第30話 黄泉の国への直行便(片道切符)
前回のあらすじ。
きっと俺はキツネの神様に殺されてしまうだろう。さよならくるみ、こはく、あとついでに修治。俺は神様の逆鱗に触れてしまったのかもしれない。
「な、なぁ青葉。青葉なんだよな?」
「はい。確かに私ですよ。それともハルさんはとうとう私の声すらわからなくなってしまわれたのですか? 神様という身分にある私が毎日ハルさんへ愛情を込めてご奉仕してまいりましたのに、ハルさんにとって私は所詮そのぐらいの扱いだったというわけなんでしょうか? 私、とっても悲しいです。シクシク」
この鬱陶しくて長ったらしい物言いは確かに青葉そのものなのだが、この黄泉の国へ送り込まれたような毒々しい真っ赤な世界が目の前に広がっている手前、俺も慎重に言葉を選ばなければならない。
「青葉。もしかしてだけど、その……怒ってる?」
俺が恐る恐るそう聞くと、俺の頬に触れていた青葉の両手が俺の肩をガシッと掴んだ。
「ハルさん自身に心当たりがあるのなら、まず私に謝るのが先ではないですか?」
あ、はい。そうっすね。
「……ごめん、青葉」
「そうですか。ところで、ハルさんはどうして私に謝ったのですか? 私を怒らせてしまうようなことをしてしまったという自覚がおありなので?」
「え、いや、わかんないけど」
「じゃあ心当たりもないのにハルさんはどうして私に謝ったのですか? とりあえず私のご機嫌をとろうと思って謝るだけ謝っただけなのですか?」
ヤバい。
なんか、このキツネの神様の怒り方、めっちゃ怖い。
「その……ぶっちゃけ、俺はどうして青葉が怒ってるのかわからないけど、わからなくて、ごめん」
心当たりがないわけでもなかったが、どれも確証を得られなかったので、俺はもう素直に謝るしかなかった。
すると、青葉は俺の肩から手を離したのだった。
「そうですね、これ以上ハルさんを問い詰めてもしょうがないですね。今回はここで観念してあげましょうか」
俺の目の前に広がっていた地獄のような光景が、みるみる内に見慣れた家の内装へと戻っていく。そして俺が振り返ると、いつものように俺のジャージを着た青葉が、さっきまでの怒りはどこへ行ってしまったのか、ニコニコと邪気のない笑顔を浮かべながら佇んでいた。
しかし、まだ何か青葉の逆鱗に触れてしまいそうで怖くて、俺の足はまだガタガタと震えていた。
「もうっ、そんなに怖がらなくてもいいですのに。私の怒りなんて半分ぐらい冗談ですし、さっきのはただの幻術とか妖術でハルさんに幻覚をお見せしていただけですよ。立ち話もなんですし、リビングへ行きましょうか」
半分ぐらいは冗談ってことは、もう半分ぐらいは本気だったってことすか?
そして俺は青葉に促されてリビングへと向かったのだが、テーブルの上にはなんか……この世界に蔓延る憎悪や悲しみを凝固させたような禍々しい物体が盛り付けられた皿が並んでいた。
そこで俺は、なんとなくではあるが、青葉が怒っている理由がわかったような気がした。
「な、なぁ青葉」
「はい、なんでしょうかハルさん。そういえば夕飯はもう済まされたのですか?」
「あ、うん」
「それは良かったです。ハルさんが一生懸命に汗水流してお仕事をされている中、私はこの家で一人、ハルさんがお戻りになるのを楽しみにしながら夕飯を作ってお待ちしておりましたよ。えぇそれはそれはとても楽しみにしながら。私が作ったお料理をハルさんがどんな喜んだ様子で食べてくれるのか、とても楽しみにしておりましたとも。ですがハルさんがおっしゃっていた時間を過ぎても帰ってこないではないですか。ハルさん、本日は何時に帰ると私におっしゃいましたか?」
「九時半」
「はい、確かにそうでしたね。ちなみにハルさん、今は何時ですか? ハルさんは時計という文明の利器の見方をご存知ですか?」
「十時半っすね」
「なるほど、ハルさんが時間というこの世界において最も重要な概念をご存知だったようで何よりです」
と、青葉は俺の向かいに座ってニコニコと微笑みながら、しかし淡々と話し続ける。
まぁ、要は。
