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ねこや、放課後。  作者:
第二章 鍵のある場所
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第17話 なくした時間にさよなら

時が止まっていたと感じることは、ありませんか?

心だけが、ある出来事の前に置き去りにされてしまったような——。


今回は、「動けなくなってしまった時間」を抱える高校生が来店します。

奏との静かな対話のなかで、止まっていた何かが、ほんの少し動き出す。


あなただけの“再生のリズム”も、きっと、どこかにあるのかもしれません。

最近、空の色が少しずつ変わってきた気がする。

春が終わりかけて、夏がまだ手前。

制服の袖を折って帰る坂道、私はなんとなく空を見上げた。


時計の針はいつも通り。

でも、感覚は少しだけ違った。

なぜか、ふとした瞬間に——世界がすこし、ずれて感じる。


ねこやへ向かう道。

夕方の風が頬に触れて、少し肌寒く感じる。

でも、あの扉を開けた瞬間のあたたかさが、私は好きだ。


「ただいま……」


小さな声でつぶやきながら、扉を押すと——

ほんのりと、焚き火の残り香のような、乾いた木のにおいがした。


「……ん?」


香ばしさに混じる、微かな煙の匂い。

店の奥、カウンターには雪さんがいて、何か書き物をしている。


「雪さん……焚き火のにおい……?」


私がそう尋ねると、雪さんは顔を上げ、少しだけ微笑んだ。

でも——何も言わなかった。


その瞳の奥に、ゆらりと揺れる影。

まるで、遠い火を見ているような眼差しだった。


そのとき、扉のベルが鳴った。


「こんにちは……」


入ってきたのは、同じ制服の高校生。

男の子。少し猫背で、髪が長め。

でもなにより——その目の焦点が、どこか定まっていなかった。


「いらっしゃいませ」

雪さんの声に、彼は少し肩をすくめたように見えた。


私は無意識に立ち上がり、彼の近くへと歩み寄る。


「……よかったら、こっちどうぞ」


ためらいがちに、彼は頷いた。



ふたりで席についたあとも、彼はずっと黙っていた。

メニューにも目を通さず、ただ、手元をじっと見つめていた。


「えっと……ねこや、はじめて?」


「……うん」


声は思っていたよりも柔らかかった。


「今日は、どこかの帰り?」


「……いや。……なんとなく、歩いてたら、たまたま、って感じで」


それ以上、問い詰めるようなことはしたくなくて、私は「そうなんだ」と笑った。


「ここのメニュー、ちょっと不思議でしょ」


彼は小さく頷いた。


「じゃあ……“旅人の記憶のミルクティー”、にしようかな。」


「美味しいよ。甘くて、でも、塩キャラメルのしょっぱさがいいかんじ」


私は手をあげて、雪さんにそっと伝える。

雪さんは微笑んで、小さく頷いた。


ミルクティーを待つ間、ふたりで静かな時間が流れた。


——でも、沈黙は、思ったより居心地が悪くなかった。


彼がぽつりと口を開いたのは、ミルクティーの湯気が立ち上がるころだった。


「……中学のとき、ずっと休んでたんだ」


私はそっと、カップを持つ手を止める。


「病気だった。入院もして、家からも出られなくて……。その間に、いろんなことが“進んでた”みたいで」


彼は指先で、カップの縁をなぞるようにしながら続けた。


「戻ったらさ、友達は話題が変わってて、授業も、先生も、空気も……。ぜんぶ、ぜんぶが、自分の知らないまま進んでた。俺だけ、時計が止まってたみたいで」


小さな声だった。


「……最近、また、その感じが戻ってきて。俺だけ、また止まってる気がして。みんな先に進んでて、俺だけ、また置いてかれてる」


私は何も言えなかった。

でも、言葉にできないなにかが、胸の奥でじわっと広がった。


雪さんが、ランプに火を灯しながら、ふいに言った。


「……火を囲んで話すと、少しだけ落ち着くわよ」


「……火?」


私が反応すると、雪さんは微笑んだ。


カウンターの奥で、オイルランプがぽっと揺れている。


彼が、そっとその光を見つめた。


「……止まった時間って、あたためてあげると、ちゃんと動き出すのよ」

雪さんの声は、優しく響いた。


「すこし、時計……進めてみてもいいんじゃない?」


彼はしばらく黙って、それから……ふっと、小さく笑った。


「……そっか。あたためる、か。何をするかはまだわかんないけど、ちょっとやってみようかな。……止まったままじゃ、いやだし」


私は微笑んだ。


「うん、それで十分だよ。ねえ……また、ここに来てくれたら嬉しいな」


彼は少しだけ目を丸くして、すぐにまた笑った。


「……うん。たぶん、また来る。今日は……ちょっと、救われた気がするから」


夜。

店の閉店準備をしながら、私はぼんやりと今日のことを思い返していた。


……雪さん、あのとき……“火を囲んで”って言ってたけど……もしかして……?


クロエが、足元でくるりと回る。


「にんげんの時間って、不思議にゃ」


雪さんは小さく頷いて、言った。


「ええ、でも——美しいのよ。」


私はふと、ポケットに入れていた小さな“鍵”に触れる。


ほんのりと、温かかった。


本日のメニュー


「旅人の記憶のミルクティー」

——ほんのり塩キャラメルを添えて。止まっていた時間に、そっと火を灯すような味。


最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

今話の来店者が感じていた“時間のずれ”や“取り残された感覚”は、意外と多くの人がどこかで覚えのあるものかもしれません。


「すこしだけ、時計を進めてみようか」

そんな雪の言葉に、背中を押された気がします。


次回はまた、別の悩みを抱えた誰かが扉を開くかもしれません。

焚き火の残り香のような、静かで温かい物語をお届けできたら嬉しいです。


それでは、また放課後にお会いしましょう。

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