第89話 「あの・・・図書館セットA」
大きな大きな仕掛け絵本。
元々それ自体に魔力が込められた魔法の本でもあるけれど、今この瞬間に溢れ出した光は、きっと・・・
「え・・・何が起こって・・・」
「絵本が・・・リールに応えてるんだよ」
床を見ると、先程私が投げつけた『ハキハキ1巻』が転がっていた。
すっかりボロボロになってしまったけれど、あんな文庫本でも禁書の放つ黒い霧を何度も防いでくれていた。
大事にされた本に不思議な力が宿る・・・ならそれは、最近借りて鞄に突っ込んでただけの私ではなくリールの方だ。
文庫本でこれなら、思い出の絵本ならもっと・・・その予想は眩いばかりの輝きと共に証明された。
「なっ・・・!」
ファムの表情が驚愕に歪んだ。
その手元、黒い表紙の『禁書』から放たれた黒い霧の蛇が、絵本の発する光に触れただけで霧散して消えていく。
文庫本で叩き落していた時のような手応えすらない・・・そればかりか・・・
「何故だ?!・・・か、身体が・・・ぐぅぅ・・・」
小さな身体を小刻みに震わせながら・・・ファムが苦悶の声を発した。
その全身からうっすらと湯気のように黒い霧が染み出して・・・ファムが『禁書』の力に抵抗してるんだ!
2人の思い出の本が、ファムの心にも届いて・・・
「な、なんなのだ、その本は・・・我は知らぬ・・・知らぬぞ」
「ファムなら・・・その子なら、よく知ってるはず・・・ファムを返して」
「ぐ・・・ぐおおおおお!」
ファムの顔に苦しみを浮かべながらも、禁書はその力を振り絞るかのように叫ぶと、ファムの全身に濃い霧を纏わりつかせる。
その魔力でファムの意思を押さえつけたのか、身体の震えが止まった。
けれど・・・
「ファム、聞こえるでしょ!・・・『・・・ある日タンポポの妖精は言いました「ボクと一緒に綿毛に乗って旅に出ようよ」』
リールがファムに呼びかけ、絵本の文章を読み上げた・・・内容は一文字も違わず・・・やっぱり覚えていたんだ。
そしてその正確な朗読によって、絵本に込められたの本来の魔法がその効果を発現させ・・・
「す・・・すごい・・・」
目の前に広がるその光景に、私は状況さえ忘れて息を漏らした。
・・・開かれたページの内容が、読み上げた絵本の文章が、立体映像として本の上に具現化される。
絵本に込められていたのは、そんな感じの魔法だったはず。
けれど今・・・私達は見渡す限りの青空の下、広い草原の上に立っていた。
春の暖かな太陽の日差し、そよ風に揺れるのは真っ白な綿毛を蓄えた大きな・・・まるで大樹のような大きさの、タンポポ?
いつのまにか、リールと2人がかりで持っていたはずの大きな絵本がなくなっていて・・・
「これは・・・絵本の世界?」
「・・・私達、夢を見ているんですの?」
不思議そうに周囲を見回すリールの元に、不安げな足取りでファムが歩み寄る・・・あの『禁書』も、その手から消えていた。
本当に、何が起きているんだろう。
「・・・わわっ!」
不意に強めの風が吹いて、タンポポの綿毛が宙に舞う。
その綿毛のひとつが、ゆっくりと私達の方に漂ってきて・・・なぜか自然とそこに手が伸びていた。
「「「・・・あっ」」」
綿毛を掴もうと伸ばされた3人分の指先が触れ・・・3人の声が重なる。
どうやら私達3人で同じ動きをしていたらしい・・・それがなんかおかしくて、3人で笑いあった。
タンポポの綿毛・・・と言っても私達の身長を軽く超えてくる大きさで。
詰め合わせれば、種の部分に私達3人で乗れそうだ。
もしここがあの絵本の世界なら・・・うん・・・この綿毛に乗らない理由なんてない。
「ほらファム、そんなにはしゃぐと落ちるわよ」
「そう言うリールさんだって、真っ先に乗りましたわよね?」
「それは・・・あの頃は憧れてたと言うか・・・」
「えっ、何ですって? よ く 聞 こ え ま せ ん わ」
気恥ずかしさで顔を赤くして声が小さくなるリールに、ファムが容赦なく煽ってくる。
満面に浮かべた悪戯っぽい笑顔・・・間違いなくファム本人だ。
「もうっ・・・私もあの絵本大好きだったの!・・・これで満足?」
「ふふ・・・やっと素直になりましたわね」
「・・・アンタがそれ言うか」
あ・・・私・・・一緒に乗らない方が良い気がしてきた。
