったことあったっけ?」
「いえ、ハルさんが忘れてしまうのも無理はありません。昔の私はとても力が弱かったので、人の前に姿を現すことが出来たとしても、すぐにその人の記憶から私の存在が丸々消えてしまうんです」
「そ、そうだったのか……じゃあ、俺は覚えてないけど、会ったことあったんだな?」
「はい。私はあの神社でハルさんと二人でよく遊びましたよ。私は神様になった後もずっと一人でしたから、あの朽ち果てた神社で誰かが来てくれるのをずっと待っていたんです。あんな神社に一人でいるだなんて不気味に見えるでしょうに、ハルさんは私を怖れることなくいつも声をかけてくれて、一緒に遊んでくれました。いつしか、またハルさんと一緒に遊びたいという気持ちが、やがてもっと一緒にいたいと強く願う気持ちに変わっていって、そして……私も、恋を知ることが出来たんです」
……俺は大きな勘違いをしていたのかもしれない。
このキツネの神様はとても気まぐれで、人間である俺のことをからかって暇潰ししているだけなのかと思っていたが、本当に俺のことを好きでいてくれて……いや、こんなド直球に気持ちを伝えられたことなんて滅多に無いから、柄にもなくドキドキしてしまっている。
「なので、ハルさんが一人ぼっちになってしまった時、私は決心したんです。ハルさんのために力を溜めて、いつか恩返しをしたい、と。あんな事件がありながらもハルさん達が私の元へお参りに来てくれたから、私はここにいることが出来るんです。なので私としましては、私が大好きなハルさんの願いが叶うことも、私の願望となるんです」
最近はやたら説教めいたアドバイスをしてくることが増えたなぁと感じていたが、まさか青葉のそれは俺とくるみの恋が上手くいくように、縁結びの神様として手助けしてくれているということだったのか……。
「と、言いたいところですが」
「え?」
青葉は俺の両手をギュッと握って、無邪気に微笑んでみせた。
「やっぱり、私の大好きな人が他の方ばかりを見ているだなんて、とても寂しいです」
いや、その笑顔はあまり寂しそうに見えないんだけど。
「私の力を使えばハルさんを手籠めにすることも容易いのですが……」
「やめてください頼みます」
「嫌がるハルさんの姿を眺めるのも悪くないかもしれませんが、私はハルさんが嫌がるようなことはしたくありませんので、これは私とハルさんが見事に結ばれた時まで我慢するしかありませんね」
「いや、俺としてはお前に咎みたいことはまぁまぁあるんだが?」
「はて、一体何のことだか検討もつきませんね」
と、青葉はわざとらしくとぼけてみせる。俺はもう半ば諦めているし神様相手にガミガミ言いたくないから咎めないが、本当は一緒に風呂に入ってくるのやめてほしいんだからな。俺だって一人で落ち着いて風呂に入りたいんだ。あと妙に体を密着させてくることもそうだ。
だが、そういうのもきっと青葉なりの俺へのアピールなのだろう。からかっているだけかと思っていたが、俺に好意があってあんなことをされていると知ると、今後はただじゃ済まなさそうだな……俺が。
なんてことを考えながら、青葉と一緒に駅の方向へと向かって浜辺を歩いていたのだが──駅の改札口にて、可愛らしい青いワンピースを着た女の子らしき人物と一緒に歩く知り合いを見かけたのだった。
「あ、青葉、こっちに来い!」
「え? あ、ちょっと!?」
俺は青葉の腕を引っ張り、慌てて柱の影に隠れた。そして青葉と一緒に柱の影から改札口の方を覗き──デート中らしい修治の姿を確認したのだった。
「おや、あの方は確か、ハルさんのご学友の……」
「修治だ。そういやアイツ、デートに行くみたいなこと行ってたけど、まさか被ってたとはな……」
俺の親友、猪巻修治はバイト先をクビになった上にせっかく出来たばかりの彼女に振られることがわかっていても、道端で大型犬に襲われていた人を助けた度胸のある奴だ。そう仕向けたのは俺だけども。
修治が今一緒にいる女の子らしき人物は、その時に修治が助けた人物なのだろうが、俺は裏事情を知っていて──。
「修治さんは衆道が趣味の方なんですか?」
やはり、縁結びの神様である青葉も気づいていた。
修治が助けた女の子らしき人物は、本当に女の子かのように見紛う容姿を持つ男の子、いや男の娘だったのである。
「アイツ、気づいてないのか……?」
いや、いざこうして見てみると本当に同じ男なのか怪しいんだけど。なんであんな可愛いワンピース似合うんだよ。それに修治の奴、相手が女装した男だってこと気づいているのだろうか?
