第19話 変わっていく日常
「────ねぇ、ハルくんは将来何になりたいの?」
くるみが俺にそんなことを聞いてきたのは、俺が中学三年だった夏の頃。先に高校生になっていたくるみが家まで訪ねてきて、冷房の効いた部屋で俺の受験勉強に付き合ってくれている時だった。
くるみは俺の隣に椅子を置いてそれにちょこんと座り、アイスキャンディーを片手に机に向かっている俺の顔を覗き込んで様子を伺っていた。
「さぁ、全然わからない」
興味がある職業は色々あるが、将来の自分がどうありたいか、今の俺には想像もつかないし考えることも出来なくて、なんとなく進学ということしか考えていなかった。
「ぶっちゃけさ、現時点での自信はどう? ハルくん的に」
「ぶっちゃけ泣きそうなぐらいだ」
「お~よしよし。私があやしてあげまちゅね~」
「やめてくれ。正気を疑うから」
「場を和ますジョークなのに……これじゃコンビ組めないよ、私達。小学生の時、一緒にコンビを組んで天下を取ろうって意気込んでたハルくんは一体どこに行っちゃったの?」
「忘れてくれ、そんな黒歴史」
くるみは場を和ませようとおちゃらけたことを言ってくれているが、俺を取り巻く環境はかなり厳しいものだった。この間の模試の判定は悪くはなかったが、そのときはたまたま解きやすい問題ばかりで運が良かっただけで、本番の問題の内容によって大きく左右されかねないという分析結果だ。
「やっぱり、くるみも不安か?」
「うん。今のところね、悲しくてむせび泣いているハルくんの姿しか想像できなくて私も毎晩枕を涙で濡らしてる」
「気が早いというか、今の時点で諦めないでくれ」
「そのときは私、ハルくんにどう声をかけたら良いかな? さようならって言えば良い?」
「悲しみに打ちひしがれる俺に追い打ちをかけようとしないでくれ」
くるみはこう見えて、いやこう見えてというのも失礼だが実は勉強が出来るタイプで、彼女についていこうとしている俺やこはくのことなんて一切考えずに、それなりの進学校に入学してくれたのだ。
いや、くるみの人生は彼女自身が考えることなのだから、それを俺がとやかく言う権利はない。
「くるみは、やっぱり芸術大学とかに進むのか?」
「行けたら良いな、とは思ってる」
そう言ってくるみはアイスキャンディーをシャリッと噛んだ。憂いを帯びたくるみの表情にさえ、俺は見惚れてしまいそうになる。
「でも高校に入ると、同じ美術部に私より絵が上手い人だっているからね。それを仕事に出来たら良いかもだけど、今はそんなに夢見てないかも。私は、ハルくんをモデルに絵を描けたら満足だから」
くるみは親御さんの影響で昔から絵を描くのが好きで、よく風景画や人物画を描いはコンクールで賞を貰っている。俺もよくモデルにさせられたが……いつも和やかな雰囲気とは違う、キャンバスに向かっている時の真剣な表情のくるみの姿を見ると、未だにドキドキしてしまう。
「というわけで、勉強終わったらモデルになってもらって良い?」
「いい加減恥ずかしいんだが。ポーズとってるのも疲れるし」
「今日はこんなに暑いんだからさ、せっかくだし裸になっちゃえば良いんじゃない?」
「何がせっかくなんだ。幼馴染が相手でもセクハラになるからな?」
「だいじょーぶだって! 私、何回もハルくんの可愛らしい息子ちゃんを見てるから!」
「昔の話だろうが! 今はそんなに可愛くないんだよ!」
「どうなのかな~」
くるみは椅子をクルクルと回転させながらケラケラと笑っていた。
昔は将来がどうだとか仕事がどうだとか、そんな考えたくもないことをくるみと話すこともなかったのに、少しずつ大人の階段を登っていくと、どうしても考えないといけないことなのである。
結局、俺が今の高校を選んだ理由はただ一つ。
その高校に入れば、例え学年は違くとも、くるみと一緒にいられる環境を手に入れることができる。
また、くるみがそばにいてくれる日常が戻ってくるのだ。
「結局、ハルくんがウチの学校に入りたい理由って何なの? もしかして私がいるから?」
「さぁな」
「お? 照れてる? ねぇ照れてるの? ねぇねぇどうなのどうなの?」
「うるせぇ! モデルやめるぞ!」
