第21話 扉のむこう、まだこわい
扉を開けるのが怖いときがあります。
それは新しい場所だったり、新しい人との出会いだったり、
あるいは、ただ外に出ることすらも。
第21話では、そんな“最初の一歩”の物語を描きました。
「ねこや」の扉の音が、少しだけ優しく背中を押してくれることを願って。
少年の家。
夢。——カラン、と扉の音がした。
それは、心の奥に少しだけ波紋を広げる音だった。
朝の空気はまだ冷たく、家のなかも静かだ。
陽の差し込むダイニングテーブルの上には、
焼きたてのトーストが一枚と、あたたかいポタージュが置かれていた。
「……食べて行ってね」
優しい声をかけてくれたのは母だった。
けれど、少年は何も言わずに椅子に座り、スプーンを手に取った。
——今日も、学校には行かない。
胸の奥に、ずっと引っかかっている言葉があった。
「おまえのためを思って言ってるんだ」
先生の口癖。父の口癖。どちらも、同じに聞こえてくる。
厳しく、正しく、でもどうしても怖い言葉。
わかってほしいなんて、思っていない。
でも、せめて「こわい」と言っても、否定しないでほしかった。
少年はスープを一口すすり、静かに席を立った。
学校には行けない。でも、今日はちょっとだけ外に出てみようと思った。
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その日、「ねこや」はまだ静かな午前の光に包まれていた。
カラン。
また、扉の音がした。
「……いらっしゃい」
ドアの近くにいた奏が、そっと声をかける。
扉の向こうにいたのは、少し背中を丸めた少年だった。震えた子猫のような。
「……あの、ここって……」
「だいじょうぶだよ。入ってみる?」
奏はにこっと笑った。
少年は一瞬ためらったけれど、やがてゆっくりと一歩を踏み出した。
⸻
店内は、あたたかい光と木の匂いが漂っていた。
窓辺には猫たちが丸くなり、奥のカウンターからはスープの香りがした。
「ここ、変な店だけど、いいとこだよ」と奏が言った。
「変……?」
「うん、たとえば……猫がしゃべるとかね」
そのとき、棚の上から黒猫がちらりとこちらを見て、「にゃ」と鳴いた。
少年の目が、わずかに丸くなる。
「すわって待ってて。焼きたてのトースト、すぐ出るよ」
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焼きたてのパンが香ばしく、スープは朝より少しだけやさしい味がした。
「……おいしい」
ぽつりと漏れたその言葉に、奏は静かにうなずいた。
「ゆっくりでいいよ」
少年は返事をしなかったけれど、心のなかで何かがほんの少しだけ溶けた気がした。
カラン。
店の扉が、また音を立てた。
——この音は、もしかしたら「ようこそ」って言ってるのかもしれない。
少年はもう一口、スープを飲んだ。
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本日のメニュー
・焼きたてのトースト
・あたたかいポタージュ(にんじんとじゃがいも)
・ほんのり甘いバターシュガーつき
あなたのためを思って”という言葉が、
ときに人を遠ざけてしまうこともあります。
この物語の少年にとって、
「ねこや」での一杯のスープは、
無理に変わろうとしなくても、
そのままでいていいと思える、あたたかな始まりになったのかもしれません。
——扉の音が、少しだけ違って聞こえたその瞬間を、
きっと彼は忘れないでしょう。




