第2話 神様へのお願い
失恋のショックから立ち直れないまま、俺は家に帰ろうともせずに、体を沸騰させてしまうかのような日照りを浴びながら近所の住宅街を歩いていた。
『ごめん、ハル君』
思い出したくないのに、どういうわけかついさっきの場面が俺の頭の中で何度も繰り返される。
今はなんとなく、家に帰りたくない。帰ったって誰もいないし、こういう時にいつも俺を励ましてくれたのはくるみだけど、彼女を頼ることも出来ない。
ただ失恋しただけなのに、急にこの世界に一人ぼっちになってしまったような気がしてしまって、ただこの複雑怪奇な心情を整理する時間と、落ち着ける空間を俺は求めていた。
俺の家は、巨大な団地が連なる丘陵地帯の外れにある。そして俺の家から団地の方へ続く細い裏道を登って、さらに鬱蒼と生い茂る竹林の中へ続く獣道を通っていくと、テニスコートぐらいの大きさの広場のような空間が広がっていて、そこにはポツンと小さな神社が鎮座していた。
朽ち果てた赤い鳥居、隙間風が入り放題のボロボロの社殿、申し訳程度に存在している手水舎。地図にも載っていないこの神社の名前は、蒼姫稲荷神社だ。少なくとも、近くに立っている案内板にはそう書かれている。
蔦が絡みついて非常に読みづらい案内板によると、大体千年ぐらい前の平安時代に、ここら辺を治めていた領主のために、蒼姫なる人物が大変麗しい良妻との縁を紡いだことから創建されたらしく、一応縁結びの神社らしいけれど……一体誰がこんなボロボロの神社に赴いて、縁結びなんて祈願するのだろうか。
でもこの神社は、俺とくるみが子どもの頃によく遊んでいた秘密基地のような場所で、大人には近づくんじゃないと叱られていたが、俺達はこの場所が好きだった。
鳥居や社殿はもう朽ち果てているものの、この神社を囲う竹林は、なんだかかぐや姫でも生まれそうで、風になびいてカタカタと軋む音を鳴らす様は、非日常的な世界へ誘ってくれそうである。
何よりも、少し高台になっているこの神社からは、西方に沈む夕日を眺められる隠れた絶景スポットなのだ。
『ね、見て見てハル君。今日も夕日が綺麗だねっ』
今日もそんな夕日を拝もうと思ったけれど、この場所にいるとどうしてもくるみのことを思い出してしまって、どうしようもない程辛くて心臓が潰されてしまいそうになる。
俺は朽ち果てた社屋の前に立つ。誰も管理していないだろうから、いや誰かに盗み出されたのか賽銭箱すら置かれていないし、勿論鈴なんてものもないが、俺は社屋の前で手を合わせた。
『俺、くるみが合格できるようにお参りしといたから、ここで』
『ここ、縁結びの神様だよ?』
『ほら、志望校との縁を結んでくれるかもしれないだろ』
『確かに!』
いや、納得するんじゃないよと、俺は今でもくるみにツッコミを入れてしまう。
そんな楽しかったはずの思い出が、今はただただ俺の胸にナイフのように深く突き刺さる。
『私、ハル君が合格できるようにお参りしといたから、ここで』
『ちゃんとご利益あったもんな』
『せっかくだしさ、二人でもう一度お願いしよ、神様に』
『はいはい』
思えば、縁結びの神様がいる神社なのに、ここでそういうお願いをしたことはなかった。
もし、俺が告白する前にここでお参りしてたら、くるみはOKしてくれたのだろうか?
こんな朽ち果てた神社にご利益なんてあるとはとても思えないが、今は神様にでもすがらないとやっていけないぐらい、俺は精神的に参ってしまっていた。
「縁結びの神様……」
もうここに神様がいるかもわからないが、俺は祈るしかなかった。
「俺は、幼馴染のくるみに振られました」
神様が俺の事情を知っているのかもわからないので、意味もなくそう説明する。
「でも、まだくるみのことを諦めきれない自分がいます」
なんて情けないのだろうと自分でも思うが、俺が気持ちを簡単に切り替えられないのは、今もくるみのことが好きだからだ。
「どうか、どうか……」
でも、くるみのあの反応を見るに、俺を恋人として見てくれそうにはない。くるみが俺に向けていた笑顔は、好きな相手に向けるものではなく、可愛い弟に向けられるようなものだったのだろう。
だから、くるみのことを諦めたくて。
でも、くるみ以上に、好きになれそうな人がいなかったから。
「俺は、くるみのような、素敵な人と恋がしたいです……」
失恋したてというのもあっただろうが、そんな情けないお願いをした自分が恥ずかしくなって、俺はそそくさと神社から立ち去ろうとしたが──。
「そのお願い、叶えてあげよっか?」
背後から、女の子の声が聞こえてきた。
くるみによく似た、だがくるみではないはずの声だ。
この神社に来るのは、俺とくるみぐらいのはずなのに、一体誰が?
俺は恐る恐る背後を振り返った。
「えっ……?」
しかしそこにいたのは、一匹の小さなキツネだった。
まだ幼体らしいキツネはボロボロの社殿の中から、まるで俺のことを品定めするかのようにジッと見つめていて、この稲荷神社の雰囲気も相まって神の使いが現れたようでもあった。
おかしい、さっきまでここにキツネはいなかったはずなのに。
「お前、ここの守り神なのか? それとも神の使い?」
俺がそう問いかけてもキツネは何の反応も示さない。それもそうだ、人の言葉がわかるわけもない。
割と近い距離に俺がいても怖がっていないようだが、いくら可愛らしい動物とはいえ、野生動物には簡単に近づかないほうが良い。
「お前、親は? ずっと前からここにいたのか?」
動物が考えていることなんてわかるわけがないが、中々俺の前から逃げようとしないキツネを見ていると、俺の情に訴えかけてくるような、悲しそうな瞳を俺に向けているように思えてきた。
「なんか、泣きぼくろみたいな模様ついてるな……それ、泣きぼくろなのか?」
キツネの右目の下には、まるで泣きぼくろかのような黒い模様があった。キツネの世界にもそういうものがあるのだろうか。
きっとお伽噺の世界なら、このキツネが人間の姿にでも化けて、一緒に遊ぼうという展開になるのかもしれないが……現実がそんなファンタジーなわけもなく。
「じゃあな、キツネさん。ここのお稲荷さんと仲良くしておくれよ」
俺はキツネにそう言い残して、神社から立ち去ったのだった。
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