第25話 今じゃなかったかもしれない
「バカッ! 電話かけてもLIMEしても全然反応ないから心配したんだよ!?」
と、くるみは俺とこはくの首の後ろに手を回して抱きしめながら怒っていた。くるみは傘を捨ててしまったため、俺とこはくの傘で何とかくるみの上を覆おうとする。
「ご、ごめんくるみ。ちょっとぐらい良いかなと思って」
「いや、ハル兄さんに電話に出ないでって言ったの私なの、お姉ちゃん。ごめんなさい……」
「もう……もうっ!」
ショッピングモールの出口で俺達のバイトが終わるのを待っていたくるみは、俺とこはくに電話をかけても全然応答がなく、さらには携帯の電源も切られてしまったから、さぞ不安に襲われたことだろう。
でもこんなに心配されるとは思わなくて、俺もこはくもくるみに謝ったものの、俺達を抱きしめる力はさらに強くなり、やがて──。
「バカ……」
くるみは俺とこはくの間に頭を挟んでいるためその表情を伺うことは出来ないが、雨音に紛れて嗚咽が聞こえてきた。
「ほんとにもう、バカなんだから……!」
そう言って泣き始めたくるみを見て、俺はようやく気づいた。
くるみはきっと、俺とこはくが神隠しに遭ったのではと考えたに違いない。
五年前の冬、俺の家族が神隠しに遭った時、一人だけ無事に帰ってきた俺を見たくるみは、俺を力いっぱい抱きしめて、涙を枯らすぐらい泣いていた。
俺達と連絡がつかなくなり、くるみは俺達が神隠しに遭ったのではないかと考え、そして……五年前、俺が発見されたこの神社へ慌ててやって来たのだろう。
「ごめん、くるみ……」
俺はもう一度そう謝って、泣きじゃくるくるみの背中を擦ったのだった。
あの時の俺は家族を失って悲しみに打ちひしがれていたが、くるみが俺のことを心配してくれたから、くるみが俺のために泣いてくれたから、くるみが俺を必要としてくれていたから、生きるための力を貰えたんだ。
こはくのお願いがあったとはいえ、一言連絡を入れるぐらいすれば良かったかもしれない。くるみには本当に悪いことをしてしまった。
「ごめん、お姉ちゃん。心配かけちゃって」
「ううん、無事だったならそれで良いんだから。で、こはくちゃんとハルくんはここで何してたの?」
落ち着いたらしいくるみは目を拭って、しれっと俺の傘の中に入ってきてそう問うてきた。
「え、あ、いや、ちょっと、その……な、なんというか……」
と、いつもは冷静沈着なこはくがわかりやすく動揺している。そんなこはくの姿を見てくるみはクスッと微笑んでいたが、今度は俺の方を向いてきたので、俺は平静を装って答える。
「ちょっと神社に願い事があったんだよ、こはくは。だから俺が付き添ってあげただけだ」
「じゃあ私が一緒でも良くない?」
「まぁ、こはくだってそういうお年頃なのさ。お姉ちゃんもわかってやりな」
「なに~その知ったような口は~」
と、俺はなんとなく答えをはぐらかしたものの、未だに顔を赤くして動揺を隠せていないこはくを微笑ましそうに見つめるくるみは、一体何を思っているのだろう……?
