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禁書庫の邂逅と星の閃き

 アストライア王国、王都ヴェリディア。その中心にそびえ立つ王立図書館は、まるで巨岩から削り出されたかのような威容を誇っていた。灰色の石造りの壁は太陽の光を吸い込み、頂に掲げられた魔導石は、朝日に照らされて神秘的な輝きを放っている。しかし、その厳かな外観とは裏腹に、一般市民に開放されているのは、ごく一部の閲覧室と新刊書架のみ。特に、セレスティーナが目指す「禁書庫」は、王室の許可なくしては足を踏み入れることさえ許されない、秘密の領域だった。


 オルレアン家の地味な馬車が、王立図書館の広大な前庭に停まる。見慣れない貴族令嬢の来訪に、衛兵たちが訝しげな視線を投げかけた。セレスティーナは、昨日と同じく簡素なドレスに身を包み、古文書を抱えて馬車を降りた。


「あの、こちらで、古文書の閲覧を……」


 戸惑いながら衛兵に声をかけると、彼らは首を傾げた。


「令嬢。禁書庫への立ち入りは、王室の特命か、宰相閣下の許可が必要です。一般の貴族の方には、ご遠慮いただいております」


 あっさりと告げられた事実に、セレスティーナの胸に冷たい水が流れ込む。やはり、無理だったのか。ラ・ヴァリエール男爵との縁談から逃れる最後の希望が、音を立てて崩れていくようだった。


 途方に暮れて立ち尽くすセレスティーナに、背後からしわがれた声がかけられた。


「若いお嬢さん、困っておられるのかね?」


 振り返ると、そこにいたのは、背を丸めた老爺だった。眼鏡の奥の眼差しは深く、その指先は長年の書物との触れ合いで染みつき、年季を感じさせる。彼は、王立図書館の古参司書、アルバスだった。

 セレスティーナは、咄嗟に抱えていた古文書を胸に隠した。


「……いえ、その、ただ……古文書に興味がありまして」


「ほう、古文書とな?」


アルバスの目が、セレスティーナの胸元に隠された古文書と、彼女の首元から覗く星の紋章のペンダントに一瞬向けられた。だが、すぐに何事もなかったかのように、彼は優しげに微笑んだ。


「この図書館には、知られざる真理が眠っている。だが、その扉は、誰もが開けることはできない」


 アルバスはセレスティーナの顔をじっと見つめた。その瞳には、彼女の秘めたる情熱を見透かすような、深い洞察力があった。


「……しかし、時に、扉は自ら開かれることもある」


 彼はそう言うと、セレスティーナに手招きした。


「ついてきなさい。君の情熱が本物ならば、案内してあげよう」


 アルバスに連れられ、セレスティーナは普段は閉ざされている裏口から図書館の内部へと足を踏み入れた。石造りの通路はひんやりと冷たく、どこからともなく、紙と埃の入り混じった古書の匂いが漂ってくる。幾重もの螺旋階段を上り、いくつもの鍵の掛かった重厚な扉を抜ける度に、彼女の胸の鼓動は高鳴った。

 そして、最後に辿り着いたのは、漆黒の木製扉だった。


「ここが、禁書庫だ」


 アルバスが特別な鍵で扉を開けると、そこは別世界だった。天井まで届く書棚が、果てしなく奥へと続いている。埃と静寂、そして歴史の重みが、空間全体を支配していた。僅かな魔導灯の光が、背表紙に刻まれた無数の文字を朧げに照らし出す。


「好きに見ていい。だが、決して、棚から落ちた本に触れてはならんぞ。そして、決して声を上げてはならん」


 アルバスはそう言い残すと、奥の方へ消えていった。


 セレスティーナは、呆然と立ち尽くした。古文書の世界に身を置いてきた彼女にとって、ここはまさに宝の山だった。震える手で、最も古いと思しき書物を手に取る。表紙には、見慣れない古代文字が刻まれている。

 ページをめくった瞬間、背後から低い声が響いた。


「……誰だ」


 セレスティーナは、心臓が跳ね上がるほどの驚きに、手にしていた書物を落としそうになった。振り返ると、そこには一人の男性が立っていた。闇を思わせる深い色の髪に、凍てつくような青い瞳。均整の取れた体躯は、漆黒の軍服に包まれている。彼の顔は、王都の貴族ならば誰もが知る、若き宰相、レオンハルト・フォン・アウグストその人だった。