「なんだか面白そうですし、声をかけてみませんか?」
「やめろ、縁結びの神様としての本領を発揮しようとするな。せっかく二人で良い雰囲気っぽいし見守っとこうぜ」
あくまで俺の占いでの話だが、前に修治に出来た彼女よりかはこっちの方が良いという結果だった。だって修治にちょっと死相っぽいの出てたから、彼女に殺されるのかと思ったし。
俺だって占いの結果が出た時はまさかなぁという気持ちだったが、俺は親友に対して何か取り返しのつかないことをしてしまったかもしれない。
その後、修治達が乗った電車の次の電車まで待って、俺と青葉は帰路についた。社内で俺と青葉は修治の恋路について勝手に色々考えてはとんでもない未来まで語り合っていたが、いつか修治をあの神社に連れて行くべきだろうか。
そして家の最寄り駅に到着し、人通りも減ってきた通りを二人で歩いた。
「ふぅ。やっとここまで帰ってきましたね。もう少し私の力が強ければ、ハルさんの家から海までの距離を縮めることだって出来るのですが」
「いや、物理的に距離を縮めるんじゃなくて瞬間移動という手段を考えて欲しい」
良かった、青葉の力がそんなに強くなくて。もしかしたら俺の家の南側一帯の地盤が沈んで海の底に沈んでいたかもしれない。
「あ、せっかくですし結婚した暁には海岸沿いに私達の愛の住処を建てませんか?」
「愛の住処って言い方やめろ。確かに海辺ってのは悪くないが」
「青い海、真っ白な浜辺に映えるような真っ赤な鳥居を建てましょうね」
「もしかして俺、神社に住まわされるの?」
そんな話を交わしながら俺が住んでいる家まであと数分。そんなタイミングで、住宅街の曲がり角から二人組が出てきて──。
「あれ、ハルくんと青葉ちゃんだ」
曲がり角から出てきたのは、くるみとこはくだった。予想だにしない出会いだったので、俺はちょっとびっくりしながらも二人に声をかけた。
「よ、よう二人共。どこか行ってたのか?」
「うん。こはくちゃんが新しい服が欲しいって行ってたから買いに行ってたんだ。こはくちゃんも可愛いおめかししたいお年頃だからさ~」
見ると、こはくは購入した服が入っているらしい紙袋を手に提げていた。
「そ、そんなんじゃないしっ。別についてこなくても良かったのに」
と、鬱陶しい絡み方をしてくる姉を押しのけるこはくはそんなに嫌そうでもない。くるみとしては可愛い妹のためだっただろうし、受験勉強の息抜きにと外に出たかったのだろう。
「ねぇ、ハルくん達はどこに行ってたの?」
俺は青葉とデートに行ってました。
と、そんなことをくるみとこはくに言えるはずもなく、どう説明しようかと俺が迷っていると──。
「一緒に水族館に行ってまいりました」
と、青葉がバカ正直に答えたのだった。
端的に説明すると違いないのだが、親戚とはいえ殆ど血縁がないような遠い親戚という設定になっている俺達が、年頃の男女が二人きりでいかにもそういうスポットへ行くと、本人達がその気でなくとも周囲がどう受け止めるか。
「そ、そうなんだ……」
ほら見ろ、くるみがなんか反応に困ってるじゃねぇか。俺がくるみに振られて早々にスパッと切り替えて青葉と付き合ってるみたいになってるじゃん。
そんなくるみに対し、こはくはというと──。
「……それってつまり、デートなのでは?」
と、俺を睨みつけるのであった。
こはくはこう言いたいのだろう。あんなにお姉ちゃんのことが好きだったくせに、振られたらさっさと次の女を作るんですね、と。
いや違うんだ、と弁明してもどう説明すれば良いのかわからず俺が固まっている一方で、青葉は平然とした様子で口を開いたのだった。
「最近、ハルさんはお疲れのようだったので、気分転換にと思いまして」
俺の予想に反し、意外にも青葉はくるみやこはくが納得行くような説明をしたのだった。
こういう時は「ハルさんとのデート、とても楽しかったです♪」とか憎たらしいぐらいの笑顔で良いそうなのに。
「そっか、ハルくんってお魚食べるの好きだもんね」
「いや、食べるのと見るのは別だからな? 水族館に行って魚見ながらこの魚美味そ~とか考えないから」
「ハル兄さんはむしろ食べられる方が似合います」
「例え人喰いサメに出会っても最後まで抗うからな」
青葉のおかげで何とかこの場を切り抜けて、俺と青葉はくるみ達と別れ、家に帰宅することが出来たのだった。
ただ、別れ際……くるみが少し寂しそうな表情を浮かべていたのは、俺の気のせいだったのだろうか?
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