第26話 揺るぎない心、揺らぐ日常
くるみが中学に進学してから回数こそ減ったが、俺とくるみがお互いの家に上がり込んで勉強会を開くことは珍しくなかった。
俺が高校受験を控えた冬の時期なんて、くるみから勉強を教えてもらうために何度も彼女の家を訪れたものだ。
「お、大分数学の点数が上がってきたね。良い感じだよハルくん」
俺が解いたテキストを採点しながらくるみは嬉しそうに俺の頭を撫でてきたが、俺は恥ずかしくてすぐに振り払ってしまう。
「やめろよ、すぐに撫でてくるの」
「いや?」
「そ、そういうわけじゃないけど……」
「じゃあ良いよねー♪」
「だからってそんな強くワシャワシャするな!」
結局、俺はナデナデの誘惑に抗うことが出来ずにくるみに頭をワシャワシャと撫でられるのである。「良い子良い子~」だなんて、一体くるみは俺を何歳になったと思っているのだか。
「この調子なら、ウチの学校だってギリギリ合格出来るかもだよっ。あと一ヶ月切っちゃったし、ラストスパートかけようね!」
「ま、まだギリギリ?」
「うん、正直ギリギリ」
くるみが勉強を教えてくれているおかげで、受験直前のこの冬に学力を大分底上げしたつもりだが、ぶっちゃけそこまで自信はない。当日の試験の内容次第ということろだ。
忙しい中、俺に勉強を教えてくれているくるみのためにもどうにか合格したいところだが、やはり不安の種が尽きることはない。そんな俺の不安が表情に出てしまっていたのか、くるみは俺の頭を撫でるのをやめると、今度は俺の体をギュッと抱きしめてくるのであった。
「大丈夫。ハルくんならいけるよ」
そうやって背中をポンポンと優しく叩かれて励まされると、俺は思わず泣きそうになってしまう。
家族を失った俺を引き取ってくれた遠い親戚のご夫婦は、海外の仕事で忙しい中でも年に数日ぐらいは帰ってきて色んな面白い話を聞かせてくれたり、遊びに連れて行ったりしてくれるし、毎日とまではいかないが電話でやり取りもする。
それに、昔から家族ぐるみで親交のあったくるみのご両親も、たまに夕飯に誘ってくれたり、家族旅行に俺も連れて行ってくれたり、と俺のことを気にかけてくれていた。
そんな親切な人達の優しさに恵まれた環境にいても、どうしても俺の心には埋められない寂しさというものがあった。
そんな俺の気持ちを汲み取って、まるで家族のように接してくれていたのがくるみだったのだ。
「ねぇ、ハルくん。このままのと膝枕のどっちが良い?」
「……このままで」
「ふふ、ハルくんったら甘えん坊さんなんだから~」
塾に通って講習や模試も受けて、暇があればずっと勉強尽くしの冬を過ごしていた俺も、少しは疲れていたのかもしれない。
「ハルくんはとっても頑張り屋さんなんだから、たまには甘えてくれたって良いんだよ?」
「別に、そんなに頑張ってないし」
「そうかなぁ? でも、例え他の誰かがハルくんの頑張りを認めなくても、いやハルくん自身が自分の頑張りを認めなくても、私はハルくんが頑張ってるって認めるんだから」
「なんだそれ」
くるみに抱きしめられると、受験勉強の疲れもどこかに吹き飛んでしまうぐらい心地よくて、やっぱり俺はくるみがいないとダメなんだな、とつくづく思い知らされる。
「私ね、考えたんだ。ハルくんの将来の夢」
「なんでくるみが考えるんだよ」
「でね。ハルくんって占いが得意でしょ?」
「まさか、占い師にでもなれって言うのか?」
「うんっ。ハルくんにとっても向いてると思うよ」
俺の占いはどういうわけかよく当たると評判で、というかその評判を広げたのはくるみなのだが、だからといって占い師になろうと思ったことはない。
なぜなら、俺のことを引き取って住む場所を与えてくれている親戚に「占い師になりたいです!」とは言えないからだ。
「でもね、ハルくんが凄いのは占いの腕だけじゃないんだよ」
くるみはなおも俺のことを抱きしめ続けながら、優しく諭すように話し続ける。
「ハルくんってね、自分では気づいてないのかもしれないけれど、誰かの相談の受けている時、とっても優しい表情をしているの。ほら、そういう相談してくる人って、大体は自分が困ってるから相談しに行くでしょ? ハルくんはそんな人達にとても親身になって、その人が安心するようにアドバイスしてあげてるんだよ」
最初はくだらない相談ばっかりだったが、俺の名前が広まっていくにつれ、段々と相談の内容も深いものになっていき、俺も慎重にアドバイスするようになっていったのだ。
俺はただ、誰かに期待されているなら、全力でその期待に応えようとしているだけだ。
