第12話 ねこや、放課後
ようこそ、“ねこや”のひとつの区切りへ。第1章ラストのこのお話では、奏が“受け入れられる側”から、“迎える側”へと一歩踏み出します。あたたかい飲み物と、不思議な猫たち、そして静かに微笑む大人たち。そんな時間の中で、ちいさな勇気が育っていく様子を、どうぞ味わってください。
白い猫のぬいぐるみキーホルダーを鞄につけてから、何日かが過ぎた。少しずつ、風向きは変わったようだが、ひとりでいることの居心地の良さも知ってしまったようだ。
学校からの帰り道、奏の足は自然と「ねこや」へ向いていた。夕暮れの商店街を抜け、小さな路地を曲がると、店の前にかけられたランプの明かりが、ほっとするような温度で迎えてくれる。
扉を開けると、カランと鈴の音。
「おかえり、奏ちゃん」
雪がカウンター越しに、あたたかく微笑んだ。
「ただいま……あのね、雪さん。
わたしにカフェオレの淹れ方を教えてほしいです」
「ふふ、それってつまり……」
「バイト、したい。ここで、ちゃんと“居る”側になってみたい」
雪は少しだけ目を細めてから、うん、と頷いた。
「じゃあ、エプロン、貸してあげる」
その一言で、店の空気が変わった気がした。カウンターの内側は、いつもと違う景色。雪の手元を真剣に見つめながら、ミルクの温度、コーヒーの香り、そしてスチームの音まで、全部が新鮮だった。
奥のテーブルでは、見慣れない子が小さく座っていた。制服姿の中学生だろうか。カバンをぎゅっと抱えて、目元がどこか不安げだ。
「いらっしゃいませ……」
震えそうな声。でも、その子は顔を上げて、奏を見て、ふっと笑った。
「……ミルクティー、ください」
「かしこまりました。猫型ビスケットも、おすすめです」
奏はドキドキしながら注文を取り、カウンターへ戻った。
「初めてのお客さん、ね」と雪が小さく言う。
「うん。わたしも、前はこんなふうだったのかも」
ミルクティーのあたたかい香りに包まれながら、奏は少しずつ自分の手に馴染む動きを感じ始めていた。カップを運び、優しく「どうぞ」と声をかけると、来店者の肩がふっとゆるんだ。
その様子を、店の隅で丸くなっていたミルキーが見ていた。いつのまにかテーブルに飛び乗り、その子の膝の上で丸くなる。
「……わあ。猫、苦手だったんだけど……なんか、安心する」
「ミルキーって不思議でね。ちゃんと必要な人のところに行くの」
「あの……ここって、なんていうお店?」
「ねこや。放課後の、居場所みたいなものかな」
来店者はしばらく考えるようにしてから、ぽつりと言った。
「わたし、今日……逃げてきたんだ」
奏は驚かなかった。ただ、座って、隣で黙っていた。
「今日、学校で……また、あの子たちに囲まれて。何も言えなくて、教室を出て、そのままここまで歩いてきた。どうやってたどり着いたのか、わからない」
「うん」
「本当は誰にも言いたくなかった。でも、誰かに見つけてほしかったのかも」
その声は、とても小さかったけれど、奏にはよく届いた。
「ねえ、また来てくれる?」
「……うん。次は、もうちょっと元気な顔で来たいな」
「じゃあ、次はわたしがソーダゼリーを作っておくね。今度のは、溶けないやつ」
「え? ゼリーなのに溶けないの?」
「うん、魔法みたいでしょ」
2人で、少しだけ笑った。
その夜、閉店後の「ねこや」は、静かな呼吸をしているようだった。猫たちもごはんを食べてそれぞれ満足気に過ごしている。
片づけを終えた奏が、ふとカウンターの奥にある小さなドアを見つめる。気になって、そっと扉を開けると、そこはバックオフィス。店の奥にある、スタッフしか入らない場所だった。
薄明かりのランプの下、棚の上に立てかけられた一枚の写真が目に入る。
「……これって」
写真には、雪と、この間のお守りをくれた人、そして見覚えのある女性スタッフと知らない人たちも、クロエやほかの猫たちと一緒に写っていた。でも背景のカフェは、どこか今と違う。インテリアも、雰囲気も、少しだけ異世界のようで――それでも確かに、「ねこや」だった。
そのとき、
「にゃっ」
クロエが足元をスルリとすり抜ける。
「あっ……」
写真の横にあった古びたアンティークの扉の前で、クロエは一瞬こちらを見てから、そのまま扉の向こうへ――消えた。
「え……?」
慌てて近づく奏。けれど扉には、小さな鍵穴のついた鍵がかかっている。どこか時間から切り離されたような雰囲気が漂っていた。
「ここ、なに?」
そっと扉に手を伸ばしかけた、その瞬間。
「奏ちゃん、ちょっと手伝ってくれる?」
雪の声が、店のほうから聞こえた。
「……うん、今行きます!」
振り返り、名残惜しさを感じながらも、奏はそっと扉から離れた。けれど心のどこかに、あの扉と写真の記憶が、しっかりと刻まれていた。
本日のメニュー
・はじめましてのミルクティー
・猫型ビスケット
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
「ねこや、放課後」第12話は、奏が“お客さん”から“スタッフ”へと一歩を踏み出すお話でした。
たくさんの出会いや、小さな涙、心の奥にしまっていた言葉たち。
それらを経て、奏はほんの少しだけ「誰かのために動いてみたい」と思えるようになったのかもしれません。
ラストで登場した“バックオフィス”の写真と、“小さな扉”は、この物語に隠された「ねこや」のもうひとつの顔、そしてこれから紐解かれる小さな謎の始まりです。
次の章では、少しずつ「ねこや」の奥にある秘密や、登場人物たちの交差する想いが描かれていきます。
奏もまた、自分の過去や願いと向き合うようになるかもしれません。
でも、それはまた、次の放課後に――。




