第28話 気まぐれではなく、本気?
「ハルの助、今日もバイト?」
「あぁ。修治は暇になったから遊び放題だな」
「遊ぶ金が欲しい……」
俺は今日も書店でのバイトだ。ちなみにこはくは部活があるためシフトは被っていない。昨日の今日でこはくと二人きりになる状況は出来るだけ避けたいから都合は良いのだが、こはくと二人で話をしたい自分もいた。
「ちなみになんだがハルの助。今度の休みにさ、昨日出会った女の子とお出かけすることになったんだけど、なんかアドバイスある?」
「そうだな。俺はお前が器の大きい人間だと信じている」
「何だそのアドバイス。もしかして彼女、とんでもない秘密隠してたりする?」
「さぁな」
残念だが修治、今の俺はお前にそんなに構っていられるほど心に余裕はないんだ。まだ修治には俺がくるみに振られたことを伝えていないが、聞かれない限りわざわざ言う必要もないだろう。
今までと変わらない日常を過ごしているように装っている俺達を見れば、まさか失恋という出来事があったとは思うまい。
「あ、ハルさ~ん」
と、今日も青葉が俺の教室まで迎えに来たので、俺は修治に別れを告げて青葉と一緒に生徒玄関へと向かう。
「俺、今日もバイトだから」
「なんとまぁ。ハルさんって意外と働き者なんですね、驚きです。やはりですね、若くて元気な内にやりたいことをやるのが一番ですよ。ハルさんも段々と年を取っていき、三十代が目前に迫ってくると情熱というものを失ってしまいますよ。なので早く私とこづ──」
「やめろ。それ以上言うな」
俺は慌てて青葉の話を遮った。このキツネの神様、私と子作りしましょうねって言おうとしてただろ、絶対。廊下には他の生徒も大勢いるから変な噂が立ってしまいそうだ。
しかもコイツ、まだ子作りを諦めてなかったのかよ!
「そういえばなんですが、どうしてハルさんはアルバイトされてるのですか? 若い女の子が多そうなバイト先で彼女を見つけようとしていたんですか? この世界には働きたくないのに日銭を稼ぐために自分の命を削ってまで働いている方だっていらっしゃるのに失礼だとは思わないのですか?」
「あのな、元々好きな人がいたのにそんなことするわけないだろうが。俺がバイトしてるのは社会勉強ってのもあるけど、俺はそんなに縁が近いわけでもない親戚にありがたく引き取ってもらって仕送りも貰っちゃってるから、少しぐらいは自分で生活費を稼ぎたいんだよ」
ありがたいことに俺を引き取ってくれた親戚は今も十分な生活費を毎月送ってくれているし、金銭面は気にするなと言ってくれるけれど、やはり申し訳ないという気持ちの方が強い。別に俺は他にやりたいこともないから、バイトは社会勉強がてら良い暇つぶしと金稼ぎになるのだ。
「なるほど、そうだったんですね」
俺のバイトに励む姿勢がそんなに意外だったのか、青葉は驚いたような表情をした後、俺に向かって優しく微笑むと、その腕を俺の頭へと伸ばしてきた。
「偉いですね、ハルさんは」
と、多くの生徒が行き交う放課後の廊下で、青葉は急に俺の頭を撫で始めた。
「や、やめろって」
周囲の生徒が奇異の目で見てきたりクスクスと笑っていたので、俺は慌てて青葉の手を振り払った。
「あら、そんな恥ずかしがらなくても良いのに。良いですか、誰にだって見栄を張って恥ずかしいと思うことはあるかもしれませんが、時には素直にならないといつか相手にされなくなってしまいますよ?」
「時と場合ってのを考えてくれ」
「むぅ、本当は嬉しいくせに」
俺が恥ずかしかったのは、誰かに撫でられる姿を皆に見られることもそうなのだが、本当に怖かったのは、俺が泣いている姿を見られることである。
一瞬だったが、青葉に褒められてナデナデされた時……俺は泣きそうになってしまった。
本当に俺は誰かからの愛情に飢えているんだなと情けなくなってくるが、今まではくるみが俺の姉であり保護者のような存在だった。でもこうして、くるみとの関係がぎこちなくなった後でも青葉という存在がいてくれるから、余計に嬉しくなってしまうのである。
もう、失うのは怖いから……。
「そういえばお前、俺がバイトしてる間どうするんだ? 今日も待つのか?」
「いえ、今日は先に帰ってハルさんのご飯を準備しておきます。今日も油揚げ料理のご馳走をたっぷりと用意しますので、楽しみにしててくださいね」
「いつもありがとな。九時過ぎぐらいには帰ると思う」
途中までは帰り道も一緒のため、俺は青葉と校舎の生徒玄関を出てそのまま校門へ向かおうとしたのだが──。
「おや、あれはくるみさんじゃないですか?」
俺とほぼ同じタイミングで、青葉もくるみの姿を認識した。くるみは体育館へ続く渡り廊下を歩いていたのだが、その手には大きなキャンバスを抱えていたのだ。
俺は未だに自分からくるみに声をかけるのをためらっていたが、青葉が先にくるみに声をかけてくれた。
「くるみさんくるみさんっ。そんな大きなキャンバスを持ってどこに行かれるんですか?」
「お、青葉ちゃんだ。ちょっとね、最近勉強ばかりしてるから息抜きに絵を描こうと思ったんだ」
三年生になって大学受験も控えているため引退しているが、くるみは中学の頃からずっと美術部に所属していた。色んなコンクールで賞を受賞しているから、その腕は折り紙付きと言っても過言ではない。
「そうなんですね、絵を……」