「私はね、ハルくんの占いを受けた人が皆、ハルくんに相談したおかげで悩みが解決したって喜んでるのを何度も見てきたんだ。だから、私もとっても嬉しいの。皆がハルくんのことをとっても褒めてくれるから」
俺はそんなにチヤホヤされたいわけじゃないが、俺のアドバイスを実践して上手くいった人にお礼を言われると、やっぱり悪い気はしないのだ。だから占いをやめられない。
「ハルくんはね、ただ単に占いの腕だけじゃなくて、相談してきた人に親身に寄り添って、優しいアドバイスをすることが出来るんだよ。それは普通に出来ることじゃない。きっと、ハルくん自身が辛い思いをしてきたから、そういう人達を放っておけないんだと思う。だから、ハルくんは優しくなれるんだよ」
そんなに褒められると恥ずかしくなってきてしまう。
でも、ちょっとだけ興味も湧いてきたのだ。占い師という道も。
……占い師って、どんな学校に行けばなれるんだろうか。
◇
そういえばそんなこともあったなぁと、眩しい朝日を浴びながら俺は目覚めるのであった。
なんだか最近、夢の中にしょっちゅうくるみが出てくるような……俺は未だにくるみに未練タラタラスケトウダラというわけか。
「おはようございます、ハルさん。未練タラタラスケトウダラとはどういう意味ですか?」
「おはようさん。それにはツッコんでくれるな」
制服に着替えてリビングへ向かうと、青葉が台所で朝食を作っていたのだが……その姿を見て俺は愕然とした。
「おい、青葉」
「どうしたのですかハルさん。そんなこの世のものとは思えないようなものを見てしまったかのような顔をされて」
「いや、どうして裸エプロンなんてしてんだ」
なんと青葉は下着も着ずにエプロンだけ着用しているのだ。まだ夢でも見ているのかと思って俺は自分の頬をつねってみたが、信じられないことにこれは夢じゃないらしい。
しかし青葉はすっとぼけたような表情で言う。
「いえ、昨日の大雨が信じられないくらい、今日はこんなに晴れているではないですか。せっかくなので裸エプロンをと思いまして」
「お前の故郷には、晴れた日には裸エプロンをするという風習でもあったのか?」
「考えても見てください。私は神様ですので人間の常識に囚われる必要なんてないんですよ。それに私はキツネですし、むしろ服を着る方が珍しいくらいなのですよ」
「そんな常識論みたいに言われてもな。ここは人間界なんだから人間のルールに則ってもらいたいんだが」
「それにですね、ハルさん。せっかくこうして麗らかな乙女がとめどなく襲いかかる羞恥心に耐えながら裸エプロンをしてあげているんですから、褒め言葉の一つぐらいくれたって良いじゃないですか」
「お前は服を着ていた方が似合う。早く服を着ろ」
「悲しいです、シクシク」
口では早く服を着ろと急かす俺だって、青葉みたいな可愛い女の子の裸エプロン姿に興奮しないわけじゃない。多分青葉は俺をからかいたいだけだからまだこれだけで終わっているが、彼女に本気を出されたら俺は勝てそうにない。なんせ相手は神様だし。
そんなこともありながら、朝食として出された油揚げがたっぷり入った味噌汁と、油揚げとひじきの炊き込みご飯はやはり美味しかった。どうやら青葉の価値観では油揚げが入った味噌汁も油揚げ料理としてカウントされるらしい。
そして朝食を終え、学校へ行く支度をしていると──。
ピンポーン
と、家のインターホンが鳴る。
以前はいつも通りの、何気ない日常の一場面に過ぎなかったはずなのに、やはり緊張してしまう自分がいる。
だが、俺もいつまでも動揺していられない。まだ俺にもチャンスがあると思えば……いや、これはどうなんだ? くるみ達には隠しているが、半ば強引だったとはいえ、俺と青葉は一応恋人同士という関係になっている。
せっかく神様が直々に現れてくれたのに申し訳ないが、それでもくるみを諦めきれない自分がいる。
でも、一度俺のことを振ったくるみの気が変わることなんてあるのだろうか。
『私は、ずっと前から、ハル兄さんのことが────』
それに昨日のこはくとの件もあって、余計にややこしい事態になりつつある。
ここは一度、縁結びの神様である青葉に相談してみたいところだが、俺はひとまず外で待ってくれているくるみを迎えようと玄関の扉を開いたのだが──。
「おはよう、ハルくん」
そこに佇んでいたのは、朝から可愛らしい笑顔を見せてくれるくるみだけではなくて。
「おはようございます、ハル兄さん」
くるみの妹、こはくもいたのであった。
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