だってこれ、どう見たって2人の世界が・・・こ、ここは気を使って・・・
「ほらナデシコも、はやく」
「え・・・いや、でも・・・」
「モタモタしないでくださいまし!」
「あっ」
遠慮するつもりだったのに・・・2人に腕を掴まれ、引き寄せられてしまった。
そして私が乗るのを待っていたかのようなタイミングで風が吹いて、綿毛が空高く舞い上がった。
「ふぇっ・・・」
高い、怖い、しんじゃう・・・ぎょっと目をつぶって2人に縋りついたのもせいぜい数秒の事。
ここが絵本の世界だからか、不思議とそんな恐怖心は私の中からすぐに消え去っていった。
足元は楕円形の種なのに・・・なんだろう、ぜんぜん落ちる気がしないというか・・・なんか不思議な感覚としか言えない。
「うわぁ・・・」
私達を乗せた綿毛はふわりと舞い上がると、小高い丘を軽々と飛び越えていく。
眼下に広がる緑と、吸い込まれるような青い空・・・遠くの地平ではキラキラと何かが光って・・・たぶん海だ。
海は私の地元でも見た事はあるけれど、こんな高さから見ると全然印象が違う。
「海っ、海ですわ!すごい、すごい!」
「ファムってば・・・はしゃぎ過ぎだって・・・」
私の知ってる限りでは、フレスルージュ王国は山の国だ。
きっと海を知らずに育ったんだろう、興奮して飛び跳ねるファム・・・そんな彼女が綿毛から落ちるんじゃないかと気が気じゃない様子のリールも、目の前に大きく広がっていく海を眩しそうに見つめて・・・
「本物の海も・・・こんな感じなのかな・・・」
「・・・!」
誰にも聞こえなさそうなくらい小さな呟き・・・やっぱりリールも海を知らないんだ。
ならば、この中で唯一本物の海を知ってる私は力いっぱい頷いて答えるしかない。
「うん・・・本物の海も・・・こんな青だよ」
そう言いながら、南国の方の海だと違う色だった事を思い出してしまった。
もっと緑がかった、コバルトブルーだっけ・・・まぁ、そっちは私も見た事がないからいっか。
私の知る日本の海の色と同じ青色の上を、綿毛はすいすいと進んでいく。
そんな青色を茜に塗り替えながら太陽が沈んでいくと・・・そこは星の世界。
頭上に輝く満点の星々、私の知らない異世界の星座が巡る。
星々の光は足元の海にも反射して・・・まるで宇宙を漂っているみたい。
「すごい・・・けど・・・」
「うん・・・」
綺麗な風景に息を飲むばかりの私と違って、リールはどこか複雑そうな表情を浮かべた。
ファムもファムで何か思う所があるのか、それに頷いて応える。
「「こんな場所・・・絵本にはなかった」」
ああ・・・言われてみれば確かに。
絵本の世界をよく知り、思い入れのある2人ならではの意見だった。
でもきっと絵本には書かれていなかっただけで、妖精たちもこんな夜空を旅したに違いない。
だって、絵本のページ数では収まりきらないくらいに・・・この世界には素敵な場所がたくさん待っているのだから。
やがて前方から星空よりも明るい光・・・人の手による街の灯が見えてきた。
それは意外にも近代的な・・・本当にこの世界にあるのかちょっと怪しい高層建築が海岸沿いに建ち並ぶ。
100万ドルの夜景・・・そんな言葉が私の脳裏を過った。
その後も綿毛はふらりふらりと方向を変えながら絵本の世界を巡る。
雪の積もる街並みや、砂に埋もれかけたオアシスの街、もくもくと煙を吐き出す火山・・・様々な景色を私達に見せてくれた。
そして最後は、絵本のそれと同じく・・・
「見て、あの大きなタンポポ!」
「うん・・・この世界を1周して帰ってきたんだ」
綿毛は丘の上にゆっくりと着地すると、種が地面に根を伸ばして・・・そこに小さな芽を覗かせた。
この絵本の物語の終わりは、私達の夢のような体験の幕引きも意味していて・・・
「ふぁあ・・・」
最初の欠伸は誰だったか・・・よく覚えていない。
つられてすぐに3人とも欠伸をして、草原の上にごろんと横になった。
暖かな風が頬を撫でる中・・・強烈な睡魔が私達を現実へと呼び戻す・・・
眠気で夢から目を覚ます・・・そんな矛盾めいた感覚と共に・・・
「・・・あっ」
頭の中の霧が晴れたかのように、はっきりとした意識。
ここは図書館の児童コーナー、私とリールは2人掛かりで絵本を開いた姿勢のまま。
