第16話 良くなるか悪くなるか、ただそれだけ
「まぁ許嫁というのは冗談でして」
俺はズコーッと転びそうになった。
「お前の身分が身分だから有り得そうだと思っちまっただろ!」
「いえ、いたことはいたんですよ、許嫁。あまり面白くなさそうな方でしたが、お家のためでしたし仕方なかったんです。ですが運命というのは残酷なものでして、かの震災で私の家族、そして許嫁諸共亡くなってしまいまして。私は叔父の家に引き取られることになり、その時に交流があったのが画家さんですね」
あまり関係が良くなかったらしい許嫁は別としても、家族全員を失ってしまった惨事を語っている割には、青葉はあまりにもひょうひょうとしているように見えた。
「叔父の家は田舎にあったのですが、青々とした野山を描かれていた画家さんと出会い、私は彼が描く幻想的な世界観に惹かれ、交流を深めるようになりました。でも彼は風景画が専門だと意地を張って、中々私の絵を描いてくれようとはしてくれなかったんですよね」
自分の昔話を語る青葉の柔らかな表情や声色は、家族の話をしていた時とは違う感情が表に出ていたように見えた。
「お前は、その画家のことが好きだったのか」
「さぁ、どうだったと思われますか?」
「占いやめるぞ」
「あぁっ、そう怒らいでくださいな。でも実のところ、私も自分の気持ちは今もわからないのです。例え恋をしていたとしても、私と彼の家柄には天と地ぐらいの差がありましたから、駆け落ちや心中という手段しかなかったでしょう。結局、彼に私の絵を描いてもらえないまま、私はこんな身分になってしまったわけですし」
もし青葉が言う画家が存命ならば引き合わせてやりたいとも思うが、時代が時代なだけにご存命の可能性は限りなく低いだろう。その画家が描いた絵でも見せたら、青葉も喜んでくれるのだろうか。
……って、どうして俺は青葉を喜ばせてあげようと考えているのだろう?
それはきっと、俺と同じ境遇にあった青葉のことを哀れんでのことだろう。
そんなの、くるみが俺に向けている気持ちと変わらないというのに……。
「あの、ハルさん」
考え事をしていた俺は、青葉に名前を呼ばれてハッと前を向く。ついさっきまでニコニコしていたくせに、彼女は珍しく不安げな面持ちで口を開いた。
「彼が、私のことをどうお考えになっていたか、占うことは出来ませんか?」
青葉の顔を見ていると、彼女がその画家とやらに恋慕していたのは明白なように思えて、このへんてこなキツネの神様も、やはり元々は人間だったのだと、どんな家柄であろうとも、一人の女の子だったのだと、俺は気付かされた。
「そういうの、結構疲れるから嫌なんだよ。じゃあまた箱から掴み取ってくれ」
青葉は再び抽選箱の中に手を突っ込んだが、紙きれを掴むのにそう苦労しないはずなのに中々手を出そうとはしない。
「どうした?」
「あの、これって私の代わりにハルさんが引くことも出来ますか?」
「さぁ……結果に影響出るかはわからないが、どうしてまた」
「いえ、ハルさんが引いてみてください」
どういうわけか青葉が紙きれを取るのを嫌がったので、仕方なく俺が抽選箱の中に手を突っ込んだ。
そして紙きれを掴めるだけ掴んで、箱から手を出そうとしたのだが──手が抜けない。
は? なんで?
ただの紙きれが金属の重りかってぐらい重くて、手を動かせないのだ。
この占いでそんなことが起きるのは初めてのことだ。どういうわけか普通の文字が書かれているはずの紙きれが真っ黒に焼き焦げていたり、文字が文字化けしていたり、書いた覚えもない「呪」って文字が現れたりしたこともあったが、これはどういう現象なんだ?
「……なぁ、青葉」
「は、はい。なんでしょう?」
俺が問いかけると、青葉は少し動揺していたのか声がうわずっていた。
「お前、この結果を見たくないんだな?」
すると青葉は俺から目を逸らしてうつむいてしまった。
不思議と、俺には見えてしまうのだ。
おそらくだが、五年前に神隠しに遭った時に、俺は不思議な力を授かってしまったのだと思う。
青葉は、この占いの結果を恐れている。だから神様の力みたいなのを使って、俺の占いを妨害しようとしているのだろう。それでも、この抽選箱の中から放たれているらしい、禍々しい怨念めいたオーラを感じ取ることが出来てしまう。
結果を見たくない、という青葉の気持ちが、ね。
そんな青葉の抵抗むなしく、俺は彼女が恋い慕っていた画家が彼女をどう思っていたのか、それを知ることは出来たわけだが。
彼女が知りたくないのなら、俺もわざわざ教えるつもりはない。俺の占いかて、必ず当たるわけじゃないはずだ。
「なんだか、気を遣わせてしまったみたいですみません」
青葉は顔を上げると、俺にぎこちない笑顔を向けた。いつもは俺のことをからかうのが好きなお調子者の神様のくせして、そういう顔をしてほしくはない。
「別に良いさ。今まで俺が占ってきた奴にもそういうのはいたからな。もっと気軽な相談の方が良いってのは本音ではあるが」
「では、私の次の生理周期はいつなんでしょう?」
「んなこと占えって言われても困るんだよ。ていうか神様にもそういうのあんのか?」
「だって、そうでないと子どもを産めないではないですか。例え島や炎を身にまとった子どもを産むにしたって、卵と精の結びつきが必要なんです。そう、つまりは男女の交わり、レッツ子作りというわけですね」
いや、そんな自信ありげな顔で語られても困る。だって日本の神様って体洗っただけで子ども生まれたりするらしいのに。それとも身を清めるって何かの隠語だったのだろうか。
