第25話 ずっとここにいたら、ダメかな?
進路面談の季節。
「これから」を決めることに、どこか追い立てられるような焦りを感じる日々。
選ぶことは、同時に「選ばないこと」と向き合うこと。
そんな葛藤の中にいる奏と、“見守る側”である雪との静かな対話を描きます。
午後の教室。窓の外には雲が流れていて、日差しはどこかへ行ってしまったようだった。
奏は、面談票を両手でにぎったまま席に戻る。担任に言われたのは、ごく普通のことだった。
「文系の私立を中心に考えるのが妥当だな?…休みが多いから指定校は厳しいが、公募推薦はギリありかもな。家で一度話しておけよ」
頷きながら、奏の心は少しだけ遠くにいた。
帰り道。制服のポケットには、小さく折りたたんだ面談票。
駅のホームで一度立ち止まり、改札を抜けずにそのまま歩き出す。今日はまっすぐ家に帰らなくていい。…そんな気がした。
***
「おかえり、奏ちゃん」
ガラン、と小さな鈴の音とともに迎えてくれたのは、雪だった。
いつもより少し遅い時間の「ねこや」。外の空気はまだ冬の名残を残しているけれど、店の中はほんのり紅茶の香りがした。
「面談、うまくいかなかったの?」
「……まあ、ふつうかな」
そう言いながら、奏はいつもの席ではなく、カウンターに腰を下ろす。カップとポットがふたつ、並んで置かれる。
「カモミールとレモンバーム。落ち着きたいときは、これがおすすめ」
「……雪さん、進路って悩んだ?」
「悩んだわよ。何度も何度も」
紅茶を注ぐ手は変わらず丁寧だ。雪は少し笑ってから言った。
「ただ……そのときに“選ばなかった道”が、いつまでも心のどこかに残ってるわ」
「選ばなかった道……」
「うん。だからきっと今も、別の自分が、どこかで生きているんじゃないかなって、思ってしまうのよ」
その言葉に、奏は思わずポケットを押さえる。中には、学校でもらった進路の冊子。それは厚みのある、けれどどれも“今っぽくて”“正解らしく見える”選択肢たち。
「……わたし、なんか最近、怖くて」
「何が?」
「“選んでいかなくちゃ”って言われる。でも、選んだ瞬間に、それ以外の全部を捨てることになるのかと思うと、怖くなる」
「捨てる、というよりも、“抱えきれない”のかもね」
雪はゆっくりとスプーンでカップを回す。ハーブの香りがまた少し広がった。
「誰だって、すべてを持って生きてはいけないもの。だから、選ぶの」
「じゃあ、ずっとここにいたら、ダメかな?」
奏の声は静かだった。
でも、その静けさの奥に、小さな涙のような色がにじんでいた。
雪は少しだけ驚いたように目を見開いた。そして、ぽつりとつぶやく。
「……あっちの“わたし”だったら、きっと何か手を出してしまうわね」
「……え?」
「あなたのために何かを決めてあげるとか、勇気をくれる言葉を探すとか。抱きしめるとか。そういうこと」
「ここでは、しないの?」
「ええ。ここでは、見守っていたいの」
そう言って、雪はそっと笑った。
「自分で決めて、自分で進んでいくことが、どれだけ尊いか知ってるから」
奏は俯いて、あたたかな紅茶に両手を添えた。
そのあたたかさが、胸の奥のもやもやを少しだけ溶かしていくような気がした。
「ここって、やさしいよね」
「そう見えるのなら、うれしいけれど……」
雪は、静かに続ける。
「ほんとうは、“やさしくあろう”としているだけかもしれない。
みんな、傷ついてきたから。
次は傷つけないようにって、祈るみたいにこの空間を守ってるの」
「……じゃあ、わたしも、誰かをやさしくできるかな?」
その問いに、答えはなかった。
けれど、紅茶の湯気がふわりと揺れた。
それはまるで、「きっとね」と言っているようだった。
***
帰り道、奏はふとポケットに手を入れた。
そこには、小さな白いキーホルダー。
ぬいぐるみのような猫の形をしたそれを、ゆっくり握る。
“自分で選ぶ”。
そう、決めること。
選ぶことで失うものも、確かにあるかもしれない。けれど、選んだからこそ出会えるものもある。
そう信じてみても、いいかもしれない。
見上げた空には、あの日と同じ雲のかたち。
でも、今日は少しだけ、違う道を通って帰ろうと思った。
今日のメニュー
「揺らぐ日に、カモミールとレモンバウム」
ふわりと香るカモミールのやさしさに、レモンバウムのほのかな柑橘がそっと寄り添う
「ずっとここにいたら、ダメかな?」
そうつぶやいた奏に、雪は「何かを与える」のではなく、そっと寄り添うだけ。
やさしい場所である「ねこや」は、だからこそ、誰かの“選ぶ力”を信じています。
選ばなかった世界があっても、今ここにある自分の選択に、ほんの少し光が差しますように。




