第1話 振られた男
俺、狐島葉瑠には、猫塚くるみという、一つ年上の幼馴染がいた。
親同士が中高の同級生という間柄で、俺達は学校や公園、お互いの家でも、子供の頃からよく一緒に遊ぶ仲だった。
「ハールくん! ほら、こっちこっち~」
「ま、まって~」
俺の記憶にある、小さい頃のくるみは、とにかく走り回ってばかりの落ち着きのない子どもで、おっちょこちょいな俺を振り回すのが好きだった。
「はーい、また私がいっちば~ん」
「くそぉー」
「いつになったら私のこと抜けるのかな~」
「いつか勝ってやるんだから……」
何度もかけっこ勝負をしたが、あの頃の俺はくるみに一度も勝てなかった。いつもくるみは先頭に立って、俺のことを引っ張ってくれていた。
「私、また身長のびた~」
「良いなぁ、そんなに背が高くて」
でも、兄弟姉妹のいない一人っ子の俺にとって、お姉さん的存在だったくるみは、いつも優しくて、面白くて、両親が死んでしまった俺をいつも元気づけてくれた人だった。
「あ、ハル君。そこのスペル間違ってるよ」
「ホントだ。hじゃなくてtかここ」
「も~ハル君ったらエッチなんだから~」
「そういうことじゃねーだろ!?」
先に中学に入って忙しくなっても、くるみは俺に勉強を教えてくれたり、息抜きにゲームで遊んでくれたりもした。その頃までは、まだなんともなかったはずだったのに。
「あれ? もしかして私、身長抜かされちゃった?」
「俺、やっと成長期だから」
でも中学に入ってからは、俺達の関係に変化が生じた。
それまでお互いに全く気にしていなかった、『男』と『女』という性での区別を、俺達が意識していなくても、周囲からの冷やかしや思春期という精神的なゆらめきと成長の時期が、年齢と性別が違うだけの幼馴染という関係を、先輩後輩というありきたりな関係へと作り変えていった。
「ハル君、受験頑張るんだよ! ファイト!」
「あぁ、行ってくるよ。満点取ってくるから」
「私はハル君が帰ってくるまで勝利の舞を踊っとくから。いよおぉっ!」
「恥ずかしいからやめてくれ」
そして変化を強いられたのは俺達の関係だけではなく、俺達自身もそうだった。
大人の階段を少しずつでも登っていくうちに、俺がくるみに抱く感情にも変化が生じていて、俺もその感情に嘘をつけなくなってしまって、何か夢があるわけでもないのに、くるみが進学したレベルの高い高校に、猛勉強して合格して……結果が出たあの時は、人生で一番大きなガッツポーズで歓喜したのだった。
「ねぇハル君、美術部入らない? 女の子ばっかりだから楽しいと思うよ?」
「いや、俺はあまり絵とか描けないから」
いつの頃からか、俺はくるみに特別な感情を抱くようになっていた。
くるみは俺が受験に合格した時に豪華なご馳走を用意してくれるぐらい喜んでくれたし、俺といる時のくるみの笑顔が、俺だけに向けられているような気がしたから、くるみが俺のことを特別だと思ってくれているような気がしたから、俺達の関係を、ただの幼馴染という関係に終わらせたくなかった。
「なぁ、猫塚先輩よ」
「猫塚先輩なんて知らな~い」
「くるみ」
「どったのー?」
「今度、くるみの誕生日だろ。ちょっと出かけようぜ」
俺は、くるみとの関係を変えたかったのだ。
そして今日──まだまだセミの鳴き声がけたたましい、夏の終わりが遠い先のような暑さの、八月末のこと。
くるみが十八歳を迎えた誕生日に、俺はくるみに告白した。
「俺、くるみのことが好きなんだ」
誕生日だということで、受験前の夏休みに勉強してばかりのくるみの気晴らしのために遊園地に誘って、最近は疲弊しきっていた様子のくるみが楽しそうにしている様子を久々に見ることが出来た。
そして遊園地からの帰り、昔よく一緒に遊んだ公園に休憩がてら立ち寄って、そこで俺はくるみに告白したのだ。
「俺と付き合ってください、くるみ」
夏休みが始まる前から、俺はくるみへの告白を計画していて、どんな場所にしようか、どうすればロマンチックな雰囲気が出せるのか、どんな言葉にしようか、一ヶ月以上も悩んで、もし断られたらどうしようだとか、俺達の関係はどうなってしまうのだろうかと、そんな未来のことを考えることが怖くてしょうがなかったが、勇気を振り絞って言葉を紡いだ俺は、どんな結果が待ち受けていても、きっと後悔することはないだろうと、そう思っていた。
「ごめん、ハル君」
しかし。
残酷な現実というものを目の前に突きつけられると、覚悟というものは簡単に崩壊してしまう。
「その、ね。私、ハル君のことは、可愛い弟みたいな感じに思ってるから」
俺の正面に立つくるみは俺と目を合わせようとせず、うつむきがちに話し続ける。
「嫌ってわけじゃないけど、ハル君とはそういう感じになれない気がしちゃって……」
夏風になびいた黒髪をかきあげながら、くるみは俺が傷つかないように慎重に言葉を紡いでいるようだったが、俺の耳に彼女の言葉なんて入ってきやしない。
こんな未来も想像していなかった訳ではないが、今となっては、あの時の俺の勇気が恨めしく思えてくる。
そんな俺の心情が顔や雰囲気に出てしまっていたのだろうか、くるみは慌てた様子で口を開く。
「で、でもさ、これで終わりってわけじゃないんだし……ね? 今まで通りいようよ、幼馴染としてさ、ね?」
「……いや、俺の方こそごめん。受験の年に、こんな変なこと言っちゃって」
「ううん。ほら、そんなクヨクヨしないで、ハル君らしくないよ?」
「あ、あぁ……ごめん」
くるみはいつものように落ち込んだ俺を励ましてくれようとしてくれているけれど、その言葉は、その慈愛に満ち溢れた瞳は、好きな異性ではなく、きっと弟のような存在に向けられるものだったのだろう。
狐島葉瑠、十七歳の夏。
俺の冷え込んだ感情とは裏腹に、まだ終わりを告げようとしない熱い真夏の、特別になるはずだったある日のこと。
俺の恋に、終わりが告げられようとしていた。
お読みくださってありがとうございますm(_ _)m
評価・ブクマ・感想などいただけると、とても嬉しいです




