第11話 ここから卒業していいですか?
別れはさみしいけれど、背中を押したい。
この回は“送り出す側”になった奏の目線を通して、
“ねこや”が持つ、もうひとつの顔を描きました。
白い猫のぬいぐるみのキーホルダーが、制服の鞄で揺れている。
ふと風が吹いて、春のにおいがした。
今日、わたしは“見送る”側になる。
⸻
放課後の「ねこや」は、少しだけ特別な空気だった。
春は別れの季節。だからだろうか。
カラン、と扉の音がして、彼女が入ってきた。
「こんにちは。……おじゃましてもいい?」
「もちろん」
彼女は、春から大学生になる。
“ねこや”で最初に会ったときは、わたしと同じ制服を着ていた。
出会った頃、彼女は言葉少なで、カップを持つ手が震えていた。
⸻
「ねこや」に来た理由は、わたしと似ていたんだと思う。
誰にも話せない不安を抱えていて、帰りたくない場所があって、
ほんの少しだけ、誰かに寄りかかりたかった。
「わたしね、あの頃、本当に逃げるようにここに通ってたの。
居場所がないって、あんなに苦しいんだって初めて知った」
彼女の手には、あたたかい紅茶。
そして、小さなレモンケーキ。
「夢を追って、頑張っていたはずなのに、現実は全然違ってて……。怖かった。失敗したのかなって、自分が間違ってるのかなって」
声が震えた。
「それでも、“ねこや”に来ると、なにも聞かれないのに
“わたしはわたしでいい”って思える瞬間があって……それだけが救いだったの」
⸻
雪さんが、ふと厨房から顔をのぞかせた。
「ねこやにはね、秘密があるのよ。
ほんとうに必要な人にだけ、秘密の扉が開くのよ」
「秘密……?」
「それは来た人にしか、わからないのよ。
あなたもきっと、もうわかってるでしょ?」
彼女は、雪さんと目を合わせた。
ゆっくり、うなずく。
⸻
「わたし、ここから出発する。本気で夢を見たいから」
「不安じゃないの?」
「うん、まだ不安。だけど……
雪さんに言われたの。“送り出される側”も、“送り出す側”も、強くなるって」
彼女の目が潤んでいた。
「ここに、わたしを見つけてくれる誰かがいたってこと。
それだけで、次に行ける気がする」
⸻
カウンターにいたクロエが、ふと尻尾を揺らした。
「君にも、その扉、いつか開くにゃ……」
⸻
帰り際、彼女はカップを置き、わたしの方を見た。
「奏ちゃん。わたしね、あのとき言えなかったけど……
あなたが、最初に“おかえり”って言ってくれた。あれ、本当に嬉しかったの」
「……わたしも、あなたがいてくれて嬉しかった」
彼女の笑顔が、少し大人に見えた。
⸻
「じゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい。またいつでも、ここで待ってるよ」
雪さんは、彼女に何かを渡したようだ。なにかは分からなかったけど、いつか、それを受け取る日が来るかもしれない。
⸻
店の扉が閉まったあと、ふと雪さんが言った。
「“ねこや”は、いろんな旅立ちを見送ってきた。
でも、不思議と、帰ってくる場所にもなれるのよ」
その言葉が、心に沁みた。
⸻
翌朝。
わたしは制服に袖を通し、鞄に目をやった。
そこには、あの白い猫のキーホルダーが揺れていた。
今日も、ちゃんと前を向いて歩けそうな気がする。
本日のメニュー
・旅立ちの紅茶
・あたたかいレモンケーキ
扉は、気づいたときには目の前にあるのかもしれません。
「ねこや」は、そんな扉をそっと開けてくれる場所。
次の誰かが、その扉に出会えますように。




