番外編 ようこそ、こちら側のねこやへ
雨が上がった夜、静かな「ねこや」にひとりで立つ奏。
手には、大切なものたち。
それらはただの“もの”ではなく、
まだ言葉にできない想いの先へと、彼女を導いていくものでした。
“扉”が開くとき、誰かが待っている。
そんな予感を胸に、奏は、そっと歩きはじめます。
雨上がりの夜だった。
静まり返った「ねこや」の店内を、奏はそっと歩いていた。
カウンターには灯りがともり、ランプの光がゆらゆらと揺れている。けれど誰の姿もない。まるで、世界から音だけが抜け落ちたようだった。
手には、旅立った人から譲られた手帳。
その中に挟まれていた金色の鍵型のしおり。
そして、創からもらった白い猫のぬいぐるみのお守り。
どれも、いま自分がここにいる理由を語っている気がしていた。
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バックオフィスの奥。普段なら立ち入ることのないその先に、小さな木の扉がある。
鍵がかかっていて、スタッフでもめったに入ることのない、秘密の場所。
でも今夜は、なぜか——
「……開いてる」
小さく開いたその扉を前に、奏は立ち止まる。
引き寄せられるように、手を伸ばしかけたとき。
「ようやく来たにゃ」
ふわりと、クロエが足元に現れた。しっぽを優雅に揺らしながら、まるでそれが当然だったかのように言う。
「それ、持ってるってことは……入る準備ができたってことにゃね」
「……これ?」
奏はしおりを見つめる。金色の小さな鍵の形をしたそれは、確かにただの栞にしては重みがあった。
「君の中に、鍵穴ができた証拠にゃ」
クロエはそう言って、まるで「行っておいで」とでも言うように、軽く背中を押した。
⸻
扉の向こうは、「ねこや」によく似ていた。
けれど空気が違う。音が違う。
時間が止まっているような、不思議な世界。
カウンターの奥に、誰かの気配がある。
「来たね」
静かに立っていたのは、梨沙だった。
見覚えのある、人。
奏が初めて見たときの梨沙よりも少し大人びて、でもどこか柔らかい空気を纏っている。
「……?」
「わたしは梨沙よ。雪さんから、あなたの話は聞いてたわ」
彼女はカップを差し出しながら、微笑んだ。
「ようこそ、“こちら側のねこや”へ」
⸻
ふたりの間に、深い静けさが流れる。
紅茶の香りだけが、記憶の中の時間を撫でていく。
「ここは……何なんですか?」
「あなたの“内側”みたいなものよ。まだ開きかけの扉の中。
だけど、あなただけじゃない。わたしも、ここで立ち止まったことがあるの」
奏は手帳を開いた。しおりがはらりと落ちかけて、ページの下から、小さな「鍵穴」のような印が浮かび上がる。
「……これ、いつのまに?」
「それが見えるようになったってことは、もう迷ってないってこと」
梨沙はスコーンを皿に置きながら、静かに言った。
「わたしの扉が開いたとき、そこに雪さんがいた。……だから今度は、わたしが、あなたの“扉の先”を照らす番かもしれないね」
—
「その鍵、どの扉にも合うにゃよ」
クロエがテーブルの上から囁いた。
「でも、“開けるかどうか”は、奏次第にゃ」
—
そのとき、ゆるやかな風が店内を包み、ふっと灯りが揺れた。
次の瞬間、奏ははっと目を覚ました。
—
そこは、いつもの「ねこや」。
手には、あの手帳。
そのページに——あの鍵しおりと、小さな鍵穴の印が、確かにあった。
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本日のメニュー(記憶のねこやver.)
•記憶のティーセット(紅茶とレモンピール入りスコーン)
•迎える人のためのスコーン
•しずかな鍵のケーキ(鍵型チャームをあしらったミニケーキ)




