番外編3 白いお守り
今回は『ねこや、放課後。』のちょっとだけ特別な番外編です。
主人公・奏が、まだ自分の中の“芯”を探している途中で出会ったある大人。
それは多くを語らないけれど、どこか優しさと強さを持った人でした。
ひとつの言葉、ひとつの贈りもの。
それが、誰かの“居場所”になるかもしれない。
そんな静かな時間を、感じてもらえたらうれしいです。
扉を開けると、ほのかにシナモンの香りとコーヒーの香ばしさが混じった空気がふわりと包んでくる。
放課後の「ねこや」は、いつもと変わらず静かで、優しい。
カウンターには、見慣れない人がいた。
黒いシャツ、ノートPCを開きながらコーヒーを飲んでいる。椅子にジャケットをかけている。
大人の男の人。雰囲気は優しそう?
店内にはジャズが流れている。柔らかくて、ちょっとだけ切ない音。
私はそのまま何も言わず、窓際の奥の席に座った。
(今日は、雪さんいないのかな……)
そう思っていたら、裏の方から扉が開いて、ベージュのエプロン姿の雪さんが現れた。
「おかえり、奏ちゃん」
いつもの声。それだけで、どこか胸がほっとする。
「今日も、カフェオレでいい?」
「……はい」
雪さんがカウンターに近づくと、例の男性と軽く言葉を交わす。
そのやりとりは耳には届かなかったけれど、どこか懐かしい空気を纏っていて、私は自然と目を向けた。
彼がふと、こっちを見た。
「この子ね、最近ちょっと手伝ってくれてるの」
雪さんがそう言うと、男性は優しく目を細めて、
「そうか。…ここはもう、君の居場所になったのかな」
その言葉に、私は少しだけまばたきをした。
“居場所”
それは、簡単に見つかるようで、簡単には手に入らないもの。ここがそうかどうか、私はまだ答えを出せないけれど——
ほどなくして、私の前にカフェオレが運ばれてきた。
ほんのりとミルクの香りと、ふんわりした泡。あたたかくて、ほっとする味。
彼は黙々と仕事をしていたけれど、不思議と空気が柔らかかった。
やがて、彼は立ち上がってジャケットを羽織り、出口へと向かった。
その途中で、ふと私の前に立ち止まる。
「……あげるよ」
そう言って、ポケットから小さなものを取り出す。
「君だけのお守り」
手のひらに乗せられたのは、白い猫のぬいぐるみのキーホルダーだった。
小さな刺繍の瞳に、ふわっとした毛並み。
ほんの少し首をかしげたような姿が、どこか人懐っこい。
「……え?」
「こいつが君をひとりにしないよ」
そう言って、彼は静かに笑った。
私はそれを両手で受け取り、ただ、うなずいた。
言葉にしようとしたけれど、胸の奥に何かがふわっと広がって、
うまく声にならなかった。
扉が開いて、夕暮れの風がひゅうと吹き込む。
その背中を、カウンターの中から雪さんが見送っていた。
「やっぱり……いいな。ここは」
そう呟いて、彼は出て行った。
店の中には、再び静かな音楽とランプの光が戻る。
私は、もらったばかりのキーホルダーをじっと見つめた。
まっ白な猫。
ミルキーみたいでかわいい。
「……あの人、前にここにいたの?」
思わずこぼした私の問いに、近くの椅子でまどろむクロエがゆっくりと首をあげる。
「にゃ。あの人は、ねこやを一緒に作ったのにゃ」
「……え?」
「君にも、“はじまり”になれる日がくるにゃ」
ぼそりと、それだけ言って、また目を閉じた。
私はまた、キーホルダーを見た。
その表情は、なんだか私のことを見て、微笑んでいるみたいだった。
——その夜、私はそれを机の引き出しではなく、いつものカバンにつけた。
そして翌朝。
制服を着て、キーホルダーをひと撫でしてから、玄関を出る。
外の空気はまだひんやりとしていたけれど、
心のどこかに、小さなあたたかさを抱えていた。
きっとまだ、私はなにもできない。
でも、なにかをもらった気がした。
それだけで、少しだけ前を向けた気がする朝だった。




