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ねこや、放課後。  作者:
第三章 鍵を手にしたその先
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第26話 小さな旅のおみやげ

選ぶことに勇気がいるように、戻ることにも覚悟がいる。

そんな姿を見た奏が、少しずつ何かを受け継ぎはじめます。

その日、午後の紅茶の香りがふわりと立ちのぼった頃だった。


店内には、奏とミルキーだけ。

カウンターで湯気のたつティーカップを拭いていた雪は、ふと何かを思い出すように、言った。


「今日、ひさしぶりにあの子が顔を見せてくれるって。」


「……“あの子”って?」


「ほら、奏が“まだお客様側”だった頃、よくここに来てた子よ。ほら、カフェの隅で、ずっと手帳を開いてた」


言われて思い出した。

何度か見かけたことがある。

静かで、目立たないけど、たしかにそこにいた先輩。


いつの間にか来なくなって、それっきりだった。


 


その日の午後、扉がそっと開いた。


猫の鈴が、やさしい音を立てる。


入ってきたのは、春の光をまとうような雰囲気の女性だった。


「あ……」


思わず声が出そうになるのを、奏はこらえた。

懐かしいのは、たぶん香りだ。

あの頃、あの席で、静かに紅茶を飲んでいた先輩。


「いらっしゃいませ」


いつのまにか、そんなふうに言う自分がいた。


「あれ……あなた、あの頃もいたよね?バイトしてるの?」


「はい。……あの頃、素敵な方だなって、実はよく、見てました」


「あら、なんだか照れるわね。……わたしも、よくここを“見てた”の。見守ってもらってたのかもしれないな」


笑った表情が、あの頃より少しだけ大人びて見えた。


「ここのお茶、恋しかったんだ。そうだ、あのね、いろんなところに旅をしてみたんだけど、素敵な物たちに出会って手に入れたらもう鞄いっぱいで、ひとつお土産にもらってくれない?」


そう言って、先輩はバッグから包みをいくつも取り出した。


いろんな手帳。手帳というか、薄いノートのようなメモ帳がたくさん。



その中で淡い水色の布に包まれた、小さな革の手帳に目を奪われた。


「あぁ、それ?それね、お土産じゃなくて、ずっと旅先で使ってたやつ。……あの頃、ここで未来のことばかり考えてたから、今度は、ここに“今までのこと”を置いていこうと思って」


 


手帳には、書きかけの言葉が綴られていた。


「迷った日も、立ち止まった日も、全部、ここから始まった気がしてる」


奏はその言葉に、なぜか胸がつまった。


 


「進路って、どうやって決めたんですか?」


ふと口からこぼれた問いに、先輩は少し考えてから、言った。


「きっと、どこかで“決めてた”んだと思う。気づかないふりしてただけで。ちゃんと選ぶって、決めるって、勇気がいるから。……これ、いる?使い古しだけど」


先輩はその手帳をわたしに差し出した。


「え……でも、それって先輩にとって大事な……」


「大事なことは、もう心のなかにしっかり刻まれてる。何となくあなたに渡した方がいいと思ったの。あなたのこれからの鍵になることがもしかしたら、あるかもしれない」


 


先輩が帰ったあと、雪がふと呟いた。


「ねえ奏ちゃん。人ってね、“進むこと”もすごいことだけど、“戻ってこられる”って、もっとすごいことよ」


「……わたしも、ここに戻れるかな」


「戻る場所は、心の中にあるわ。ちゃんと持ってさえいれば」


 


その日の閉店後、先輩が残していった手帳をそっと開いた。


白いページの片隅に、小さくこう書かれていた。


「わたしの扉は、ひとつだけじゃなかった。

ひとつを開けたあとで、もうひとつの鍵を手に入れた気がする。

それは、“戻るための鍵”。

いつかまた、ここに還ってきたわたしを、どうか笑って迎えてください」


奏は、そのページを見つめたまま、しばらく動けなかった。


 


ミルキーがそっと寄り添い、白いしっぽで手帳の端を撫でた。


「戻るって、ちょっとだけ勇気いるよね」


「うん……でも、ここは、そういう場所なのかもしれない」


奏は、閉じた手帳を胸に抱いた。


 


それはきっと、未来を開く“鍵”であり、

かつての自分に、そっと手を伸ばすための――


小さな旅のおみやげだった。



本日のメニュー

・旅人のカモミールティー

・はちみつレモンの焼き菓子


「旅立つ人」もいれば、「還ってくる人」もいる。

そのどちらも、奏の“今”を映す大切なヒントになるように――。

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