 彼は書棚の陰から現れ、その手には分厚い書類の束と、いくつかの魔導具が握られている。冷徹なまでの表情は、王都で囁かれる噂と寸分違わなかった。


「宰相閣下……っ」


 セレスティーナは慌てて膝を折り、深々と頭を下げた。なぜ、彼がここにいるのか。一般の立ち入りが禁じられているはずの禁書庫に。


「アルバス、どういうことだ」


 レオンハルトは、セレスティーナに視線を向けたまま、静かに奥へ声をかけた。アルバスが姿を現す。


「宰相閣下。こちらの令嬢は、オルレアン家のセレスティーナ様。古文書への造詣が深く、失われた古代の知識に強い関心をお持ちのようで……」


「無許可で禁書庫へ入れたのか」


 レオンハルトの視線はアルバスからセレスティーナへと移った。その鋭い眼光に、セレスティーナは身を縮めた。


「申し訳ありません……」


「ふむ」


レオンハルトはセレスティーナに近づくと、彼女が持っていた古文書に目を向けた。


「その本は、『アストライア古記』か。滅亡した古代文明の記述について、断片的に記されたものだ。お嬢様には、過ぎた書物だろう」


 彼の言葉には、侮蔑こそ含まれていないものの、彼女の知識を完全に否定するような響きがあった。

 その瞬間、セレスティーナの胸に、言いようのない衝動が込み上げてきた。この、冷徹で傲慢な宰相に、自分の「情熱」を否定されたくない。


「いいえ!これは、ただの物語などではありません。失われた真実が、そこに隠されているのです!」


 感情的になり、つい声を荒げてしまった。レオンハルトの眉が、僅かに上がった。


 その時、セレスティーナの首元のペンダントが、熱を帯びて激しく脈動し始めた。

 彼女が握っていた『アストライア古記』のページが、突如として淡い光を放ち始める。光は徐々に強さを増し、セレスティーナの体を包み込んだ。


「これは……!」


 レオンハルトが驚きに目を見開く。その冷徹な表情に、初めて動揺の色が浮かんだ。

 光の中で、セレスティーナの視界は白く霞んだ。耳元で、遠い昔の言葉が、いくつもの声が重なり合って聞こえる。


 ――『星は、過去を語る。そして、未来を指し示す』


 その言葉と共に、彼女の脳裏に、いくつもの映像が走馬灯のように駆け巡った。

 悠久の時が流れる巨大な天文台。煌めく星々が描かれた巨大な床。ローブをまとった人々が、祈るように両手を広げ、天の運行を読み解いている。空には、今では見ることのできない、双子の月が輝き、地上には、光り輝く複雑な魔法陣が描かれ、都市が空中に浮かんでいる……。

 それは、彼女が読み解いてきた古文書の中にしか存在しない、失われた古代文明の姿だった。強烈な情報が脳に流れ込み、セレスティーナは思わず呻き声を上げた。


「う……あ……っ」


 次の瞬間、光は急速に収束し、セレスティーナは床に膝をついた。呼吸は荒く、額には冷や汗が滲んでいる。手の中の『アストライア古記』は、光を失い、ただの古い書物に戻っていた。

 レオンハルトは、無言でセレスティーナを見下ろしていた。その青い瞳は、何かを値踏みするように、深く、静かに輝いている。

 そして、彼はゆっくりと口を開いた。


「……今のは、一体、何だ」


 セレスティーナは、震える手でペンダントを握りしめた。彼女自身の能力は、彼女自身さえも理解しきれていなかった。

 レオンハルトは、セレスティーナの混乱した顔を見ながら、静かに、しかし有無を言わせぬ声で告げた。


「セレスティーナ・オルレアン令嬢。君の力は、国の未来を救う、あるいは破滅させる可能性を秘めている。……我々には、君の協力が必要だ」


 彼の言葉は、まるで彼女の抱えるラ・ヴァリエール男爵との縁談のことなど、些末な問題であるかのように響いた。それは、セレスティーナを束縛していた現実から、無理やりに引き剥がすような、傲慢で、しかし力強い宣言だった。

 この冷徹な宰相が、彼女の秘めたる能力に、何を見出したというのだろうか。

 セレスティーナの人生は、この禁書庫での邂逅を境に、大きく、そして予測不能な方向へと舵を切ろうとしていた。

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