「まぁまぁ落ち着いて落ち着いて。ハルくんがシスコンなのは十分知ってるから。私みたいなお姉ちゃんが身近にいたらシスコンになっちゃうのも無理はないよ、私だって十分ブラコンだからお互い様ってわけっ」
「だからそうじゃねぇって言ってるだろ!」
「どうなのかな~」
と、くるみは俺のことをからかっていたが、くるみの指摘は図星だったわけで。
ただ一つ違ったのは、シスコンの俺がくるみのことを姉として慕っているのではなく、恋愛対象としてくるみのことが好きだったということだが……。
◇
どうしてこういう時に限って、夢の世界にくるみが迷い込んでくるのだろう。どうせならもっとドキドキするシチュエーション……いやいや、朝から俺は何を考えようとしているのやら。
着替えてリビングへ向かうと、先に起きていた青葉が制服姿で朝食の支度をしているところだった。
「あ、おはようございます、ハルさん。良い夢は見られましたか?」
「まぁボチボチだな」
「そういえば見てくださいよこのお天気。ハルさんの予言通り大雨ですね、びっくりしちゃいます」
台所にある小窓の向こうには陰鬱とした雨雲が広がっていて、窓ガラスに雨粒が打ち付けている。まぁ俺が占わなくても、天気予報で大雨マークついていたからな。
「ね、ハルさん。私達が出会った日を彷彿とさせるような雨だと思いませんか?」
「そうだな」
「せっかくですし、ここでひとつ、初心に戻ってみませんか?」
「まだ出会って二日目だが?」
「罪なき人々に危害を加える鬼を退治するためにこれから鬼ヶ島へ向かおうと思うのですが、仲間になっていただけませんか?」
「お前は鶴の恩返しモチーフだっただろうが!」
「あ、そうでしたっけ。確かにハルさんを鬼ヶ島へ連れて行ってもとても鬼を倒せそうにはありませんもんね」
「弱くて悪かったな!」
なんて話をしながら俺は朝食の支度を手伝ったが、思えば青葉と出会ってから、出会った当日を含めても三日目か。それにしては俺、青葉に心を許し過ぎじゃないか……?
「流石に毎朝うどんでは飽きてしまうかと思ったので、本日は油揚げピザトーストです」
「あ、油揚げがトーストにされとる……」
パッと見は普通のピザトーストなのだが、トーストとチーズの間に一枚の大きな油揚げが挟まっている。油揚げをトーストに使おうと思ったこと、人生で一度も無いぞ。
「お、結構美味いなこれ」
「そうでしょうそうでしょう。良いですかハルさん、油揚げには無限の可能性が広がっているのですよ? いずれ世界三大料理の一角に油揚げ料理が入ること間違いなしです!」
フランス、中国、トルコのどの牙城を崩して油揚げ料理が入るというのだろうか。
しかし油揚げ料理というニッチなジャンルを確立できそうなぐらいには、青葉の油揚げ料理レシピのバリエーションは豊富なのだろう。今まで食べたものにハズレなんて無いし。
「いかがですかハルさん。気づかぬ内に、私の油揚げ料理でしか満足できない体になっているのではないですか?」
「なんだその言い方は。でも、本当に助かるよ。いつも作ってくれてありがとな」
「いえいえ、なんてことはありません。こんなことは朝飯前ですよ、なんてったって神様ですからね、コンコンッ」
フフン、と胸を張るキツネの神様の姿を見ているだけで、まだ治りきっていない俺の心の傷が少しずつ癒えているように感じる。
『も~ハルくんったらねぼすけさんなんだから~』
以前なら、俺はくるみとこういう日常を送っていたのだ。しかし今となってはもう叶わぬ夢のように思えるのが、あの時の俺の決断を後悔させる。
青葉というキツネの神様は俺の恋人として色々手助けしてくれているが、未だに俺はくるみのことを諦めきれずにいる……。
ピンポーン
学校に行く準備をしていると、家のインターホンが鳴った。もしかして、今日もこはくが迎えに来たのか? いくら姉のくるみに頼まれたとはいえ、こはくがそんな毎日来るようには思えないが……そう思いながら鞄を持って玄関に向かい、扉を開けると────。
「おはよう、ハルくん」
軒先で俺に笑顔を向けて佇んでいたのは、失恋相手のくるみだった。
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