もうそろそろ家に帰らないと警察に声をかけられそうな時間なので、俺達は神社から帰ることにした。くるみはずっとプンプンと怒っていたが何とか機嫌を直してもらい、途中でくるみとこはくを見送った。
そして、自分の家に帰宅してリビングの照明を点けた時にようやく、俺は彼女に声をかけたのだった。
「お前、いつから神社にいたんだ?」
すると、俺の背後にいたらしいキツネの神様がひょこっと後ろから顔を出してきた。
「あらまぁ、ハルさんはいつからお気づきで?」
「違和感自体は神社にいた時からあった。お前のことを思い出せたのは、この家に帰ってきてからだ」
くるみとこはくは気づいていなかったようだが、俺とこはくが神社にいた時か、あのあたりから俺達に異変が起きていたのだ。
それは、俺達三人が青葉の存在を忘れていたこと。
こはくが小学生の時に蒼姫稲荷神社で出会っていたという和装の女の子は青葉のはずなのに、その話を聞いても俺は青葉のことを思い出せなかった。そして一時行方不明になった俺とこはくを探しに来たくるみでさえも、一緒に待っていたはずの青葉の存在を一言も口に出さなかったのだ。
「お前、俺達に何か術でもかけたのか?」
「流石はハルさん、よくお気づきで。ハルさんがお考えの通り、私は一時的に皆さんの記憶から私の存在を消したんです」
コイツ、そんなことも出来るのか。流石は神様、そもそもキツネだしそういう妖術のようなものも使えるのだろうか。
「お前、なんでそんなことしたんだ?」
「まぁまぁ立ち話もなんですし、まずはお風呂に入りましょうよ。ハルさんもお仕事でお疲れでしょう、今日も私がお背中お流ししますよ。なんだったら前の方も……」
「背中だけで良い。前はデリケートなんだから」
と、俺は青葉に背中を押されて浴室へ。いくらタオルを体に巻いているとはいえ、青葉みたいな女の子と一緒に入浴するだなんて、二回目とはいえ全然慣れそうにない。
そんな俺のドキドキを感じ取っているのか、青葉は俺の背中を優しくゴシゴシと洗ってくれている。
「お前、俺がこはくと一緒に神社にいること、わかってたのか?」
「はい、それは勿論。だってあの神社は私のテリトリーなんですから、例え離れていても人の出入りなんて簡単にわかっちゃうんです。何をしているのかも、です」
じゃあ、あの神社で起きていたことは青葉にはバレバレだったというわけだ。
「じゃあ、お前はどうして俺達の記憶から存在を消したんだ?」
「ふむ。簡単に答えることは出来ますけれど、なんでもかんでも簡単に教えることは出来ませんね、これではハルさんの成長に繋がりませんから」
「別に良いだろそんなの」
「いいえ、少し考えれば簡単にわかることですよ。まず順を追って振り返ってみましょう。まず、童貞なりに勇気を出して想い人に告白したハルさんは、ものの見事に振られてしまったわけです」
「俺の傷をえぐろうとしないでくれ」
今日一日のことを振り返るのかと思いきや、まずそこからか。多分俺の傷をえぐって楽しんでるだけだろ。
俺は体を洗い流し、浴槽へと入る。しれっと青葉も一緒に入ってきたが、昨日も一緒に入ったし、これから話を聞かないといけないから今日は許すことにする。
「そして一時的にですが、ハルさんとくるみさんの関係はちょっと複雑なものになっちゃったわけですね。そこに現れたのがこの私、皆さんにはハルさんの遠い親戚であると名乗っていますが、実はハルさんの恋人となるべく現れたとっても可愛らしい乙女な縁結びの神様というわけです」
自分でとっても可愛らしいとかアピールしてくるから鬱陶しいが、それが事実だから若干溜息が出そうになるのだろう。
「さぁ、こはくさん視点ではどうでしょう? 昔から知っている幼馴染の男性が恋い慕っていたであろう自分のお姉さんに振られ、そんな彼が悲しみに打ちひしがれているところにとっても可愛らしい女の子が現れたんです。親戚とはいえ殆ど血縁もないようなものですから、全然付き合っちゃってもOKなわけですよ、私とハルさんは。そしてハルさんを振ったくるみさんも、以前と同じようにハルさんに笑顔を振りまいている……つまりこはくさん視点では、今のハルさんは両手に花という状態なわけです。そこでこはくさんは勇気を振り絞ってハルさんを神社に誘い、そして──」
「いや、ちょっと待て」
俺は青葉の話を止めた。青葉が何を言わんとしているのかはわかったのだが、それにはある重要な前提が抜け落ちている。
「それ、こはくが俺のことを好きじゃないと成り立たない話じゃないか?」
するとこはくは俺に背中を合わせながらクスッと俺をからかうように笑った。
「まさか、ハルさんはあの時のこはくさんが何を言おうとしているのか、わからないのですか?」
青葉にそう言われて、俺は神社でのことを思い出す。
『私は、ずっと前から、ハル兄さんのことが────』
