深まる闇と、確かな絆
夜明け前の禁書庫に、静寂と、先ほどのセレスティーナの覚醒の余韻が満ちていた。
レオンハルトの手は、まだセレスティーナの肩に置かれたままだった。彼の瞳は、かつてないほど真剣で、そして揺らめく希望の光を宿していた。
「セレスティーナ……一体何が見えた?詳細を話してくれ。どんな魔術だった?なぜ、それが失われた?」
彼の声は、命令ではなく、純粋な探究心に満ちていた。
セレスティーナは、大きく息を吸い込んだ。脳裏に焼き付いた古代の光景と、女性の声が、今も鮮明に蘇る。
「はい……見えました。古代の人々が、星々から魔力を直接引き下ろす光景が……」
彼女は、あの巨大な天文台、空に描かれた魔法陣、そして星の光が生命の源のように大地に流れ込んでいく様子を語った。
「それは、『星詠みの魔術』と呼ばれていました。星は枯れない魔力の源であり、人々の強い想いが、その光を地上に導いていたのです。魔力は単なる力ではなく、人々を豊かにし、都市を空に浮かせるほどの繁栄をもたらしていました」
レオンハルトは、セレスティーナの一言一句を聞き漏らすまいと、真剣な眼差しで頷いていた。彼の表情に、宰相としての分析力と、知的な興奮が入り混じっている。
「そして……それが失われた理由も、分かりました……」
セレスティーナは、声を詰まらせた。あの強烈な映像の、暗い部分を語るのは辛かった。
「突如、魔法陣がひび割れ、星の光が濁り始めたのです。女性の声が聞こえました。『憎悪が、星を覆い隠す』と……。そして、都市が崩壊し、全てが闇に包まれました」
セレスティーナは、見たままを、感じたままをレオンハルトに伝えた。
「憎悪……」
レオンハルトは、その言葉を反芻した。彼の顔から、高揚した表情が消え、重い思案の影が落ちた。
「つまり、星詠みの魔術は、何らかの『憎悪』によって機能不全に陥り、その結果として古代文明が滅びた、と……」
彼は深く考え込んでいるようだった。
「もし、それが真実ならば、魔力の枯渇は、単純な資源の枯渇ではない。根源的な問題が、今もこの国に潜んでいるということか」
レオンハルトの言葉に、セレスティーナは不安を覚えた。「憎悪」とは、一体何なのか。それは、現代のこの国にも影響を与えているのだろうか。
その時、レオンハルトがふと、セレスティーナの顔を見た。彼の瞳に、深い憂いが宿っている。
「私の祖母も、よく星を眺めていた。アストライアの未来は、星の光が導く、と。彼女は、王族と古代の血筋に連なる者で、失われた魔法の伝承に詳しかった……」
彼は言葉を切ると、遠い目をした。その表情は、今朝見せた孤独な横顔と同じだった。
「私には、祖母の願いを継ぐ使命がある。この国を、再び繁栄へと導くこと。それが、私がこの地位に就き、冷徹だと誹られても、道を譲らない理由だ」
彼の言葉から、セレスティーナは、彼の背負う重みが、単なる宰相としての職務ではないことを改めて理解した。それは、一族の、そして亡き祖母の夢と希望を背負った、彼の個人的な誓いだった。
彼の孤独と、それに裏打ちされた情熱が、セレスティーナの心を強く打った。
「レオンハルト様……私に、何ができるでしょうか」
彼女の口から出た言葉は、もはや「協力」というビジネスライクなものではなかった。彼を、その重荷から少しでも解放してあげたい。彼の願いを、共に叶えたい。そう、純粋に願っていた。
レオンハルトは、セレスティーナの言葉に、わずかに目を見張った。彼は、セレスティーナの肩から手を離し、ゆっくりと、しかし確実に彼女の手に自身の指を絡ませた。
「セレスティーナ。貴女にしかできないことがある。貴女の『記憶の継承』の能力は、古代の真実を明らかにする唯一の鍵だ。共に、この『憎悪』の正体を探し、星詠みの魔術を再興する道を、見つけるのだ」
彼の指は、少しだけ震えていた。その微かな震えが、彼の心の奥底に宿る、確かな希望と、そして不安をセレスティーナに伝えた。
その夜、セレスティーナとレオンハルトは、アルバスも交え、見えたビジョンと「憎悪」について、夜が白むまで語り合った。
アルバスは、セレスティーナが見た光景が、王立図書館に伝わる古代の断片的な記述と一致することを認めた。特に「憎悪が星を覆い隠す」という部分は、彼も知らなかった新たな情報だった。
「この『憎悪』が、魔力の枯渇の真の原因である可能性が高い。だとすれば、これを解き明かし、払拭しなければ、たとえ星詠みの魔術を再興したとしても、根本的な解決にはならないだろう」
レオンハルトは、新たな課題に直面していた。
セレスティーナは、レオンハルトがこれまで以上に、自分を頼りにしていることを感じていた。それは、彼女の心に、これまで感じたことのない温かい喜びと、そして強い責任感をもたらした。
禁書庫の窓から、ようやく夜が明け始めた。夜明け前の、最も深い闇を越えて、地平線の向こうから淡い光が差し込んでいる。それは、彼の祖母が言っていた「希望の光」のようだった。
セレスティーナは、レオンハルトの手を握り返した。彼の指は、冷たかったはずなのに、今は熱く、そして力強かった。
二人の間に、目に見えない絆が、より深く、強固に結ばれた瞬間だった。
その日以来、レオンハルトは、セレスティーナへの態度を微妙に変化させた。以前のような事務的な冷徹さは薄れ、時折、彼女を気遣うような、あるいは彼女の意見に真剣に耳を傾けるような、人間らしい温かさを見せるようになった。
セレスティーナもまた、彼への感情が、尊敬や協力者の枠を超え始めていることに気づき始めていた。彼の孤独な背中を支えたいという思いは、いつの間にか、彼自身を慈しむような、温かい感情へと変化していた。
二人の共同作業は、より密接なものとなり、禁書庫での時間は、ただの調査ではなく、互いの心を通わせる、貴重な時間となっていた。
しかし、その変化は、外界の目を避けることはできなかった。
レオンハルトの婚約者であるロザリア・グランヴィル公爵令嬢は、最近、彼が社交の場に顔を出す頻度が減り、何よりもその表情から、以前のような冷徹な孤高の雰囲気が薄れていることに気づいていた。
彼女は、レオンハルトの身の回りを世話する使用人から、彼が連日、王立図書館の禁書庫に籠もり、オルレアン家の地味な令嬢と密会しているという噂を耳にした。
ロザリアの胸に、激しい嫉妬の炎が燃え上がった。
「オルレアンの令嬢、ですって?あの取るに足らない貧乏貴族の娘が……この私から、レオンハルト様を奪おうとでもいうのかしら」
彼女の美しい顔が、憎悪に歪んだ。
「許さないわ。レオンハルト様は、わたくしだけのもの。このグランヴィル家の、そしてアストライアの未来を担う方なのだから……!」
ロザリアの瞳に、冷たい輝きが宿った。彼女は、セレスティーナとレオンハルトの関係を、徹底的に破壊しようと決意した。そして、その陰謀の歯車が、静かに回り始めたのだった。