「ちなみにですが、今日のご飯は何が良いですか?」
「それを占えと!?」
「あ、いえ、普通に聞きたかっただけです」
「青葉が好きなもの作ってくれたらいいよ。お前の飯、めっちゃ美味いし」
「フフ、では油揚げのフルコースということで」
そうか。青葉の好みに任せると、全部油揚げが入ったメニューになってしまうのか。いつか油揚げスムージーとか出てきそうで恐ろしい。
今日の占いを終えて、なんだかんだ俺の占いに満足してくれたらしい青葉と一緒に俺は帰ることとなった。
そして今日突然転校してきたばかりの青葉は、自分がこの学校に通うための整合性を保つために先生達を洗脳してくる、と身の毛もよだつような恐ろしいことを言って職員室の方へ向かってしまい、俺は生徒玄関で彼女を待つこととなった。
「神様って怖いな……」
まだ部活動生が帰るような時間ではないため、生徒玄関に人気はなかったが──。
「あ、ハルくん」
生徒玄関の外で、俺はくるみとばったり出会ってしまった。夏休み前なら、せっかくだし一緒に帰ろうかとどっちかが誘うところなのだが、今の俺達はお互いにぎこちない笑顔を向けることしか出来ずにいた。
「くるみ、今帰りなのか? 部活はもう引退したんじゃ?」
「え、あぁ、うん、そうなんだけどね。ちょっと様子を見に行こうかと思って。ハルくんは何してたの?」
「俺は部室に用があっただけだよ」
青葉と一緒にいたことを隠す必要はないのに、部室で何をしていたのかをわざわざ言うつもりもなかった。
どうして、こんな後ろめたさがあるのだろう。今までの俺なら、さり気なく、何の気なしに一緒に帰ろうとくるみを誘っているところなのに、その一歩を踏み出すことが出来ない。
一度、昼休みに一緒に帰ろうと誘ったけど、断られてるし……。
「じゃ、じゃあ私、美術部の部室に行ってくるから。じゃあね、ハルくん」
「あ、あぁ。また明日な」
「うん、また明日ね」
また明日、か。
明日も俺達は、こんな雰囲気なのだろうか……。
「数々の恋愛小説の登場人物も真っ青になってしまうぐらいのいじらしさですね」
と、青葉は達観したようにニコニコと微笑みながら俺の前に現れた。
「おい、見てたのか」
「はい。割り込まない方が面白そうだと思いましたので。ハルさんはどうしてくるみさんに一緒に帰ろうと誘わなかったのですか? 貴方がほんの少しの勇気を出せば、私も空気を読んで自然にフェードアウトしましたよ? これでもちゃんと筋は通す派なので」
きっと、俺とくるみが付き合っていると勘違いしている連中が今の光景を見れば、やれ倦怠期だとか、やれ関係の破綻だとか、そもそも始まっていない恋愛についてのゴシップがあっという間に広まるに違いない。
青葉の言う通り、俺がほんの少しの勇気を出せば、何かが変わる可能性もあっただろうに──。
「もう、俺達は終わったのさ」
俺は自嘲気味にそう言った。
「それに、くるみには用事があるんだよ。昼休みも言ってただろ、今日は一緒に帰れないって。理由はそれだけで十分だ」
くるみに振られて、元々俺とくるみの関係を強固にしていた幼馴染という間柄でさえ失いかけている今、俺は……この関係が崩壊することよりも、ただただ、くるみに断られることに怯えてしまうぐらい、精神的に弱くなってしまっている。
そんな俺に、青葉は優しく微笑みかけてきて言った。
「ハルさんは、変化を恐れているのですか?」
いつもは場の空気を和ませてくれる青葉の笑顔が、今は俺の心の全てを見透かしているように思えた。
「ハルさんは今を変えるためにくるみさんに告白して、振られてもなおくるみさんのことを愛していたから、神様にお願いしたのではないですか?」
聞きたくない、そんな話。俺は悪いことをしたつもりはないのに、なんだか説教されている気分だ。
「例えハルさんが変化を恐れて何もしていなくても、変化を望まなくても、私達は常に変化を強いられているんです。どうしてかわかりますか? こうして私達がこの場所に立ち止まっていたとしても、刻一刻と今という時間は過去のものになり、常に世界が変化しているからです」
時間が俺達を待ってくれることはない。それぐらい俺も十七年ちょっとの短い人生の中で学んできたつもりだ。
俺がどう足掻こうとも、くるみは先に大学に進学して、俺と接する時間が減ってしまうだろう。俺がくるみを追いかけて同じ大学に進学する前に今までの関係が壊れてしまいそうだったから、俺は急いでしまったのだ。
「人生に停滞なんてありませんよ。良くなるか悪くなるか、ただそれだけです。立ち止まっていては、皆に置いてかれてしまいますよ? ほら、一緒に行きましょう」
そう言って、青葉は笑顔で俺に手を差し伸べた。
『──ほら、皆に置いてかれちゃうよ?』
その姿が、俺の幼馴染に空目してしまう。
『だから、私と一緒に進もうよ。ね?』
くるみは、いつも俺のことを引っ張ってくれていた。誰かに背中を押してもらえないと中々前へ進み出せないという、優柔不断で情けないのが俺という人間だったが……流石は神様というべきか。
この真夏のうだるような暑さとは違う手の温もりを、俺はついつい求めてしまうのである。
「さぁ、家に帰ったら楽しく子作りしましょうね♪」
俺は一度青葉の手を掴んだが、スッとその手を離したのだった。
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