わかっているさ。俺でもわかることなんだ。だからこそ、それを信じることが出来ないのだ。
こはくが、俺のことを好いているだなんて。
「……信じられない」
俺達のことを心配したくるみが駆けつけてきたことによって有耶無耶になってしまったが、こはくはあの時、俺に告白しようとしていたのだ。
「まさかあの時、こはくさんが急に出刃包丁やチェーンソーでも取り出してハルさんの体を切り刻むとでも思われていたんですか?」
「その方がまだ受け入れられる」
「ハルさんはこはくさんに対してどんな悪事を働いたのですか?」
「いや、何かしたつもりはないんだが……」
あの神社の不気味な雰囲気もあるし、そういうホラーサスペンス的な展開の方が自然だと思える。流石の俺でも、あんな朽ち果てた神社で、しかもこんな大雨の日に意中の人に告白しようとは考えない。
「つまりですね、こはくさんにとっては今しかなかったんですよ。ハルさんに想いを伝えるタイミングは。こはくさんも、ハルさんがくるみさんに思いを寄せていたことに気づいていたんです。でもハルさんがくるみさんに振られたことで、こはくさんにチャンスが回ってきたんですよ。そこに私という存在が現れて、しかもくるみさんとハルさんの関係が崩壊したわけでもない。なのでこはくさんは焦ってしまったんです。ハルさんがどちらかと結ばれてしまうのではないか、と」
俺も同じ状況下に置かれたら、確かに行動を急ぐだろう。
しかし、やはりこはくが俺に思いを寄せていたという事実を信じることが出来ない。
「で、それがどうしてお前が自分の存在を消すことに繋がるんだ?」
「まだわかりませんか? 私、こう見えても縁結びの神様なんですよ。使える力は限られていますが。でもせっかく私のような弱小神様にお願いしてくれたのですから、その人の願いを叶えようとするのは当然のことです」
「じゃあ、こはくもあの神社にお参りしたのか? 告白が上手くいくようにって」
「えぇ、そうですね。とても可愛らしいお願いでしたよ」
「まだ答えがわからないんだが」
「もうっ。これだからハルさんはくるみさんに振られちゃうんですよ」
そう言われると何も言い返せない。だって俺、こはくの気持ちに気付けなかったぐらいだし。
「つまりですね、私は機会を平等に与えたかったんです。私は縁結びの神様としてハルさんの願いを叶えるためにハルさんの恋人として現れましたが、こはくさんのお願いも叶えなければなりません。そこで私は、自分の存在を消しました。私の存在を全く知らない状態のハルさんが、こはくさんの告白にどう答えるか。つまり、ハルさんの真意を探るためだったんです」
そこまで説明されて、俺はようやく理解することが出来た。
つまり、縁結びの神様たる青葉の気遣いで、彼女は自分の存在を俺達の記憶から消し去ったのだ。
俺が何にも惑わされない状態で、こはくの告白に真摯に向き合えるように。
だが、まだここで疑問が生まれてくる。
「じゃあ、どうして縁結びの神様たるお前は、こはくの願いを叶えてやらなかったんだ?」
こはくが俺に告白しようとした瞬間、俺達の前にくるみが現れたのだ。こはくの想いが俺に届く前に、そして俺が答えを返す前に。
「私は平等に機会を与えますが、それが成就するかどうかはその人の想い次第です。その人の想いの力が強ければ強いほど、私にもエネルギーが与えられます。つまり、こはくさんの想いはまだまだ弱いものだった、ただそれだけのことです」
無常にも思えるが、青葉とて神様と言えども全知全能というわけじゃない。俺も恋人が欲しいと縁結びの神様に願ったわけだが、俺はくるみのような恋人が欲しいですと願ったのだ。
くるみとこはくは姉妹だが、二人は全然違う人間なのだ。だから、俺とこはくの願いが一致することはなかった……。
「そういやお前、こはくにアドバイスしたんだろ? 来たるべき時が来るまで待てって」
「えぇ、そんなこともありましたかね」
「その来たるべき時って今日だったと思うか?」
「悪くないタイミングだったとは思いますよ」
「こんな大雨だが」
「雨も恋愛につきものな要素じゃないですか。このような雨の中の告白というのも中々に風流だとは思いませんか? 乙女の涙も加われば尚更です」
「こはくはあんなに俺のことを嫌ってたのに、本当に告白なんてありえるか?」
「バカですねぇ、貴方は。乙女心はそんな単純なものじゃないんですよ、貴方の脳みそほど」
俺はそんなに貶される必要があっただろうか。
未だに、俺は信じることが出来ない。こはくに好かれていただなんて。
ただ、俺は恐れているのだ。
今までは変わることのなかった俺達の関係が、悪い方向へ変わっていってしまうのではないか、と……。
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