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ねこや、放課後。  作者:
第二章 鍵のある場所
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鍵の章①「扉の向こう、光が差すとき」 (語り手:創)

鍵の章について


ねこやには、もうひとつの扉があるらしい。

けれど、それが誰にでも“見える”わけではない。


この「鍵の章」は、

ふとしたきっかけでその扉に触れてしまった者たちの——あちら側の物語。


ふだん私たちが見ているねこやとは、少しだけ違う。

時間がずれていたり、記憶が重なっていたり、

選ばれなかったはずの「もしも」が灯る場所。


どうか、ここでは耳を澄ましてお静かに。





あの夜、俺たちは「知ってしまった」。

こちら側と、あちら側。

ねこやには、どうやら世界が、ふたつある。


雪さんは、あの日も、何も言わなかった。

ただそこにいて、

クロエは、俺たちがようやく気づいたことに、満足そうに目を細めていた。


それだけのことなのに、

心の奥で、何かが静かに軋んだ。



焚き火の夜だった。


雨上がりの夜。

いつもの仕事終わりに、川崎さんとふたり、ねこやの裏庭で焚き火を囲んでいた。


言葉は少なかった。

炭のはぜる音と、コーヒーの湯気が、夜気の中に溶けていく。


「なあ、創」

「ん」

「……俺たち、どうしてここまでやってこれたんだろうな」


川崎さんがふいにこぼした声は、薪の音よりも小さかった。


俺は少しだけ目を細めて、焚き火を見つめた。


「たぶん、ここがあったから」

「ここ?」


「……雪さんが、いたからさ」


思い返せば、戦場だった。

日々、どこかで優しさを分けすぎていたのかもしれない。

気づかぬうちに、どこかが削れて、でもそれでも止まれなかった。

でも、——雪さんは、灯りを絶やさなかった。


あの灯りがあったから、俺たちは、続けられた。


——そのときだった。


「カラ……」と、焚き火とは違う音が混じった。

乾いた、木の戸のような、小さな音。


ふたりして顔を上げた。

店の裏手のレンガの壁。その中に……なかったはずの扉が、現れていた。


「……おい、あれって……」

川崎さんが低く息をのんだ。


古びた木の扉。取っ手は真鍮で、ほんの少しだけ開いていた。

向こうには、霧のような空気。そして、ほのかに灯るオレンジの光。


その前に、黒い尾をふるクロエが、もう座っていた。

まるでずっとそこにいたように。


「なんだ、これ……ずっと、あったか?」


それは、俺の問いというより、

自分への確認のようだった。


そのとき、扉の向こうから、ひとりの影が現れる。


白いシャツに、ロングコート。

髪を下ろし、薄暗い光の中に佇むその人は——雪さんだった。


彼女はゆっくりと歩いてきて、焚き火の灯りの中に立つ。

表情は読めなかった。でも、ほんの一瞬、微笑んだようにも見えた。


「開いたのね。思ったよりずっと早かったかしら」


「……知ってたのか、こんな扉があるって」


「ええ。でも、この扉を開くのは、“見えるようになった人”だけよ」


雪の声は静かで、でも不思議な響きを持っていた。

まるで、ずっと昔からそこにいた観測者のように。


川崎が、唇を引き結ぶ。


「……俺たちに、見えたってことか」


「そのようね」


クロエが、ふいに振り返って鳴いた。


「ふたりとも、も、ようやく見えたのにゃ。……ここからにゃ」


俺たちは無言で扉の向こうを見つめた。


そこには、うっすらとした店のような景色。

でも、ねこやとは違う。少しだけ、時間のズレた世界。


「……あれも、ねこや?」


「“あちら側”の、ね。あなたたちが選ばなかった方の、もう一つの扉」


雪さんの言葉に、ふと、胸がざわついた。


あの頃、もし違う決断をしていたら。

誰かと違う道を歩いていたら。


そんな「もしも」が、扉の向こうで光になって揺れていた。


「ようこそ、もうひとつのねこやへ」


その頃、別の場所。


夜。寝息を立てていた奏が、ふと目を覚ます。

夢の中で、誰かの声を聞いた気がした。


窓の外に、一瞬だけ、ランプのような灯りが揺れる。

そして、枕元に——銀色の小さな鍵が転がっていた。


「……夢、かな。でも、なんだろ。……知ってる気がする」


少女はそっとその鍵を手に取った。



再び、焚き火の前。


川崎さんが、ふうっと煙を吐くようにして言った。


「俺たち……これからも、あれが見えるのか?」


「さあ。でも、もう……気づいちまったしな」


俺はそう言って、焚き火に薪をくべた。


クロエが、尾をゆらして言う。


「ふたつの世界が、少しずつ動きはじめたにゃ」


灯りは、静かに揺れていた。


最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

鍵の章、ひとつめの物語はここまでです。


あちら側のねこやには、まだ誰の足跡もついていません。

でも、きっとこれからも——

ふとした拍子に、扉が“開いてしまう”ことがあるのでしょう。


もしもあなたが、いつか何かの気配を感じたなら。

それは、もう始まっているのかもしれません。


どうかそのときは、そっと鍵を——ポケットの中を、探してみてくださいね。

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