俺の帰りが遅くなることを青葉に伝えなかったのが、彼女が怒っている原因らしい。
「その……ごめん、青葉。何も連絡せずに帰りが遅れてしまって」
「いえ、別に良いのですよ。ハルさんにとって私はそれぐらいの存在でしかないことがよ~くわかりましたから」
「……はい、すみませんでした」
俺が気落ちしていることが目に見えてわかりやすかったのか、青葉は向かいから身を乗り出すと、俺の頭をよしよしと撫でてくるのであった。
「まぁそう気落ちなさらずに。実はですね、私がハルさんに怒っているのは、ハルさんが私への連絡を怠ったからではないんですよ。なぜなら私、ハルさんの帰りが遅くなることを存じておりましたので」
「いや知ってたのかよ!」
「えぇ、なんてったって神様ですからね、私は。コンコンッ」
いやコンコンじゃないが。
青葉は俺の頭を撫でるのをやめて、向かいのソファに座り直して語り始める。
「神様である私にはなんでもお見通しなのですよ。ハルさんがバイト先の先輩に誘われてファミレスに行ったこと、ハルさんがくるみさんに振られてしまったことについて語り合ったこと、そしてそのままホテルへ誘われたことまでは知っていますよ」
「最後ちょっと嘘を盛り込んだだろ」
「そして先輩さんに誘われたハルさんは帰りが遅くなることを私に伝えようとしましたが、その時こう考えたはずです。あのキツネの神様は携帯電話という現代社会において必須級の文明の利器を持っていないから連絡出来ないけど、アイツって神様だしテキトーにテレパシーでも送っとけば伝わるだろ、と」
「はい、全くもってその通りっすね」
俺が考えた通り、やっぱりお見通しだったってわけか。しかもテレパシーどころか本当に全部お見通しじゃねぇか。たまに忘れそうなこともあるが、やっぱりコイツってちゃんと神様なんだなと、俺は改めて気付かされた。
「ハルさんが神様たる私を信じてくれていることはやぶさかではないのですが、私が怒っているのはそうしたハルさんの思い込みという点なのです。ハルさん、LIMEに登録されている友達を確認してみてくださいな」
「え? お、おう」
俺は携帯でLIMEを開き、登録している友達を確認する。くるみとかこはくとか修治とか、あとはあまり連絡しない知り合いとかも登録されているけど、その中に──『狐島青葉』というアカウントを見つけて、俺は目を見開いて驚愕したのだった。
「はぁ!? お前携帯持ってたのか!? ていうかいつの間に友達登録したんだよ!? 俺、追加した覚えないぞ!?」
「それぐらい、私の力でちょちょいのちょいですよ。私、ちゃんと携帯電話も持ってますので」
「しかもそれ、アップノレの最新機種じゃねぇか!?」
「ちょっとエネルギーを使いすぎましたが、奮発した甲斐がありましたね♪」
俺なんて数世代前の奴を長い事使ってるというのに。容量がデカそうで良いなぁ。
「というわけで、ハルさんが私に連絡しようという気持ちがもう少し強くてLIMEの画面を開いていれば、私の存在に気づけたのかもしれません。それにですね、ハルさんにはこの家に電話をかけるという方法もあったのですよ。今時自宅の固定電話の番号をご存じの方がどれだけいるかわかりませんが、それぐらいの気持ちは見せてほしいものです、シクシク」
「ご、ごめんな……」
と、青葉はわざとらしく泣くような仕草をしていたが、家に電話をかける手段というのはすっかり失念していた。一応固定電話はあるにはあるが、海外にいる親戚から電話がかかってきた時に使うぐらいで、番号はパッとは思い浮かばない。
「というわけでですね。私がハルさんに怒っているのは、ハルさんが私に連絡を入れなかったことではなく、私が神様だから、という理由で大して確認もせずに対応をおざなりにしたことなんです。確かに私は神様なので全てお見通しなわけですが、かといってそんなまぁいっかというぐらいの雑な対応をされてしまっては、天罰の一つや二つくらい与えてしまいたくなるものです。せっかくですし天罰を受けてみますか?」
「それで青葉の気が済むのなら俺は受け入れる」
「フフッ、冗談です。ですがハルさん、天網恢恢疎にして漏らさず、という言葉をご存知ですか?」
