第18話 秘密をかくして笑う君へ
今日も、ねこやには優しい笑顔の来店者がやってきた。
でもその笑顔の奥に、ふとした“違和感”がある。
奏は少しずつ寄り添いながら、その“秘密”に気づいていく。
笑顔で隠した嘘の正体。それは、誰にも言えなかった「ほんとうの気持ち」。
放課後の空は、少しだけ春めいていた。
制服のリボンを緩めながら、私は坂道をくだっていく。
「今日はちょっとだけ、疲れてる子が来そうな気がする」
理由なんてない。ただ、なんとなくそう思った。
カラン……。
ねこやのドアベルが鳴る。ふわりと広がるのは、ハーブとオレンジの香り。
どこか、ほっとする匂い。だけど今日は、少しだけ強く感じる。
「今日は、香りが強い日ね」
カウンターの中で雪さんが言った。
「隠れたものほど、香りが立つのよ」
それが、何かの前触れのように思えた。
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「こんにちはー!」
明るい声が、店の空気を弾ませる。入ってきたのは、高校生の男の子。
制服の胸元に「2-B」と小さく書かれた名札。
「いらっしゃいませ」
私は自然に笑顔を返したけど、ふと、違和感に気づいた。
——声が少し、大きすぎる。笑顔の角度が、ほんの少しだけ不自然。
「お好きな席へどうぞ」
「ありがとう! あ、ここいいかな?」
元気なふり。明るさで塗りつぶすような言葉。
私はメニューを渡しながら、静かに観察を続ける。
「今日は、何かおすすめある?」
「そうですね……ちょっとだけ、ほぐれるようなもの、どうですか?」
彼はきょとんとした顔をしたあと、「じゃあそれで!」と笑った。
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席に戻って、雪さんが差し出したトレイを受け取る。
「今日のティーは、ホットシトラス。嘘を溶かす、っていう意味もあるのよ」
「サブレは?」
「ハーブとオレンジ。少し苦味があって、あとから甘くなる」
そして彼女は、ほんの少し声を落として言った。
「笑っているときほど、心は泣いてることもあるのよ。だからこそ、笑顔の子には、ほんの少しだけ“苦味”があってもいいお菓子を」
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テーブルにそっと置いたお茶とサブレ。彼は「あったかそう」と笑った。
「これ、いい匂い。……なんか落ち着く」
「シトラスって、緊張をほどいてくれるんですよ」
少しずつ、話題がほどけていく。学校のこと、友達のこと、ちょっとした愚痴。
「なんかさ、俺、調子乗ってるとか言われることあるんだよね」
「そんなつもりないのに。みんな楽しい方がいいじゃんって思ってるだけなのに」
私はただ、黙って聞いていた。彼の笑顔の裏にある、小さなゆらぎに耳を澄ませる。
“笑顔でいることが、自分の役割だと思ってる人がいる。だけどその笑顔が、一番疲れてるときもある”
クロエがじっと彼を見上げて——言った。
「“いい子の笑顔”って、にんげんが一番よく使う仮面にゃ」
少年が一瞬動きを止めた。けれど、そのあと小さく笑って頭を下げた。
雪さんがクロエの横で、静かに続けた。
「……でもね。仮面を外せる場所が、ひとつでもあるなら、少しずつ息ができるようになるのよ」
彼がつぶやいた。
「……俺さ、本当は、ちょっとしんどいんだよね」
「いい人って言われたくて頑張ってるだけなのに、うざいとか、嘘っぽいとか言われてさ」
「でも、しんどいなんて言えないじゃん。……甘えてるって思われそうで」
私は静かに言葉を探した。
「ずっと笑ってる人にこそ、本当は誰かがそばにいてくれたらいいのにって、私は思う」
彼は、目を伏せて黙った。サブレをひとくち、かじった。
「……言ってもいいのかな、そういうの」
「うん。誰かに伝えることで、ちょっとだけ軽くなることもあるから」
彼は、ふっと小さく笑った。今度は、さっきより自然な笑顔だった。
「“ほんとのこと”、言っても、笑ってくれる人もいるかもしれないな」
「うん。私も、そう思う」
「……ありがとう。また来るよ。今度は、ちょっとだけ素で」
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店を閉める時間。私はカウンターで片づけをしていた。
ポケットの中の鍵。
ふと触れると、あたたかい気がした。
雪さんが言う。
「“鍵”って、ひとつだけじゃないのよね」
クロエが、くるりと尾をふった。
「そうにゃ。ひとつ扉が開くと、ほかの扉も……呼び合うにゃ」
私は、ほんの少しだけ笑った。
この場所にいると、不思議と胸がゆるむ。
——扉が、よんでいる気がした。
本日のメニュー:
•ホットシトラスティー
ふんわり香るオレンジとレモングラスのブレンド。
心の仮面をやさしくゆるめる、あたたかな一杯。
•ハーブ&オレンジのサブレ
ほろ苦さのあとに広がる、やさしい甘み。
“笑顔の裏”を知っている君にこそ、届けたい焼き菓子です。
「笑ってるから大丈夫」は、ほんとうに大丈夫、なのかな?
誰かに心配されたくないときほど、私たちは笑顔の仮面を被るのかもしれません。
今回の来店者の男の子は、そんな“いい子”でいることに、少しだけ疲れていたのだと思います。
でも、ちょっとした会話とお茶の時間が、その仮面をそっとほどくきっかけになれたら。
——そう願って、「ねこや」は今日も、扉を開いています。
では、また放課後に。