そして私達の前には1人の少女・・・邪悪な黒い霧は欠片もなく、ただきょとんとした表情を浮かべていた。
「私・・・さっきまで絵本の・・・」
「え・・・じゃあ、あれって・・・」
「夢・・・じゃない?」
信じられない、それぞれにそんな顔を浮かべて互いを見つめ合うと・・・
何とも言えない安心感みたいなものが、胸に満たされていくのを感じた。
「この絵本が・・・見せてくれたの?」
おずおずと、ファムが絵本に手を伸ばした。
けれど絵本は何も反応しない・・・ただの大きな仕掛け絵本に戻ってしまったかのようだ。
でも・・・きっとそうなんだろう、2人の気持ちに絵本が応えてくれたんだ。
「ファム・・・その、ごめん・・・私、本当は・・・」
「うん・・・私も、その・・・ごめんなさい」
まだ開かれたままの大きな絵本ごしに、謝り合う2人。
余計なわだかまりは、あの綿毛が全部溶かしてくれたに違いない。
・・・やっぱり私はお邪魔かな。
「ごめん重いむり・・・ファム、代わって」
「え・・・ええっ?!」
持っていた絵本の片側をファムに押し付けるようにして、その場を離れる。
その足元に何かが引っ掛かった・・・あの黒い禁書だったもの・・・今はもう魔力も何もない、ただの黒い本だ。
どうやらこの禁書は、最後に残った僅かな魔力で誰かの身体を乗っ取る・・・そんな一発逆転の機会を狙っていたらしい。
たまたまそこに精神的に弱っていたファムが通りかかってしまい、一時的に取り込まれてしまった・・・と言うのがローゼリア様達の出した結論だった。
禁書コーナーは改めて危険がないか精査され、わずかでも魔力を残した本は危険な本と同様に封印される事になった。
それに合わせて図書館は一時的に閉鎖・・・ついでに大幅な改装を施しての新規オープンとなった。
膨大な蔵書数はそのままに、区画を整理して追加した新エリア・・・リニューアルの目玉とも言うべきそこは・・・
「お待たせしました、図書館セットAです」
よく聞き覚えのある声が、あまり聞き覚えのない言葉を発するのを聞いて、私はついその方向を向いてしまう。
新エリア・・・飲食コーナーのテーブルに注文された料理を運んできたウェイトレスの少女。
メイド服のような衣装に身を包んだリールの姿がそこにあった。
「あ・・・ナデシコ、来てたんだ」
「う、うん・・・」
客席に私を見つけるなり、営業スマイルからいつもの表情になって話しかけてきたリールに。
テーブル狭しと教科書やノートを広げていた私は、ぎこちない笑顔を向けた。
ごめんなさい、空いてる席がここしかなくて・・・今度こそ勉強に専念しないと・・・夏休みが危ういんだ。
『地元の図書館には、喫茶店とか、飲食スペースがあったよ』
私の放ったなにげない一言・・・まさかそれがファムから館長に伝わって、正式採用されるなんて。
図書館長・・・ファムのお父さんなんだけど。
『庶民が気軽に通える図書館』を目指していたらしく・・・飲食スペースの追加は、まさにそれにぴったりだった。
そして図書館内に新規オープンさせる飲食店に立候補してきたのが、なんとリールのお父さんで・・・図書館に通うリールの事をお父さんも気にかけてくれていたのかな。
「新しいお店・・・繁盛してるみたいだね」
「うん!たまにファムも食べにくるし、前のお店からこっちに通って来てくれてる常連さんもいるんだよ」
今すごく充実してる・・・そんな顔を向けながらリールが微笑む。
キラキラとした表情がとても眩しい。
実家のお店の仕事があるからと図書館の仕事を諦めていたリールにとっては、願ったり叶ったりなんだろうね。
人気メニューの『図書館セットA』は薄焼きのパンに具材を挟んだサンドイッチ的な食べ物とドリンクのセットだ。
手や本を汚さずに食べられる工夫が凝らされていて、味も美味しい。
はやくも読書のお供の定番となってきている。
「・・・ナデシコはもう注文した?」
「あ・・・あう・・・」
リールの視線が私のテーブルを巡る・・・その表情が営業のそれに代わった。
はいごめんなさい何も頼まずにもう2時間くらいここで勉強してました。
「・・・お客様?ご注文は?」
「あの・・・図書館セットA・・・ジュースでお願いします」
にっこりとしたリールの笑顔から放たれる重圧に、私が秒で屈したのは言うまでもない。