と、青葉は俺の隣でちょっと物憂げな表情を浮かべていた。そういえば、青葉って人間だった頃に画家に恋してたんだったっけか。絵描きというだけで彼のことを思い出してしまうのかもしれない。
そんな青葉の代わりに、俺が先に口を開いた。
「何の絵を書くんだ?」
「こはくちゃん」
「あぁ、なるほど……」
こはくはバレー部に所属しているから、体育館に道具を持っていこうとしていたのだろう。あんなひっきりなしに動いているものをどうやって一枚の絵に落とし込んでいるのか、絵心のない俺にとっては甚だ疑問である。
「運ぶの手伝おうか?」
「ううん、あとこれを運ぶだけだから良いよ。ハルくんは今日もバイト?」
「あぁ。絵、完成したら見せてくれよ」
「うんっ、一番に見せてあげるから。あ、ハルくんもたまにはこはくちゃんの様子を見に行ってあげてね。こはくちゃんは部活もちゃんと頑張ってるんだから、ハルくんが応援しに行ってあげたらきっと喜ぶよっ」
「え? 俺が? いや、そんな喜ばれるとは思えないんだが……」
こはくがバレーの大会に出場する時に俺もくるみに連れられて応援しに行ったこともあるが、その度にこはくから嫌そうな顔をされたのをよく覚えている。だから、やっぱり昨日のことが信じられないのである。
今日はこはくとシフトが被らなかったのは幸いだが、結局あれからこはくから何も言われていないし、無かったことにしたいのだろうか……そんなことを考えながら俺達はくるみに別れを告げて、学校を出たのであった。
くるみが絵を描くことを知った青葉は、いつもと打って変わって大人しく俺の隣を歩いていたが、学校を出た瞬間にいつものお茶目な神様の雰囲気を取り戻していた。
「くるみさんって絵はお上手なんですか?」
「あぁ、色んな賞を取ってるからな。本人は謙遜してるけど、画家としても十分食ってけると思う」
今時はイラストレーターという職業を目指す人も多いだろうが、水彩画や油絵が廃れていくわけではないだろう。絵筆や絵の具でしか描けない魅力もあると思う、素人意見だが。
「せっかくだし、お前もくるみに絵を描いてもらったらどうだ?」
「くるみさんは人物画も描かれるのですか?」
「あぁ、俺も前に描いてもらったことあるし」
「その絵はどちらに?」
「くるみの家」
「どうしてハルさんの家に飾らなかったのですか?」
「いや、恥ずかしいだろ。くるみとかこはくが描かれてる絵ならまだしも、どうして毎日自分が描かれた絵を拝まないといけないんだよ」
「ご安心ください。ハルさんの容姿はそんな遠慮されるほど醜いものではありませんよ、もっと誇りに思ってくださいな。きっとこの世界に住まう数十億の多種多様な人達の中に一人ぐらいはハルさんのことをかっこいいと勘違いしてしまうような方がいるはずですから」
「もっとたくさんいてほしいけどな、数十億人もいるんだから」
それにくるみの奴、なんかプリクラで加工したのかってぐらい大分俺を盛って描いてくれやがったからな。尚更恥ずかしい。どうせ家に飾るならむさ苦しい男の絵より美少女の絵の方が良いに決まっている、絶対にセラピー効果あるから。
「くるみも昔から絵が上達するように頑張ってるんだ。だから、青葉もくるみのことを褒めてやってくれよ。くるみってあまり褒められ慣れてないからな、きっと喜ぶと思う」
「ふふっ、ハルさんはお優しいんですね」
「あぁ、当然だろ」
思えば、くるみはよく俺のことを褒めては頭を撫でてきてくるが、その逆はしたことがない。くるみは妹のこはくもいるから誰かを褒めて可愛がることこそ多けれど、くるみ自身が褒められることって、最近はどうなのだろうか……と、少し気がかりに思っていると、隣を歩く青葉が少し悲しげな表情を浮かべて口を開いた。
「やっぱり、私はまだまだくるみさんに勝てそうにないみたいですね」
と、そう言って青葉は照れくさそうに笑ってみせた。
「なんだよ。お前、くるみと何の勝負してたんだ?」
「いえ。私も一応私なりにハルさんの恋人としてふさわしいように振る舞っているつもりなのですが、ハルさんの中ではやはりくるみさんの存在が大きいようですので」
そう語る青葉の表情を見た俺は思わず彼女から顔を背けてしまった。
青葉は縁結びの神様として俺の願いを叶えるべく、俺の前に恋人として現れた。俺も了承したものの、くるみに振られたとはいえ未だに未練を引きずっていて、くるみ達に対しては青葉のことを遠い親戚だと説明して、俺もそういう風に扱うようになってきてしまっている。
俺の恋人になりたいだなんて、最初は俺のことをからかいたいだけの神様の気まぐれだと思っていたのだが……もしかして俺は、青葉の気持ちに向き合っていないのか?
と、そんなことを考えていると、俺が住んでいる家とバイト先へ別れる交差点へと辿り着いた。
「俺、こっちに行くから。気をつけて帰れよ、青葉」
「あらまぁ、人間ごときに心配されるほど私は弱くありませんよ? 例え居眠り運転のトラックが衝突してきても、きっとトラックが異世界へと転生してしまうことでしょう、おいたわしやおいたわしや」
「物騒な事件は起こさないでくれよ?」
「はい、勿論です。絶対に起こしませんから♪」
「絶対に、ってわざわざつけるんじゃない。フリじゃないからな?」
「は~い」
……このキツネの神様相手に「絶対」という言葉を使ってはいけないな。
そんな戒めを胸に刻みながら、俺に向かってブンブンと元気よく手を振る青葉に、俺は軽く手を振り返したのであった。