「お天道様は見てる、みたいな慣用句だろ」
「はい、よくご存知で。皆さんが信じておられる神様という存在は、普段から皆さんの行いをよく見ているのですよ、良いことも悪いことも全て。普段から人をぞんざいに扱うような方のお願いなんて、神様が聞き入れてくれるわけがないでしょう。私だってそうです。なので、ハルさんも普段から徳を積むような行いを心がけてくださいね。さすればきっとハルさんも理想の彼女を手に入れることが出来るでしょう」
「あぁ、肝に銘じる」
確かに、俺は浅はかな行為をしてしまった。いくら青葉が神様とはいえ、せっかく夕食を作って家で待ってくれている彼女に一言も連絡を入れないだなんて立派な悪事だ。
「これからはお気をつけくださいね。そうした些細な出来事が積み重なってしまうとどんな大惨事が起きてしまうかわかりませんから。だからハルさんはくるみさんに振られてしまうんですよ?」
「ぐぅの音も出ないな」
もしかして俺がくるみに振られたのって、俺が自覚してないような悪事が積み重なった結果なのだろうか。知らず知らずの内にくるみにフラストレーションが溜まっていたのかもしれない。
と、縁結びの神様からのありがたいお言葉もいただいたところで、青葉はふぅと息をついた。
「しかし、たまにはこういうのも良いですね。私はもっとハルさんと喧嘩とかしてみたいです」
「俺に勝ち目がないんだが?」
「ですが喧嘩というのも恋人同士らしいではないですか。勿論やり過ぎはいけませんが、ときには互いの本心をぶつけ合うのも良いことだと思いますよ。もっとも、普段からお互いに本心を言い合えた方が良いに決まってますが、それが中々難しいのもよくわかります。ハルさん達がそうであるように」
「うるせーよ」
青葉の機嫌が元に戻ったようで何よりだ。あの時は本当に死の危険を感じた、やっぱり神様を怒らせたらいけないんだなって学べた気がする。
そして、俺はバイトで汗を流した体を洗い流そうと浴室へ向かおうとしたのだが──ソファから立ち上がろうとした俺の腕を笑顔の青葉が掴んだ。
「それはそうとハルさん」
「なんだ?」
「せっかくですし、私が用意していた料理を食べてみませんか?」
俺はリビングのテーブルに置かれた青葉の手料理をもう一度確認する。
それは、この世の憎悪や悲しみを全てかき集めたかのような禍々しいオーラを放つ、とても料理とは思えない代物だ。食べたら俺はどうなってしまうのだろう。
「いや、遠慮しとく」
「いえいえ、そう遠慮なさらずに。それともハルさんは、一人寂しくハルさんの帰りを待ち続けていた私の愛情たっぷりの料理を食べられないとおっしゃるのですか?」
「お前の愛情はこんなに禍々しいものなのか?」
「いえ違います、これは愛情の裏返しというものですよ」
「これを食べると黄泉の国へ誘われそうなんだが?」
「えぇ、間違いないですね。これは黄泉の国への直行便、勿論片道切符です。途中下車は出来ませんのでご注意くださいませ♪」
と、青葉はニコニコと微笑みながら言うのである。
「あの、青葉。やっぱりまだ怒ってる?」
「いいえ? 神様の私がこのぐらいで怒るわけないじゃないですか。そうですね、もし本当にハルさんが私に申し訳なく思っているのなら、それなりの誠意というものを見せていただきたいものですがね」
あ、やっぱりまだ怒ってるね、青葉。だって俺の腕を掴む力が半端ないもん、絶対女子の握力じゃないって。
「わ、わかった。今回のお詫びに出来ることなら何でもするから」
「な・ん・で・も、ですね?」
「お、俺に出来る範囲のことで頼む」
「こづk」
「それ以外で」
「せっk」
「言い方変えてもダメだ」
「むぅ。なんでもって言ったくせに」
なんでも、って言葉は無闇矢鱈に使うべきではないな。反省しよう。
「あ、そういえば明日と明後日は学校がお休みなんですよね?」
「土日だからな」
「そうですね……では、今度の日曜日なんですが」
すると、青葉は朗らかな笑顔を浮かべながら俺の両手を握って言ったのだった。
「私と、デートしてくれませんか」




