第11話 くるみの妹
ピンポーン
家のインターホンが鳴り響いた瞬間、俺は大事なことを思い出した。
「あ、やべっ!?」
俺は慌てて部屋を飛び出て階段を駆け下り、玄関へ向かおうとしていた青葉の方を掴んで止める。
「待て、青葉。俺が出るからお前はリビングに隠れててくれ」
「どうしてですか? 来客を出迎えるのも妻としての役目ですのに」
「駄々をこねてもダメなものはダメだ。良いか、絶対に出てくるんじゃないぞ?」
「はぁ、絶対にですか?」
「あぁ、絶対に出てくるな。良いな?」
「は~い」
と、本当にわかっているのか怪しい気の抜けた返事をして青葉はリビングに身を隠してくれた。
ピンポーン
そしてもう一度、家のインターホンが鳴る。
今、玄関の向こうにいるのは誰か?
俺には大体検討がついてしまう。
おそらく、家を訪ねてきたのは俺の幼馴染、猫塚くるみだ。
くるみは毎朝のように俺の家に訪ねてきて、一緒に登校することが多かった。毎日顔を合わせているのに、それでも話のネタは尽きることはなくて、くるみは俺の日常に貴重な明るさをもたらしてくれていたわけだが……昨日の今日でくるみが一緒に登校しようと誘ってくるとは思わなかった。
いや、違う。
これが、くるみが望んでいる『今まで通り』の日常なのだ。
俺達は変わらない、いや変われない。俺はくるみに告白し、そして振られてしまったわけだが、これまでと変わらない幼馴染という関係は続けられるのかもしれない。
まだ希望は潰えたわけではない、しかし……くるみの方が平気だとしても、俺はくるみと顔を合わせづらいのだ。青葉というへんてこなキツネの神様が来てくれたおかげで多少は賑やかな夜を過ごせたが、それでも失恋の傷が癒えているわけではない。
しかし。
俺はくるみとの関係に変化を望んでいるが、悪い方向に変化させるわけには行かない。
俺の大切な幼馴染、くるみがそう望んでいるのなら、俺もそれに従うとしよう。俺はそう決心して、玄関のドアを開いたのだった。
「おはようございます、ハル兄さん」
軒先にちょこんと佇んでいたのは、黒髪のショートカットで、気の強そうなつり目が特徴の、涼し気な白いセーラー服を着た小柄な女の子だった。
「こ、こはく……?」
彼女の名前は、猫塚こはく。
くるみの二つ年下の妹、つまりは俺と年は一つ違いになる。
思わぬ人物の来訪に俺が驚いている中、こはくは訝しげに俺のことをジッと見つめていた。
「今日は珍しく早起きなんですね。もうそろそろ家の中に突撃して叩き起こそうかと思っていた頃合いだったんですが」
「あぁいや、たまたまな。んで、どうしてこはくがここに?」
「お姉ちゃんに行けと言われたので来ました。お姉ちゃんは用事があるとかどうとかで」
なるほど。
寝坊しがちな俺をよく起こしに来てくれるのはいつもくるみだったのだが、昨日の一件があったからか流石に直接顔を合わせる気になれず、でも俺のことが心配だったから、くるみが気を利かせてこはくを俺の元へ送り、珍しくこはくが一人でやって来ることになったのだろう。
「朝食はもう済ませたんですか?」
「あぁ、もう食べた」
「なら早く支度を済ませてください。ここで問答していても時間の無駄ですので」
「わ、わかった。ちょっと待っててくれ」
ただ、俺はこはくと何となく仲が悪い、というか何となくこはくから嫌われているような気がする。こはくはくるみや友人と話している時は笑顔を見せることも多いのだが、彼女が元々つり目なのもあって、俺と話す時は常に不機嫌なように見えるのだ。なんとなく語気も強いし。
だからこはくの機嫌を余計に損ねないよう、俺は慌てて学校へ行く支度を済ませようと後ろを振り返ったのだが──俺の背後には、俺のジャージを着た長い黒髪の女がニコニコと微笑んで佇んでいて、ひょこっと顔を出してこはくに挨拶したのだった。
「あら、おはようございます。とても可愛らしいお方ですね♪」
……この気まぐれ神様がよ!
「え、あ、お、おはようございます……?」
本来俺の家にいるはずのない女が現れて、こはくも思わずたじろいでしまっていた。
いや、隠れとけって言ったのになんでコイツは出てきたんだ!?
俺は青葉の首根っこを掴んで、慌ててリビングへと引っ張ってこはくに隠れて問い詰める。
「お前何で出てきたんだ!? 隠れとけって言ったよな!? お前が出てくると話がややこしくなるんだよ!」
「そうですね。確かにハルさんは、私に絶対に出てくるなとおっしゃいました。えぇ、確かに私はそう拝命しましたよ。神様に誓って確かな事実です。あ、そもそも私が神様でしたね、じゃあ私に誓って拝命したことは確かなことです。絶対に出てくるな、と。しかしそれはつまり、絶対に出てこいという意味の前フリなのではないですか?」
「畜生! 人のセリフを拡大解釈しやがって!」
青葉が重んじている日本の伝統芸能とやらは、あくまでバラエティの世界での話のはずなんだ。そんな屁理屈がまかり通ってたまるか。
しかし一度起きてしまったことをいつまでも問い詰めたって仕方がないので、俺はひとまず自分の部屋に戻って鞄を取り、そして玄関へ戻ると、青葉が性懲りもなくこはくとコミュニケーションをとっていた。
「私は狐島青葉と申します。ハルさんとは遠い親戚でして、訳あってこちらでお世話になることになりました。貴方のお名前は?」
「わ、私は猫塚こはく、です。えっと、ここに住んでるんですか?」
「はい。昨日から」
「は、はぁ……」
良かった、青葉が俺の妻っていう風に自己紹介しなくて。こはくにそういう冗談は通じないのだと、神様なりの直感で気づいてくれたのかもしれない。
こはくも俺の事情を知っているから、この家に見知らぬ女の子がいたことには驚いていたようだが、遠い親戚という点は腑に落ちたのだろう。
「待たせてごめんな、こはく。じゃあ青葉、大人しくお留守番しとけよ」
「はいっ。お・と・な・し・く、お留守番しときますね」
「余計なことするなよ、絶対だぞ」
「は~い」
……青葉は本当にわかってくれたのだろうか。若干の不安を抱きながら、俺はこはくと一緒に登校することとなった。
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